前世の記憶
SMAPにハマる以前の私の目から見たSMAP見聞記(笑)
昭和63年あたり(推定)
今となってはちょっと恥かしいが、私は当時CHA-CHAのファンであった。(一番好きだったのは去年西村知美と結婚した西尾くんである・・・ははははは)
彼ら目当てに買っていたアイドル雑誌には(ちなみに当時、光GENJI全盛時代)、おそらく結成間もないSMAPが載っていた。・・・載っていた、という事実は覚えているのだが、当時の私の感想は「あらまあ、また新しい子供たちが・・・」であった。CHA-CHAから足を洗った時点で雑誌の山を処分したのを、SMAPにハマってから激しく後悔したことは言うまでもない。
平成元年あたり(推定)
ふとTVをつけていたらSMAPの番組をやっていた。ファンの女の子2人とメンバー1人が組んで暗号をときながら街中で宝をさがすみたいな企画であった。(この番組名が今となっては不明・・・どなたか教えて下さい〜)(←と駄々こねてたら友人Nさん(この後平成6年頃にも登場(笑))が教えてくれました。「SMAPの学園KIDS」だそうです〜。さんきゅ!)
片方のメンバーは元気いっぱいのご陽気なヤツで、通りすがりの人に「○○って知らない〜?」と声をかけて無視され、「冷たいんだね〜。まーいーやー。じゃーねー。」と言いながら走り去っていった。あ、なんかこいつ面白いヤツ、と思った。彼の名は、中居正広というらしかった。
もう一方のメンバーは暗号がとけずに嫌になってきたらしく大変気乗りのしない様子で(笑)、ファンの女の子を困惑させている。その拗ね拗ねぶりがなんかアイドルっぽくないぞ、とこれまた面白く思う。彼の名は、稲垣吾郎といった。
私の中でSMAP個体認識のはじまった、記念すべき瞬間であった。
同じ番組で、SMAPのメンバーが2人一組でいろいろなスポーツに入門しに行くのも見かける。(乗馬とかキックボクシングとかあったような気がする。)ボロボロになりながらも最終的にはなんとか形になっている2人に、なんかすごいわこの人たち、と思う(私は運動音痴のため「できないものはどう努力してもできない」悲しさが身にしみている)。
あとから思うとこれが木村・森のコンビであった。
ケーキ屋に他の2人が一日入門する、というのも見かける。感想は「入門させてくれたケーキ屋に失礼だろう」(笑)。悪ふざけしまくり〜のただのお子様2人であった。慎剛コンビである。
平成3年あたり(推定)
テレビ東京系のネット局のない私の住む地方では、「愛ラブSMAP」は深夜1時から放映というとんでもないことになっていた(現在の愛ラブジュニアなんて1時25分からだ。誰が見てるんだ)。仕事がら深夜帰宅が多くなっていた私は期せずしてたびたびこ番組を見ながら遅い晩御飯をとるようになる。
ある日、揃いのオーバーオールを着た子供たちが、椅子を小道具に「先生さよーならっ」とか言いながら歌い踊っているのを見る(「正義の味方」ですわね)。・・・年上のメンバーなんて高校生ぐらいだろ?こんな歌歌ってて悲しくはならないのだろうか?と、アイドル稼業についてしばし思いをめぐらせる。
「夢で逢えたら」を楽しく見ていた私は後番組の「夢がMORIMORI」をなんとなく見るようになる。当時のSMAPに対する感想は「こんなとこに抱き合わせで出るのかぁ」という失礼なものであったが、芸能人の余技を見るのが妙に好きな私は(タレント運動会とか水泳大会とか大好きだった)キックベース目当てによく見ていた。見ているうちに気になってきたのが音松くん(笑)。特に青松の、日に日にからくり人形状態になってくる謎のキャラクターにうっとりする(私はキャラクター的に「そこまで捨てるか!」という人に大変弱い)。
そうこうしているうちに、盆栽で殴られている黄松に重ねて「初めてのアドリブ!」というでかい文字のスーパーが出るのを目撃。おお・・・アイドルなのにねぇ、がんばったんだねぇ、としみじみする。この時点で、全員の名前を覚えていることに気付く。
平成4年あたり(推定)
