典座教訓

観音導利興聖宝林禅寺比丘道元撰

 仏家に本より六知事あり、共に仏子たり、同じく仏事をなす。中に就いて典座の一職は、これ衆僧の弁食を掌る。禅苑清規に云く、衆僧を供養す。故に典座ありと。古より道心の師僧、発心の高士、充て来れし職なり。けだし一色の弁道たるべきか。もし道心なければ、徒に辛苦に労して畢竟益なし。禅苑清規に云う、須らく道心を運らして時に随って改変し、大衆をして受用し、安楽ならしむべしと。そのかみ潙山洞山等これを勤め、その余の諸大祖師も曾つて経来れり。ゆえに世俗の食厨子および饌夫等に同じからざるものか。山僧在宋の時、暇日、前資勤旧等に咨問するに、彼等いささか見聞を挙して、もって山僧がために説く。この説似は、古来有道の仏祖、遺すところの骨髄なり。おおよそ、須らく禅苑清規を熟見すべし。然して後、須らく勤旧子細の説を聞くべし。

いわゆる当職一日夜を経るに、先ず斎時罷は、都寺監寺等の辺について、翌日の斎粥の物料を打す。いわゆる米菜等なり。打得し了らば、これを護惜すること眼晴のごとくせよ。保寧の勇禅師曰く、眼晴なる常住物を護惜せよと。これを敬重すること御饌草料のごとくせよ。生物熟物、倶にこの意を存せよ。次に諸の知事、庫堂にあって商量すらく、明日甚の味を喫し、甚の菜を喫し、甚の粥等を設けんと。禅苑清規に云く、物料ならびに斎粥の味数を打するがごときは、すべて預め先ず庫司知事と商量せよと。いわゆる知事には、都寺、監寺、副司、維那、典座、直歳あり。味数議定し了らば、方丈衆寮等の厳浄牌に書呈せよ。

然る後、明朝の粥を設弁す。米を淘り菜を調うる等は、自ら手ずから親しく見、精勤誠心にして作せ。一念も疎怠緩慢にして、一事をば管看し、一事をば管看せざるべからず。功徳海中一滴もまた譲ることなく、善根山上一塵もまた積むべきか。禅苑清規に云く、六味精しからず、三徳給わらざるは、典座の衆に奉する所以にあらずと。先ず米を看んとして便ち砂を看、先ず砂を看んとして便ち米を看る。審細に看来り看去って、放心すべからずんば、自然に三徳円満し、六味ともに備わらん。雪峯、洞山にあって典座と作る。一日、米を淘るついで、洞山問う、砂を淘って米を去るか、米を淘って砂を去るか。峯云く、砂米一時に去る。洞山云く、大衆箇の什麼をか喫す。峯、盆を覆却す。山云く、子他後、別に人に見え去ることあらんと。上古有道の高士、自ら手づから精しく至り、これを修することかくのごとし。後来の晩進、これを怠慢すべけんや。先来云く、典座は絆をもって道心となすと。もし米砂誤って淘り去ることあらば、自ら手ずから撿点せよ。清規に云く、造食の時、須らく親しく自ら照顧して、自然に精潔なるべしと。その淘米の白水を取って、また虚しく棄てざれ。古来漉白水嚢を置いて粥米水を弁ず。鍋に納れ了れば、心を留めて護持し、老鼠等をして触誤し、ならびに諸色の閑人をして見触せしむることなかれ。

粥時の菜を調え、次に今日斎時に飯羹等に用いし所の盤桶ならびに什物調度を打併して、精誠浄潔に洗灌し、彼此高処に安ずべきは高処に安じ、低処に安ずべきは低処に安ぜよ。高処は高平に、低処は低平に。挾扚等の類、一切の物色、一等に打併して、真心に物を鑑し、軽手に取放す。

