ぷろぐれ古雑誌

70年代のロック雑誌の中からプログレに関する面白い記事を紹介。

グラハムボンネットくん ( MUSIC LIFE 1969-7 )
ジェスロタル登場!!( NEW MUSIC MAGAZINE 1969-12 )
ニュースター登場・EL&P ( NEW MUSIC MAGAZINE 1971-4 )
来日するEL&P、ジェスロ・タル ( NEW MUSIC MAGAZINE 1972-7 )
独占インタビュー、イエスの今日と明日 ( MUSIC LIFE 197-11 )
謎多きクリムゾン宮殿の新しい姿( 音楽専科 1974-1 )
今なら買える幻の名盤 ( NEW MUSIC MAGAZINE 1974-3,4 )
謎のグループ/ゴング&ソフト・マシーン徹底分析 (音楽専科 1974-6)
イエス・サウンドの徹底分析 ( MUSIC LIFE 1974-5 )
キングクリムゾンの哀歌は終わった ( NEW MUSIC MAGAZINE 1974-8 )
総力特集、プログレッシヴ・ロック総括 ( 音楽専科 1974-10 )
話題のヴァージンレーヴェルとそのアーチスト達 ( 音楽専科 1974-11 )
ピンクフロイド・サウンド完全分析 ( MUSIC LIFE 1975-2 )
ELPが一般音楽雑誌の人気投票で1位!!( MUSIC LIFE 1975-3 )
大特集・クリムゾン&ジェネシスの世界探求( 音楽専科 1975-5 )
来日したPFMにインタビュー( MUSIC LIFE 1976-1 )
謎に包まれたヨーロッパロックシーンを探る( MUSIC LIFE 1976-3 )
イエスのメンバーに直撃インタビュー ( MUSIC LOFE 1976-4 )
特集・プログレッシブロックを洗いなおす ( NEW MUSIC MAGAZINE 1976-5 )
特集・現在からみたEL&P ( rockin'on 1976-10 )

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グラハムボンネットくん ( MISIC LIFE 1969-7 )
プログレではないが「マーブルズ」という英国のアイドルグループのインタビューが掲載されて いる。無茶苦茶かわいい顔して好きな食べ物や好きな色など、しょうも無い質問に答えているのは当時22 歳のグラハムボンネット。アルカトラズのグラハムボネットだ。ボンネットってのも笑えるが、 その容貌はアルカトラズ時のあの暴*団顔とは全く異なる可愛い僕ちゃん。写真を転載出来ないのが本当に残念な ほどカワイイ顔だ。「ぼくたちは今日のために仕事をしている」とアイドルらしい爽やかな受け応えを しているところが、かつての日本のアイドル歌手同様、実にけなげで泣かせてくれる。

ジェスロタル登場!!( NEW MUSIC MAGAZINE 1969-12 )
ニューミュージックマガジン(現ミュージックマガジン)は1969年4月に創刊されている。それまで世にあったグラビア中心の ロック雑誌とは異なり、硬派記事がズラリと並ぶ難し〜い(笑)雑誌だった。レコードコレクターズは別として、今では本誌でプログレを取り上げることはほとんどないが、70年代前半までは折に触れてプログレの記事を載せていた。 しかし、この時期のNMMは基本的にブルースやフォークなどアメリカ音楽関係が多く、プログレ関連の記事はほとんどない。 それが実に創刊9号目にしてようやっとニュースター登場「ジェスロタル」という記事が1ページを割いて登場する。  内容自体はごく定形的なものだが、その記事を書いている方は水上治さんという女性。う〜む、この方はもしかして、その後、星加ルミ子さんの後を継いでミュージックライフの編集長になる水上はる子さんその人ではなかろうか?? 筆名は水上さんの好きな作家である水上勉と太宰治から付けたものらしいが、翌年には「水上はるこ」となっているので、やっぱり水上はるこ編集長のようだ。 その他、この号では「ナイスの思想」がアルバムレビューされている。得点はたった70点。(^^; 板倉マリさんという方がレビューをしており、「彼(キースエマーソン)はテクニシャンだが、スティーヴ・ウィンウッドほどの 表現力は持っていない。」と断言している。キビシーッ!!(笑)  持ってないのではなく、持ったような演奏をしないところが、彼なりの表現だっちゅーの!(^^;