「愛ラブSMAP」の「SMAP DUNK」に興味をひかれる。ロゴも「SLUM DUNK」に似せたバスケットのコーナーであるが、芸能人の余技を見るのが大好きな私は、出ているSMAPさんたちが真剣にとりくんでいたこともあり、妙にこのコーナーが好きになる。今思い出してもこのSMAPさんたちは大変オットコ前だった(特に中居さんと木村さん)。
当時SMAPさんたちはででんのでんのCMをやっていた。その中に「僕の子機だけ呼び出して、家族に迷惑かけません」というバージョンがある。最後に受話器を持ちながらこの台詞を言うのは木村さんなのだが、その時の視線くばりに目をひかれる。なんというか、アイドル(特に男性)の出ているCMは、アイドルが出ていることに意義がある、といおうか、「アイドルゆえに許される」サムい演技がつきまとうものなのだが、この木村さんは「アイドル」という免罪符を抜きにしても良いような表情をした。あ、この子はきっと演技をしても使えるヤツだ、と偉そうな感想を抱き、ちょっと楽しみな気持ちになる。
平成5年
中居さんのサラサラキレイだがスダレのように長い前髪が気になり、「それはアイドルの世界ではイケてるのか?」という疑問をいだく。彼のいでたちが「アイドル的には」とかそういう範疇の問題でないことはまだ知らない(笑)。
「夢がMORIMORI」のテーマソングが$10になる。新曲は好きかときかれて剛くんが「僕はちょっと・・・」と言い淀み、そういうネタもありなグループなんだぁ、と楽しくなる。カラオケで歌えると面白いかも?と思いはじめる。
「嘘でもいいから」がはじまる。初回の吾郎ちゃんのベッドシーンに度肝をぬかれる。アイドルが「23才エリート公務員(省庁勤務)」をさしたる違和感なく演じていることを誰かに自慢したい気持ちになる(なんで?)。吾郎ちゃんの役はナイーブかつ若さゆえの迷いと身勝手さを持つ青年で、役的にも大ハマリだったと思う。放映中たびたび見惚れる。
「あすなろ白書」がはじまる。取手役の眼鏡をかけた木村くんが大変気に入り、誇らしい気持ちになるが(だからなんで?)、途中で石田ひかりと岩城晃一がメインの話が続き、耐えられず挫折。
平成6年
「がんばりましょう」をカラオケで同僚が歌っているのを聞き、面白い歌詞だなぁと思う。「仕事だから」の部分、「東京タワーで・・・」の部分で「努力と根性」をストレートにうたわないあたりの作詞に感心する。以来現在にいたるまで、小倉めぐみさんのちょっとヒネたリアルな歌詞が大好きだ。
「たぶんオーライ」が発売される。「愛ラブSMAP」で披露された時、歌い踊るSMAPを見て「カッコいい・・・」と息をのむ(笑)。黒っぽいアレンジ、ダンス、衣装(特に白黒アニマル縞衣装)、メンバーの表情、全てがカッコ良く、すごいカタルシスを覚える。歌うSMAPを見て快感を覚えたのはこれがはじめて。「うっわーこの曲好きぃ〜」という瞬間は、いつも突然にやってくる。
平成7年
仕事が忙しく、深夜帰宅ますます増える。帰宅途中のコンビニで、売れ残っていたらしいローソンビデオを衝動的に買う。これがはじめてのSMAP関係の購入物であった。
その後、友人との電話で「SMAPってちょっと気になる」発言をする。この時私の気になるポイントは吾郎ちゃんであった。「吾郎ちゃんって歌ってる最中カメラアップがあると必ず歌詞を間違えてるよね」「吾郎ちゃんって騙されて連れてこられてわけもわからず踊らされている異国の王子様って感じ」という、お前がワケわかんねーよ、な発言をしたらしい。本人よく覚えていない。
上京した折、いつのまにか先にSMAPにハマっていた前出の友人宅に泊まる。ここで「SEXY SIX SHOW」のビデオを見せてもらい・・・オチた。
以後、狂乱の日々がはじまる。
半年後にはSMAPのTV番組を目の色を変えて録画しまくるようになるとは、この時の私はまだ知らない。
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