然る後、明日の斎料を理会す。先ず米裏に虫・緑豆・糖塵・砂石等あらんを択び、精誠に択び了れ。米を択び菜を択ぶ等の時、行者諷経して竈公に回向す。次に菜羹の物料を択んで調弁せよ。庫司に随って打得する所の物料は、多少を論ぜず、麤細を管せず、ただこれ精誠に弁備するのみ。切に忌む、色を作し、口に料物の多少を説くことを。竟日通夜、物来って心にあり、心帰して物にありて、一等に他と精勤弁道す。三更以前に明暁の事を管し、三更以来に做粥の事を管す。

当日の粥了れば、鍋を洗い飯を蒸し、羹を調う。斎米を浸すがごときは、典座、水架の辺を離るることなかれ。明眼に親しく見て、一粒も費さず、如法に淘汰し、鍋に納れて火を焼き飯を蒸す。古に云く、飯を蒸す鍋頭を自頭となし、米を淘りて、水はこれ身命なりと知ると。蒸し了る飯は、便ち飯籮裏に収め、乃ち飯桶に収めて擡槃の上に安ぜよ。菜羹等を調弁するは、応当に飯を蒸す時節なるべし。典座親しく飯羹調弁の処在を見、或は行者を使い、或は奴子を使い、或は火客を使い、什物を調えしめよ。近来大寺院には、飯頭、羹頭あり。然あれども、これ典座の所使なり。古時は飯羹頭等なし、典座一管す。

凡そ物色を調弁するに、凡眼をもって観ることなかれ。凡情をもって念うこと莫れ、一茎草を拈じ宝王刹を建て、一微塵に入って大法輪を転ぜよ。いわゆる、たとい莆菜羹を作るの時も、嫌厭軽忽の心を生ずべからず。たとい頭乳羹を作るの時も、喜躍歓悦の心を生ずべからず。既に耽著なし、何ぞ悪意あらん。然あれば則ち麤に向うと雖も全く怠慢なく、細に逢うと雖も、いよいよ精進あるべし。切に物を逐うて心を変ずることなかれ。物を逐うて心を変じ、人に順って詞を改むるは、これ道人にあらざるなり。志を励まして至心ならば、こいねがわくは、浄潔なること古人に勝れ、審細なること先老に超えんことを。その運心道用の為体は、古先はたとい三銭を得て莆菜羹を作るも、今吾れ同じく三銭を得るときは、頭乳羹を作らんと。この事難為なり。ゆえはいかん。今古殊異にして天地懸隔なり。あに肩を斉しうすることを得るものならんや。然あれども審細に弁肯する時は、古先を下視するの理、定んでこれあり。この理必然なるすらなお未だ明了ならざるは、卒く思議粉飛してかの野馬のごとく、情念奔馳して林猿に同じきに由るなり。もし彼の猿馬をして、一旦退歩返照せしめば、自然に打成一片ならん。これ乃ち物の所転を被るとも、能くその物を転ずるの手段なり。かくのごとく調和浄潔にして、一眼両眼を失することなかれ。一茎菜を拈じて、丈六身となし、丈六身を請して一茎菜となす。神通および変化、仏事および利生するものなり。

已に調え、調え了って已に弁じ、弁じ得て那辺を看し、這辺に安ず。鳴鼓鳴鐘には、衆に随い参に随う。朝暮請参、一も虧闕することなかれ。這裏に却来せば、直に須らく目を閉じて、堂裏幾員の単位ぞ、前資、勤旧、独寮等幾僧ぞ、延寿、安老、寮暇等の僧幾箇の人かある、旦過に幾板の雲水ぞ、菴裏に多少の皮袋ぞと諦観すべし。かくのごとく参じ来り参じ去って、もし繊毫も疑猜あらば、他の堂司および諸寮の頭首、寮主、寮首座等に問い、疑を銷し来って、便ち商量すらく、一粒米を喫するに一粒米を添え、一粒米を分ち得れば、却って両箇の半粒米を得。三分四分、一半両半あり。他の両箇の半粒米を添うれば、便ち一箇の一粒米と成る。また九分を添うるに、剰り幾分と見、今、九分を収めて、かれ幾分と見る。一粒の廬陵米を喫得して、便ち潙山僧を見、一粒の廬陵米を添得して、また水牯牛を見る。水牯牛、潙山僧を喫し、潙山僧、水牯牛を牧す。吾れ量得すやまた未だしや。儞算得すやまた未だしやと。撿し来り点じ来って分明に分暁し、機に臨んで便ち説き、人に対して即ち道え。しばらく恁のごときの功夫、一如二如、二日三日、未だ暫くも忘るべからざるなり。