ニュースター登場・エマーソンレイク&パーマー( NEW MISIC MAGAZINE 1971-4 )
タルの登場時と同じニュースター登場というコーナーで、エマーソンレイク&パーマーが水上はる子さんによって紹介されている。 月にELPのアルバム(1st)が初めて日本で発売されるのに先だっての紹介のようだ。世間の評価が定まっていない新しいロックが次々に登場していた時代だから、当時の雑誌記事やレコードのライナーノーツの中には、現在から読み返すとまったくのピンボケ?  あるいは勘違いを平気でしてるような原稿も少なくないのだが、ここでの水上さんの文章は、すべてを結果論で 評価が可能な現在から読み返しをしてみても内容的に的確で破綻がない。この記事からはデビュー前からスーパーグループだった ELPへの熱い期待みたいなものが伝わってくる。いいよなあ、リアルタイムってことは・・・。 この号では他に同じニュースター登場の欄にアフィニティーが紹介記事されている。ピートシンフィールドが詩を書いていたバンド だったと思うが、日本でクリムゾンやELPが発売になる以前からこんなのが日本盤で出ていたとは驚きだ。  NMM誌といえばやっぱり「アルバムレビュー採点欄」。この号、プログレ系が賑やかだ。 前出のアフィニティーは80点、シドバレットが90点、コラシアムの「ドーターオブタイム」が87点、イエスの「時間と言葉」が 75点。おおっイエスの初登場記事だ!! ・・・・・ところが例によって板倉マリさんが、イエスの「時間と言葉」について 「(MME誌からZEPPと共に期待されたのに)今もってトップグループになり得ないのは、自分たちの音楽を把握しきれていないの か、それとも拒んだものか、ピンボケというのかも知れない。」と実に手厳しい。確かに発展途上の音ではあると思うけど、「ピンボケ」とはチョット言い過ぎだよな。(笑)  御指摘の甲斐があったのか(?)イエスは次のサードアルバムで見事に自分達のスタイルを完成することになる。  なんと同じ号のロックアルバム100選という特集で早くも「クリムゾンキングの宮殿」が輸入盤として紹介されているではないか!! しかも、中村とうよう氏ジキジキの紹介だ。とうよう氏は「...感覚にバッチリ来てしまうのだ。歌詞もなかなか高度。」と結構ベタ褒め状態。うれしいなあ。とうようさんがここでこんなにクリムゾンを褒めていたとは・・・。(^^;

来日するEL&P、ジェスロタル ( NEW MUSIC MAGAZINE 1972-7 )
来日を前にEL&Pとジェスロタルの評論が掲載されている。傑作なのは木崎義二さんが「ELPの神格化はやめよう」 と訴えているところ。まだ、英国からの情報が少なかった当時の日本では、ELPはインテリグループ(?)と捉えられていたのか、 エマーソンをクラシックやジャズのピアニスト然とした繊細な人物と勝手に想像していた人も多かったようだ。 ところが「ハモンドオルガンをひっくり返し、ステージで寝転がったりするエマーソンの迷演技が見られるELPのフィルム」を 見てしまった木崎さんは、来日を前に日本国内での誤解(?)を解いておかねければと思われたようなのだ。日本公演を経てからはワイルドなエマーソンがパブリックイメージとして定着したが、この時点ではそうでも無かったことがこの記述から伺える。 また、この号にはウドー音楽事務所による7月23日後楽園球場でのELPのコンサート告知広告も大きく載っており、 来日前夜の緊迫感が伝わって来る。「チケットぴあ」もまだ無く、コンサート告知が月刊誌でも可能だったのだ。 その他、この号にはイラストレーター横尾忠則氏によるサードイヤーバンド論が5ページにわたって掲載されている。 これは日本のプログレ界にとって、かなり貴重な文章なるのかも知れない。

