070 欠陥道路

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長野県信濃町汗馬坂 日本


青木湖バス転落事故、犀川バス転落事故、軽井沢スキーバス転落事故。山岳道路が多く、冬は雪道となる長野県で発生するバス事故は痛ましいものとなる。そのような中で人々の記憶からほぼ忘れ去られようとしているのが戸隠バス転落事故ではないだろうか。昭和47(1972)年9月23日、妙高高原発戸隠中社行きの路線バスが信濃町汗馬坂の県道戸隠野尻線から50m下の鳥居川に転落。死者15人負傷者67人の大参事になった。当時、志賀高原を擁する長電バスに対し、戸隠高原は川中島バスのドル箱観光路線。既に戸隠バードラインが開通し、長野駅から戸隠高原に向かうバスも賑わっていたが、妙高高原駅前に営業所があり赤倉温泉スキー場への路線も持っていた川中島バスは直江津方面から戸隠高原に訪れる観光客の需要にも応えていた。しかし、その頃の県道戸隠野尻線は未舗装の悪路。ガードレールも無かった。バスはダンプカーとのすれ違いで路肩に寄り転落してしまう。路線バスは秋の連休でほぼ満員だった。



負傷した乗客は信濃町の信越病院に運ばれた。病院の規模を考えると80人近い負傷者が続々運ばれてくれば正に戦場だろう。診療科の区別なく総出で対応したのではないか。観光地ゆえ被害者は長野県外から訪れた人が多く、研修旅行で訪れていた新潟県能生町立(現糸魚川市立)磯部中学校の教職員14人全員が被災、校長先生が亡くなられている。事故は当初、バス運転手の過失として逮捕起訴され、昭和52(1977)年、長野地裁で有罪となるが、昭和54(1979)年の東京高裁では新たな鑑定結果により一審判決が破棄される。事故原因は道路の欠陥にあるとして運転手は逆転無罪となった。ガードレールが無いだけなく、現場の地中に空洞の跡が認められ、バスは路肩が崩れたことで転落したらしい。そのため、川中島自動車が遺族や負傷者に支払う補償金のうち6割を道路管理者である長野県が負担することになり、県はここ以外の県道の改良にも追われた。とはいえこの事故が川中島自動車の経営に与えた影響も甚大だったようで、事故から10年後の昭和63(1983)年、会社更生法を申請して倒産する。


川中島自動車本社があった場所(長野市松岡)。アルピコ(松本電鉄)傘下で更生し川中島バスとなってからは本社を長野市小島田に移し、しばらくこの場所は松岡線の終点として使われていたが、その後はホームセンターに変わり、現在は郊外パチンコ店の駐車場になっている。



近年、戸隠高原はパワースポットとして更なる脚光を浴び、戸隠神社奥社も下の画像のありさま。観光客が増えることは地元に利益をもたらし結構なことだが、戸隠は山岳事故を含め意外と災いが多い場所。訪れる際は山の神にしっかりとお参りし楽しんだほうが良いのかも知れない。




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