施主、院に入りて財を捨し斎を設けば、また当に諸の知事一等に商量すべし、これ叢林の旧例なり。回物俵散は同じく共に商量せよ。権を侵し職を乱すことを得ざれ。斎粥如法に弁じ了らば、案上に安置し、典座、袈裟を搭け坐具を展べ、先ず僧堂を望んで焚香九拝し、拝し了って乃ち食を発すべし。

一日夜を経、斎粥を調弁し、虚しく光陰を度ることなかれ。実の排備あらば、挙動施為、おのずから聖胎長養の業と成らん、退歩翻身せば、便ちこれ大衆安楽の道なり。いま我が日本国、仏法の名字聞き来ることすでに久し。然あれども僧食如法作の言、先人記せず、先徳教えず。いわんや僧食九拝の礼、未だ夢にだも見ざるあり。国人おもえらく、僧食の事、僧家作食法の事は、あたかも禽獣の食法のごとしと。実に憐みを生ずべく、実に悲しみを生ずべし。如何んぞや。

山僧天童にありし時、本府の用典座、職に充たれり。予因みに斎罷って東廊を過ぎ超然斎に赴くの路次、典座仏殿前にあって苔を晒す。手に竹杖を携えて頭に片笠なし。天日地甎を熱し、熱汗流れて徘徊すれども、力を励まして苔を晒す。やや苦辛を見る。背骨弓のごとく、龍眉鶴に似たり。山僧近前して、便ち典座の法寿を問う。座云く、六十八歳。山僧云く、如何んぞ行者人工を使わざる。座云く、他はこれ吾れにあらず。山僧云く、老人家如法なり。天日かつ恁のごとく熱す。如何んぞ恁地なる。座云く、さらに何の時をか待たんと。山僧すなわち休す。廊を歩する脚下、潜かにこの職の機要たることを覚ゆ。

また嘉定十六年癸未五月の中、慶元の舶裏にあり。倭使頭説話の次で、一老僧あり来る。年六十許歳。一直に便ち舶裏に到って、和客に問うて倭椹を討ね買う。山僧、他を請して茶を喫せしむ。他の所在を問えば、便ちこれ阿育王山の典座なり。他云く、吾れはこれ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年これ六十一歳。向来ほぼ諸方の叢林を歴たり。先年、権、孤雲裏に住す。育王に討ね得て掛塔し、胡乱に過ぐ。しかるに去年解夏了に本寺の典座に充てらる。明日五日にして、一供渾て好喫するなし。麵汁を做らんと要するに、未だ椹のあるあらず。よって特特として来るは、椹を討ね買うて十方の雲衲に供養せんとすと。山僧他に問ふ、幾時か彼を離る。座云く、斎了。山僧云く、育王這裏を去ること多少の路かある。座云く、三十四五里。山僧云く、幾時か寺裏に廻り去るや。座云く、如今椹を買い了らば便ち行かん。山僧云く、今日期せずして相い会し、かつ舶裏にあって説話す。あに好結縁にあらざらんや。道元、典座禅師を供養せん。座云く、不可なり。明日の供養吾れもし管せずんば、便ち不是にし了らん。山僧云く、寺裏何んぞ同事の者の斎粥を理会するなからんや。典座一位不在なりとも什麼の欠闕かあらん。座云く、吾れ老年にしてこの職を掌る。乃ち耄及の弁道なり。何をもってか他に譲るべけんや。また来る時、未だ一夜宿の暇を請わず。山僧また典座に問う、座尊年、何んぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充たって只管に作務す。甚の好事かある。座大笑して云く、外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざることあり。山僧他の恁地の話を聞き、忽然として発慚驚心して、便ち他に問う、如何にあらんかこれ文字、如何にあらんかこれ弁道と。座云く、もし問処を蹉過せずんば、あにその人にあらざらんや。山僧当時不会。座云く、もし未だ了得せずんば、他時後日、育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ることあらんと。恁地に語り了って、便ち座を起って云く、日晏了ん忙ぎ去なんと。便ち帰り去れり。