独占インタビュー、イエスの今日と明日 ( MUSIC LIFE 1973-11 )
「イエス、そのすばらしいサウンドの秘密!海外取材」なんて銘打っているけれど、メロディーメーカーの特約記事が「海外取材」ってところが凄いと云えば凄い??(^^; 取材しているのはクリスウェルチ。「海洋地形学」録音中のイエスにインタビューしながら、記事を書いている。 リックウェイクマンがキースエマーソンについて「若いのにしちゃ、OKさ。」と答えていたり、 アランホワイトが「ELPはメカニック過ぎるんじゃないかないかなぁ」と言っていたりするなど、 ほのかなライバル意識が伺える興味深い部分もあったりする。 面白いと思ったのは、アランホワイトがプラスチックオノバンド時代、 「ジョン(レノン)から何回かリンゴのようにシンプルにやれって云われたけれど...。」と告白しているところ。 これはなかなか深い。いいなあ、ジョンならこれで良い。(^^) ジョンの前ではクリススクワイアもベースの ミックスレベルを下げてシンプルに演奏せねばならないってことか。(笑)  時代がいよいよプログレッシブロックになってきたようで、 この号にはテンペストやフォーカスのインタビューが掲載されている他、PFMの「幻の映像」が国内発売を前に、 「今月のVIP」(新人紹介)でPFMが紹介されている。おそらく、これはPFMがメディアで、きちんと紹介された最初の記事ではないかと思う。 同じコーナーで、ダリルウェイ&ウルフも紹介されている。

謎多きクリムゾン宮殿の新しき姿 ( 音楽専科 1974-1 )
佐藤斗司夫氏による新生キング・クリムゾンのロンドン現地レポートが掲載されている。 それによると当時のクリムゾンは開演前にメロトロンの独奏テープを 流しながら10分程度のメディテーションを聴衆に行わせていたんだと・・・。 精神統一してから聴けってことですな。な、なんと高飛車なミュージシャンなんだろう。 数々の海賊名盤を生んだ奇跡的な演奏をていた時期ならではのエピソードだが、 聴衆があまり真面目にやってたりすると、宗教的な感じがして怖いものがある。 さらにアンコールが「21世紀の精神異常者」ではなく「キャット・フード」だったことを 聴衆が喜んだってんだから凄い。この時期のシーンには勢いがあったんだね〜。 他のページを見ても、ELPが持てる力を結集した「恐怖の頭脳改革」を発表とか、 「イエスソングス」を発売したイエスの徹底解析の記事などが掲載されていて、 正にプログレッシヴ・ロックがピークにだったんだなあってことを実感。 記事のページとは別に佐藤氏本人によるクリムゾンのコンサートフォトが数枚掲載されている。 哲学者然としたフィリップは若い頃から老けてた印象があるが、 当時のコンサートの曲間コメントでは定番だったという「新聞記事とコラムを紹介」をしてる フィリップの写真は年相応に若く見える。

イエス・サウンドの徹底分析 ( MUSIC LIFE 1974-5 )
森園勝敏さんによるイエスサウンドの徹底分析。分析している方が方だけにこれは価値がある。 イエスの各アルバムを奏法や曲創りの面から分析している。 といっても、ミュージックライフの記事だから、プレヤーズマガジンのようなプレイヤー向けの専門的な分析レポートではなく、 演奏技術のことが解らない者でもそこそこ理解出来る程度に書かれている。たとえば、「燃える朝焼け」を例にとり、 「リズムセクションとリードギターのリズムに注意して欲しい。片方が4拍子で片方が8分の6拍子でやっており、 この2つのリズムが一致するのは、6と8の最大公約数を考えればわかる。つまり、4拍子の3小節目と8分の6拍子の 4小節目にリフが完全に一致する訳である。」という森園さんの解説は、中学生レヴェルの音楽と数学? の知識があれば誰でも理解できるものだ。当時も今も何も解らずに聴いてる 私にはとても御勉強になる。実際に拍子を数えながら聴くと、キマッた(リフが一致する) ところのカッコ良さは、もうカタルシス。これが好きでプログレシッブロックを聴いている人も少なくないだろう。  ところでこの号のグラビアは6ページ抜きでELPとイエスのカラー写真のオンパレード。 そのすぐ後にはジェスロタル。いよいよプログレのアイドル化、産業ロック化が始まったかなと思わせる状況も垣間見える。(^^)

