大特集・クリムゾン&ジェネシスの世界探求 ( 音楽専科 1975-5 )
音楽専科のタイトルは大仰です。なんと「現代プログレシヴ・ロックの雄、GENESISとCRIMSON王崩御の軌跡総点検」だそうだ。(爆) ジェネシスは1970年頃から既にアルバムを発表しているが、日本国内で彼等のレコードが聴かれるようになったのはこの頃からだ。立川直樹氏が「眩惑のブロードウェイ」を評してピンクフロイドのライバルになるかもしれない衝撃の問題作、と紹介したあたりから、ELP、イエス、クリムゾンなどを聴き終えたプログレ兄ちゃん(今オヤジ?)達が触手を伸ばし始めたようだ。(私自身は貧乏だったので、ジェネシスをしっかりと聴いたのは70年代後半になってからだったが・・・。)
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来日したPFMにインタービュー( MUSIC LIFE 1976-1 )
PFMは1975年11月23日に渋谷公会堂で来日コンサートをしている。後からユーロロックファンになった
者にとっては羨望の出来事だ。私の場合、ELPやYESの初来日は年齢的にやむを得ないにしても、このPFMの来日と
RUSHの来日を見落としたのは痛恨の極みだった。そう思ってマリリオンの初来日は
仕事そちのけにして行った。正解だったぞお〜。(笑) 記事の方は編集長じきじきにインタビューしたもの。でも、たったの2ページ。(^^;
ベルナルドランゼッティが二言くらい話したのち、後はマウロパガーニが答えている。内容はラジカルな政治的発言でいっぱい・・・。
ミラノ大学在学中に急進的な左翼セクトの運動家だったマウロパガーニが、新作「チュコレートキングス」のコンセプト
である米国文明批判をここでも堂々と展開している。1975年頃のイタリアは、米国での1968年、日本でいえば1969年あたりに相当する学生運動のピーク的な状況があったようだ。
彼は「第二次大戦の敗戦国であるイタリアには戦後、米軍が進駐し、。
チョコレートを配りながら米国の主義主張を押しつけ、イタリア人の心の中にある伝統文化を破壊した。」といっているが、
その状況はかつての日本と同じだ。しかし、76年当時の日本は既に60年代からの学生運動は既に崩壊気味で、
一般の若者は「しらけ一色」で政治のセの字にも関心を持たない雰囲気になっていたから、
この記事はそこ頃のミュージックライフの中では変わった雰囲気を醸し出している。
最近、マウロパガーニは上記のコンセプトを音楽に持ちこんだのは誤りだったというような
発言をどこかのインタビューでしていたが、この時のマウロ・パガーニはトンガリ放題にとんがっている。(笑)
そこを動乱の時代を経ているであろう?水上はるこ編集長が、PFMの政治的ラジカルさを理解しつつ
冷静に記事にまとめているところはサスガというべきか?(^^)
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謎に包まれたヨーロッパロックシーンを探る( MUSIC LIFE 1976-3 )
ミュージックライフ史上、最大のユーロロック特集。たったの4ページ。(笑) しかし、侮ってはいけない。
世は正にクイーンブームからベイシティローラーズブームへの転換期。そんな誌面の中でのこの特集は光る。
なかむらよういちさんって方が、伊、独、仏、北欧など各国別に47ものバンドを紹介している。当時、既に国内盤
が出ていた作品をまずおさえ、次に輸入盤でしか入手出来ないものについても重要だと思われるところを紹介。
フォーカス、PFM、タンジェリンドリーム、クラフトワーク、ネクター、マグマ、ゴングなどの有名
どころから、カン、アモンデュール、ファウスト、ノイ、トリアンヴィラート、バンコ、オルメ、オサンナ、クリアライト、
アクアフラジーレ、アンジュ、アフロディスチャイルドなど、当時はややマイナーだったバンドが、日本のメインロック
プレス?で紹介された影響はそれなりにあったのではないだろうか。この4〜5年後に、キングレコードのユーロピアン
ロックコレクションによって日本中に知れ渡るバンドが既にここで見事に整理され、紹介されているのだから。
ミュージックライフを侮ってはいけない。無論、この時期から
稀少な輸入盤を買い捲る猛者もおられたようだが、それは私のような田舎者には無縁な出来事だった。
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イエスのメンバーに直撃インタビュー( MUSIC LIFE 1976-4 )