同年七月、山僧天童に掛錫す。時に彼の典座来得て相見して云く、解夏了に典座を退き、郷に帰り去らんとす。たまたま兄弟の老子箇裏にありと説くを聞く。如何んぞ来って相見せざらんやと。山僧喜踊感激し、他を接して説話するの次で、前日舶裏に在ける文字弁道の因縁を説出す。典座云く、文字を学ぶ者は、文字の故を知らんと為す。弁道を務むる者は、弁道の故を肯わんと要す。山僧他に問う、如何にあらんかこれ文字。座云く、一二三四五。また問う。如何にあらんかこれ弁道。座云く、徧界曾つて蔵さず。その余の説話多般ありと雖も、いま録さざる所なり。山僧いささか文字を知り弁道を了ずることは、乃ち彼の典座の大恩なり。向来一段の事、先師全公に説似す。公甚だ随喜するのみ。山僧、後に、雪竇に頌あって僧に示して、一字七字三五字、万像窮め来るに拠を為さず、夜深け月白うして滄溟に下る、驪珠を捜得するに多許かあると云うを看る。前年彼の典座の云う所と、今日雪竇の示す所と、おのずから相い符号す。いよいよ知る、彼の典座はこれ真の道人なることを。然あれば則ち従来看る所の文字は、これ一二三四五なり。今日看る所の文字も、また六七八九十なり。後来の兄弟、這頭より那頭を看了し、那頭より這頭を看了し、恁のごとき功夫を作さば、便ち文字上一味禅を了得し去らん。もしかくのごとくならずんば、諸方五味禅の毒を被って、僧食を排弁するに、未だ好手を得ること能わざるなり。