今なら買える幻の名盤 ( NEW MUSIC MAGAZINE 1974-3,4)
これは記事ではない。投書欄に掲載された文章。投書した人は、東京都練馬区石神井町*−**−**にお住まいの高見博史さんという方。(^_^) 内容は当時国内盤で発売されていた英欧のロックをレコード会社別に紹介したもので、なんと2号に渡って掲載されている。クォータマス、 BJH、ケヴィン・エアーズ、イースト・オブ・エデン、ルネッサンス、クワイエット・ワールド、 マグナ・カルタ、アフィニティー、ジェントル・ジャイアント、エクセプション、アフロディス・チャイルド、アース&ファイア、グローブ・シュニットなど、当時のロック雑誌では紹介されていないようなバンドばかりがズラリと並んでいる。プログレ系の雑誌を読むと、当時高見さんは中野の 輸入レコード店に入り浸りで、伊藤政則さんとミニコミ誌を発行していたようだが、既にこでその後の活躍の 片鱗を見せている。この記事はNMMの編集部にも相応のインパクトを与えたようで、この号の「とうようズ トーク」で、中村とうよう氏は「今月のレターズ欄に載せた、やたらといろんなグループを よく聞いている人、ひょっとするとこの人も、音だけ聞いて音楽を聞いていないようなタイプかもしれないと思う。」と書いている。いやあ、これも鋭いツッコミだ。(爆) 投書欄と云えばさらに遡って 1969年12月号には、東京都中野区若宮*−**−* **方にお住まいの「鈴木康博」さんの 投書が掲載されている。内容はアメリカまで行って見てきたロックフェスティバルに関するものだが、もちろん、この方はその後あるバンドのギタリストとなる方だ。「もちろん」(笑)

謎のグループ/ゴング&ソフトマシーン徹底分析 (音楽専科 1974-6)
音楽専科はミュージックライフ同様、ビギナー向けの洋楽雑誌だったが、情報量が多く、けっこう記事で読ませる部分もあったように記憶している。 その代表的な例と思われるのが1974年6月号の「ゴング&ソフトマシーン徹底分析」。こりゃあ、ビギナー向け雑誌のやる特集じゃないな。(笑) 三好伸一さんやジャズ系に強い岩波洋三さん等による記事だが、この時点で、ゴングファミリーのアーティスト名をも含む ファミリーツリーをしっかり掲載しているところは凄い・・・。(^^; 作成者は保科ヨシヒロさんという方。ハットフィールズとかクワイエットサンなどもしっかりとツリーに入っているのだが、まだゴングそのものが謎のバンドとして紹介されている状態で、 それらのバンド名を並んでいるには驚く。きっと、この記事を読んでいる人々とってはハットフィールズあたりは、謎のまた謎のバンドだったのだろう。よく調べられた詳細な記事だ。この頃のゴングは、名作フライングティーポットやエンジェルスエッグをやってた時期で、それらの曲が演奏されたロンドンでのコンサートレポートも掲載されている。 ソフトマシーンの方は「ゼブン」が出た段階のレポート。「アランホールスワースという実力者が加入する予定」などという 今から思えば超重要情報も最新情報として、しっかりチェックされいている。その他のプログレ系の記事としてはピートシンフィールドのインタビューが掲載。彼の言うところの「アングリーミュージック(怒りうなりあげる音楽)」に対する批判の部分は、 当時の彼の状況を知る人にはけっこう意味深だったりする。ピートは結構、根に持つ人なのかも・・・。(笑)