ロック・ミュージシャンに対するインタビューというのは、昨今、ミニコミレヴェルの雑誌でも行われているが、そのほとんどが来日時のプロモーション用のためのものだ。ところが当時勢いのあったミュージックライフは違う。水上編集長、東郷記者、長谷部カメラマンがロンドン現地取材を敢行! 次々に大物バンドのインタビューを録っていく様は正にML黄金時代というべきか? 他の音楽雑誌では考えられない豪華さだ。その目玉はなんと云ってもポール・マッカ−トニー&ウィングスなのだが、ま、それはこの頁では置いといて・・・、イエスのスティーヴ・ハウ、クリス・スクワイア、アラン・ホワイトにも直撃インタビューしてるのが嬉しい。各人がソロアルバムを出し終え、「究極」のレコーディングを始めた時期のはずだが、残念ながらその内容については語られていない。今から考えればシビアな時期だったのかも知れない。まあ、インタビューに応じてくれただけでも凄いよな。その他に、マイケル・シェンカー在籍時のUFOのインタビュー、マンティコアのオフィスでキース・エマーソンとピート・シンフィールドの様子をパチリ。さらに「ムーンマッドネス」をレコーディング中のキャメルをも訪問して証拠写真をパチリ。・・・と、それぞれ話自体には中味が無いが、これだけのミュージシャンにアポがとれてるところが、この雑誌の凄さか???
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特集・プログレッシブロックを洗いなおす ( NEW MUSIC MAGAZINE 1976-5 )
1976年。プログレが一段落した頃に行われたニューミュージックマガジンによる30ページにも及ぶプログレッシブロックの
総括的特集。中身はプログレという4文字の日本語に潜む非前進的な体質(ってえと「ぷろぐれ」なんて平仮名で書いてるこのページは最低ってことか・・・)への批判をはじめ、プログレと呼ばれながらも全く進歩してないミュージシャンへの批判、「黒人音楽の後に聴けば退
屈だ」などなど厳しい意見のオンパレードだ。まあ、記事を読んでいくと、まあ逐一そのとおりだとは思う。(^^;
私自身もユッスーのアルバムを聴いた後にプログレを聴くとちょっと退屈に感じたりもする。(笑)
実際、ブリティッシュプログレッシブロックがプログレッシブだった時期は長く見積もっても1973年頃までだろう?
その後は様式化して平仮名四文字の「ぷろぐれ」になったのではないかと思う。だから私は臆目も無くこの四文字を使う。もちろん、1973年以降もマイナーシーンに目を向ければ進歩的なバンドがいなかったわけではない。そのようなバンドは
今でも存在する。でも、そういうバンドが多くの人々から注目されたり、チャートを登るようなことは
なくなった。だからこの時期の総括としてはMNNの記事どおりで良いのではないかと思うのだ。
好意的に解釈すれば「真にプログレッシブな音楽を創って欲しい」と総括したようなものだからね・・・。
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特集・現在からみたEL&P ( rockin'on 1976-10 )
さあ、いよいよロッキンオンの登場。(笑) この頃のロッキンオンはまだ隔月刊のマイナー雑誌。
大手取次にのるようになり、大きな書店に行けば手に入るようになった頃だったのかも知れない。
マイナー雑誌であったかを如実に示すものとして、「架空インタビュー」シリーズなんてのがあった。
当時のロッキンオンは外国のプレスと特約するお金も無ければ、外タレが来日してもインタビューをとること出来なかったのだろう。
今やおしもおされもせぬ大御所雑誌、隔世の感があるな・・・。(^^)
このELPの特集に関しても、直接取材した原稿は一切無し。(笑)
それでも、この雑誌は読んでいて楽しい。内容はたぐちくにこさんという高校の先生による
ELPの訳詞や評論。ELPの本質をエマーソンの「色彩を感じさせない鋭い音」
と表現する感性には感服した。そうなんだ。結局はそれが魅力だったのかも知れない。(^^;
もちろん、レイクの唄心があったからこそミリオンセラーにもなったんだろうが、
ELPは結局はエマーソンなのだ。特集には岩谷宏氏によるELP評も載っている。
当時は難しいことを書く立派な人だと思っていた。(爆笑) このページを読めば理解できると
思うが、私はアタマ悪いんで、あんまりダイソレタことは申し上げられないが、
岩谷氏の文章をいま読み返してみると、はっきり言って気分が悪くなる。(^^;;;;
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