誠に夫れ当職、先聞現証、眼にあり耳にあり。文字有り、道理あり。正的と謂つべきか。たとい粥飯頭の名を忝うせば、心術もまたこれに同ずべし。禅苑清規に云く、二時の粥飯、理すること合に精豊なるべし。四事の供須、闕少せしむることなかれ。世尊二十年の遺恩、児孫を蓋覆す。白毫光一分の功徳、受用不尽と。然あれば則ち、ただ衆に奉することを知って、貧を憂うべからず。もし有限の心なくんば、おのずから無窮の福あらんと。けだしこれ衆に供ずるは住持の心術なり。供養の物色を調弁するの術は、物の細を論ぜず、物の麤を論ぜず、深く真実の心・敬重の心を生ずるを詮要となす。見ずや、漿水の一鉢もまた十号に供じておのずから老婆生前の妙功徳を得、菴羅の半果もまた一寺に捨して、能く育王最後の大善根を萌し、記莂を授かり、大果を感ぜり。仏の縁と雖も、多虚は少実に如かず。これ人の行なり。いわゆる醍醐味を調うるも、未だ必ずしも上となさず。莆菜羹を調うるも、未だ必ずしも下となさず。莆菜を捧げ莆菜を択ぶの時、真心・誠心・浄潔心にして、醍醐味に準ずべし。ゆえは何んとなれば、仏法清浄の大海衆に朝宗するの時は、醍醐味を見ず、莆菜味を存せず。ただ一大海味のみ。いわんやまた道芽を長じ、聖胎を養うの事は、醍醐と莆菜と、一如にして二如なきをや。比丘の口竈のごとしの先言あり。知らずんばあるべからず。想うべし、莆菜能く聖胎を養い、能く道芽を長ずることを。賤となすべからず、軽となすべからず。人天の導師、莆菜の化益をなすべきものなり。また衆僧の得失を見るべからず。衆僧の老少を顧みるべからず。自なお自の落処を知らず、他いかでか他の落処を識ることを得んや。自の非をもって他の非となす、あに誤らざらんや。耆年と晩進と、その形異なりと雖ども、有智も愚朦も、僧宗これ同じ。また昨は非なるも今は是、聖凡誰れか知らん。禅苑清規に云く、僧は凡聖となく、十方に通会すと。もし一切の是非管することなしの志気あらば、那ぞ直趣無上菩提の道業にあらざらんや。もし向来の一歩を錯らば、便乃ち対面して蹉過せん。古人の骨髄、全く恁のごときの功夫をなす処にあり。後代当職を掌るの兄弟も、また恁のごとき功夫をなして始めて得てん。百丈高祖の規縄、あに虚然ならんや。山僧帰国よりこのかた、錫を建仁に駐むること一両三年、彼の寺愗にこの職を置けども、ただ名字のみあって、全く人の実なし。未だこれ仏事なることを識らず。あに敢て道を弁肯せんや。真に憐憫すべし、その人に遇わずして虚く光陰を渡り、浪りに道業を破ることを。曾つて彼の寺を看るにこの職の僧、二時の斎粥に、すべて事を管せず。一りの無頭脳無人情の奴子を帯して、一切大小の事、すべて他に説向す。正を作し得るも、不正を作し得るも、未だ曾つて去いて看せず。隣家に婦女あるがごとくに相い似たり。もし去いて他を見ることを得ば、乃ち恥とし、乃ち瑕とす。一局を結搆して、或は偃臥し、或は談笑し、或は看経し、或は念誦して、日久しく月深けれども、鍋辺に到らず。いわんや什物を買索し、味数を諦観せんや。あにその事を存せんや。何にいわんや両節の九拝、未だ夢にだも見ざるあり。時至って童行を教うるにまた未だ曾つて知らず。憐むべく悲しむべし。無道心の人、未だ曾つて有道徳の輩に遇見せず。宝山に入ると雖も、空手にして帰り、宝海に到ると雖も、空身にして還ることを。応に知るべし、他未だ曾つて発心せずと雖も、もし一りの本分人に見えば、則ちその道を行得せん。未だ一りの本分人に見えずと雖も、もしこれ深く発心すれば、則ちその道を行膺せん。既に両闕をもってせば、何をもってか一益あらん。

大宋国の諸山諸寺に、知事頭首の職に居るの族を見るがごときは、一年の精勤たりと雖も、おのおの三般の住持を存し、時と与にこれを営み、縁を競うてこれに励む。已に他を利するがごとく、兼ねて自利を豊にす。叢席を一興し、高格を一新す。肩を斉しうし頭を競い、踵を継ぎ蹤を重んず。ここにおいて応に詳かにすべし。自を見ること他のごとくなるの癡人あり。他を顧みること自のごとくなるの君子あることを。古人云く、三分の光陰二早く過ぐ、霊台一点も揩磨せず、生を貪り日を逐うて区区として去る、喚べども頭を回らさず争奈何せんと。須らく知るべし、未だ知識を見ざれば、人情に奪わるることを。憐むべし、愚子、長者所伝の家財を運出して、徒に他人面前の塵糞となすことを。今乃ちしかあるべからざらんや。嘗観すべし、当職前来の有道は、その掌その徳おのずから符うことを。大潙の悟道も典座の時なり。洞山の麻三斤もまた典座の時なり。もし事を貴ぶべき者ならば、悟道の事を貴ぶべし。もし時を貴ぶべきものならば、悟道の時を貴ぶべきものか。事を慕い道を耽しむの跡、沙を握りて宝となすもなおその験あり。形を摸して礼を作すも、しばしばその感を見る。何にいわんや、その職これ同じく、その称これ一なるをや。その情その業、もし伝うべきものならば、その美その道、あに来らざらんや。

