象の親子

 昔、ヒマラヤに象の母子が住んでいた。息子の象は全身が雪のように白く輝いていて、その美しさはまぶしいほどだった。彼は八万頭もの象を従えている象の王者でもあった。この象の母親は目が見えず、えさを探すことも不自由な身の上だった。親孝行な息子は、おいしい果物を見つけるたびに、ほかの象に頼んで母親のもとへ届けていた。
 ところがその象たちは、預かった果物を母親には届けず、こっそりみんな自分たちで食べていたのだった。やがてそのことを知った息子の白象は、すっかり象の仲間にいや気をさしてしまった。そこで仲間を捨てて、母親とともにヒマラヤを後にした。
 みんなに気づかれないよう夜のうちに出発し、チャンドーラナ山のふもとに着いた。
 そこに清らかな水をたたえた池を見つけ、白象は大喜びであった。早速近くのほら穴に母親を住まわせ、それからは池の水で体を洗ってやったり、新しい土地で見聞きしたおもしろい話を聞かせたりして、むつまじく暮らしていた。
 ところがある日、この山の道を泣きながら歩いてくる男の声が聞こえた。あまり大きな泣き声なので、白象は気の毒に思い、声をかけた。
 「いったいどうなさったのですか。わたしを怖がることはありません。お力になれるかもしれませんから話してごらんなさい」
 「ありがとう」
 男はしゃくり上げながらも、ほっとした様子で話しだした。
 「わたしはバーラーナシーの都に住む者です。山の中で道に迷ってしまったんです。もう七日間も山の中を歩き回ってへとへとなんです。」
 優しい白象は男がかわいそうになり、自分の背中に乗るように勧めた。
 「わたしの背中で疲れを休めなさい。わたしが人間の住む辺りまで運んであげましょう」
 彼らは険しい山道や生い茂る草木を分けて進んでいった。
 しかし、せっかくの象の親切も良い実を結ばなかった。この男は悪知恵ばかり発達した人間で、自分が助かったと安心するなり、卑しい考えで頭がいっぱいになったのだった。
──おれが乗っているこの象は、まるで雪のように白い。こんなりっぱで美しい象を王さまに売りつけたら、さぞ大金が手に入るだろう。ようし、この象が住んでいる辺りをよく覚えておいてやろう……。 
 そこで彼は、象の背中から道の様子を観察していた。珍しい形の木、森の間から見える遠い山の形、道の曲がり具合。
 やがて無事にバーラーナシーの都に着くと、この欲の深い男は王のもとへ出かけていった。
 ちょうどこのころ、王の乗っていた象が病死して、新しい象を探せという命令が都中に出されていた。男の話を聞くと、王は早速象使いや役人や力の強い男たちを集め、山へ向かわせた。
 欲張りの男が案内を務め、やがて池の中で水を浴びている白象を見つけた。象は簡単に捕らえられてしまった。彼には逃げる力がなかったのではない。彼はおとなしく頭を垂れ、されるままになりながら心の中で考えていた。
──この場所を教え、わたしを売ったのはあの時の男だな。わたしは怪力だ。千頭の象だってやっつけられる。わたしが怒れば王の兵隊をすべて殺せるだろう。だけどわたしはやめておこう。ただ怒って暴れるのはほかに能のない、品位のない者のすることだ。自分の徳を失うことになる。もっと温和に自分の気持ちを分からせる方法が、きっとあるはずだ。
 象使いはこの白象がただの者とは思えなかった。『我が子よ』と呼んではかわいがり、大切にして都まで連れてきた。
 一方、母象は何日たっても息子の声が聞こえないし、自分のそばにいる様子がないので、心が騒ぎだした。そして都の役人たちによって連れ去られたことを悟り、不安な気持ちのまま、悲しげにうたをうたった。

  優しく気高い 我が息子
  どこへ行ったか 象王よ
  力のこもった その足の
  地を踏み締める 音が絶えて
  森の草木は 伸びほうだい
  金の飾りを 身につけた
  人々彼を 連れ去った
  王こそ乗るに ふさわしい
  わたしの息子 象王を

 王はまたとない美しいりっぱな象が手に入ったとういう知らせを受け、象を歓迎するために都中を飾らせた。象舎には香水をまき、おいしい食事を用意させた。しかし、王のもとへやって来た白象は、いくら勧めても食事に口をつけなかった。これには王も困ってしまった。
 そこで、王は優しく象にうたいかけた。

  象よ食事を とりなさい
  象よやせては いけないよ
  お前にやって もらいたい
  大事な仕事は 盛りだくさん
  象よ食事を とりなさい

 象は元気なく答えた。

  食事はのどを 通りません
  養う者も 今はなく
  目も不自由な 彼女の身
  思えばわたしは 食べられない
  彼女は悲しみ 泣き暮れて
  チャンドーラナの 山深く
  足で木株を たたいてる
  悲しい音が 耳を打つ

 王は驚いて尋ねた。
 「象よ。彼女ってだれなのだ。お前が食事をとれないほど、その身を案じている盲目の彼女はお前のなんなのだ」
 象は重ねてうたった。

  チャンドーラナの 山深く
  悲しみ嘆く 彼女とは
  それはわたしの 母親です
  養う者も 今はなく
  目も不自由な 我が母です

 王はすっかり心を打たれ、すぐさま象をチャンドーラナへ返してやった。白象は喜び勇んで母の所へ駆けていった。そして清らかな池の水を鼻で吸い上げ、汚れた母の体に注いでやった。
 悲しみに暮れていた母象は、雨が降ってきたのだと思い違いをしてしまった。母は雨に向かってどなりつけた。

  時わきまえず 雨降らす
  愚かな神は だれなのです
  我が最愛の 象王が
  連れ去られたる この時に

 白象はほほ笑み、自分が帰ってきたことを優しく母に告げた。それもすべてカーシ国王ビデーハのおかげだと話した。母はその見えない目から涙を流して喜び、感謝の気持ちを唱えた。

  孝行者の 我が息子
  わたしの息子を 返してくれた
  カーシの王に 栄えあれ
  長く幸あれ カーシ国

 王はやがて、この輝くように美しい白象の姿を石で彫らせ、大切に扱った。毎年、国の人々は各地から集まってきてはこの彫像を囲み、象の祭りを祝うようになったのだった。

(ジャータカ455)
類話(仏説菩薩本行経下。マハーバスツ3。仏本行集経56。雑宝蔵経2・15話。僧伽羅刹所集経上。大唐西域記9。今昔物語集5・26話。)