およそもろもろの知事頭首および当職作事作務の時節、喜心・老心・大心を保持すべきものなり。いわゆる喜心とは、喜悦の心なり。想うべし、我れもし天上に生ぜば、楽に着して間なし。発心すべからず。修行未だ便ならず。何にいわんや三宝供養の食を作るべけんや。万法の中、最尊貴なるものは三宝なり。最上勝なるものは三宝なり。天帝も喩うるに非ず。輪王も比せず。清規に云く、世間の尊貴、物外の優間、清浄無為なるは、衆僧を最となすと。いま吾れ幸に人間に生れて、しかもこの三宝受用の食を作る。あに大因縁にあらざらんや。もっとももって悦喜すべきものなり。また想うべし、我れもし地獄・餓鬼・畜生・修羅等の趣に生れ、また自余の八難処に生れば、僧力の覆身を求むることありと雖も、手づからみずから供養三宝の浄食を作すべからず。その苦器によって苦を受け、身心を縛すればなり。今生既にこれをなす。悦ぶべきの生なり。悦ぶべきの身なり。曠大劫の良縁なり。朽つべからざるの功徳なり。願わくは万生千生をもって一日一時に摂し、これを弁ずべく、これを作すべし。能く千万生の身をして良縁を結ばしめんがためなり。かくのごとき観達の心、乃ち喜心なり。誠にそれたとい転輪聖王の身となるも、供養三宝の食を作るにあらざれば、ついにその益なし。ただこれ水沫泡燄の質なり。

いわゆる老心とは、父母の心なり。譬えば父母の一子を念うがごとく、三宝を存念すること一子を念うがごとし。貧者窮者、あながちに一子を愛育す。その志如何ん。外人は識らず。父となり母となって方にこれを識る。自身の貧富を顧みず、ひとえに吾が子の長大ならんことを念う。自の寒きを顧みず、自の熱きを顧みず。子を蔭い子を覆う。もって親念切切の至りとなす。その心を発すの人、能くこれを識る。その心に慣うの人、方にこれを覚るものなり。然あれば乃ち水を看、穀を看るに、みな子を養うの慈懇を存すべきものか。

大師釈尊は、なお二十年の仏寿を分って、末世の吾等を蔭いたもう。その意如何ん。ただ父母の心を垂るるのみ。如来全く果を求むべからず、また富を求むべからず。

いわゆる大心とはその心を大山にし、その心を大海にし、偏なく党なきの心なり。両を提げて軽しとなさず、鈞を扛げて重しとすべからず。春声に引かれて春沢に遊ばず、秋色を見ると雖もさらに秋心なし。四運を一景に競い、銖両を一目に視る。この一節において、大の字を書すべし。大の字を知るべし。大の字を学すべし。夾山の典座、もし大の字を学ばずんば、不覚の一笑もて、太原を度することなからん。大潙禅師、大の字を書せずんば、一茎柴を取って、三たび吹くべからざらん。洞山和尚、大の字を知らずんば、三斤の麻を拈じて、一僧に示すことなからん。応に知るべし、向来の大善知識は、倶にこれ百草頭上に、大の字を学し来って、今乃ち自在に大声をなし、大義を説き、大事を了じ、大人を接し、者箇一段の大事因縁を成就するものなり。住持・知事・頭首・雲衲、阿誰かこの三種の心を忘却するものならんや。

旹に嘉禎三丁酉の春、記して後来学道の君子に示すと云う。

観音導利、興聖宝林禅寺、住持、伝法沙門、道元記す。

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