キング・クリムゾンの哀歌は終わった ( NEW MUSIC MAGAZINE 1974-8 )
この記事を書いているのは松本勝男さんという方。大学卒業後、読売新聞で16年間、音楽評を担当していたと紹介されている。 1974年の時点での話だから、計算すると現在は60歳を越えられているってことかあ....。 この頃はキングクリムゾンがスイングジャーナル誌でも取り上げられたりもしていた。 ELP共々その頃はジャズ畑の方々から注目されていたようだ。 「ぷろぐれ」ではなくプログレッシブミュージックとして真剣に各方面から議論されていたことも推察 される。その後、ジャズは流行音楽の地位を下り、すっかり化石化してしまうし、クリムゾンも 完全に様式化した「ぷろぐれ」の象徴にされてしまう。さらにロック自体もやがて死んでしまう訳だが...。(^^; 現在でも真にプログレッシブなアーチストは世界中にいるとは思う。もちろん日本国内にもいる。 しかし、この頃のようにそういう音楽がチャートの上位に来るようことはほとんどなくなってしまったように思う。

総力特集、プログレッシヴ・ロック総括 ( 音楽専科 1974-10 )
総力特集、プログレッシヴ・ロック総括「YES、ELP、PINK FLOYDに未来はあるのか?」  ・・・ずいぶん仰々しいタイトルで18頁にわたる大特集が組まれている。コスモス・ファクトリーの鍵盤奏者、泉つとむ氏が3グループの音楽分析をしているが、歌詞、作曲、編曲、演奏、和声、効果音等々、それぞれに点数を付けて評価してるところがなんとも怪しくて良い。(笑) 一方、永年にわたりクラシックやジャズの音楽評論をしていた松本勝男さんがプログレを「ジーンズ・ルックの現代音楽家たち」として、当時、現代音楽と呼ばれていた音楽が失いかけていたものを持っているとして積極評価しているところが興味深い。また、大貫憲章氏の「80年代に生き残るミュージシャンたち」という一文は、30年後の現在から読むと予言者のように鋭い。現在がELPの時代とすれば、今後はマイク・オールドフィールドやロキシー・ミュージック&イーノの時代ってことのようだが、それが 大当たりだったことは歴史が証明している。この特集とは別に「リック・ウェイクマン、今だから話せる イエス脱退の真相」やら池上比沙之氏による「シンセサイザーの原理と構造」などの記事など、プログレッシヴ・ロックというカテゴリーが世間に定着し、そのファンが大量に増殖していた時期だけに誌面全体がプログレ系ロックの記事で満載、良い時代だ。(^_^;

話題のヴァージンレーヴェルのアーチスト達 ( 音楽専科 1974-11 )
英国のアンダーグラウンドなロックやユーロ・ロックのレコードは70年頃からほんの少しずつ日本でも リリースされていたようだが、74年、フォーカスやPFMが注目を集めるようになると、 それらのバンドをひとくくりにして紹介しようとする記事が増えてくる。 この記事はモノクログラビアでたっぷり8頁、マイク・オールドフィールド、タンジェリン・ドリーム、 ロバート・ワイアット、ゴング、ハットフィールド&ザ・ノース、ヘンリー・カウなどのが紹介されている。筆者の間章さんは、メジャーレーヴェルでは淘汰されてしまうアーティストのイマジネーションが マイナーレーヴェルで開花し、それが新しい時代の流行を創っていくだろうことを既に予見している。 事実、ヴァージンは今で云うところのインディ−ズの元祖だが、その後はすっかりメジャーレーヴェルに なってしまった。この号にはイエスに加入したパトリック・モラーツのインタビューも掲載されて いる。その中で彼はナイスのリー・ジャクソンに見いだされてレフジューに加入する以前、 ブラジルのバレエ団で演奏を担当していて、その際に来日経験があると話している。イエスは初来日以降、 何度も来日の噂が出たが、結局、80年代まで来日することは無かった。 今からでも遅くないから、リレイヤーのイエスで一度来日して欲しいものだ。 イエスに関しては何が起きてもおかしくない状況だから、実現の可能性もあるかもね??

ピンクフロイド・サウンド完全分析 ( MUSIC LIFE 1975-2 )
一連の分析シリーズはいよいよピンクフロイド。分析者は TAKE ONE という方。 奏法の分析というよりは録音やエフェクトについてのオーディオ的な分析という感じがする。 「ピンクフロイドを4chで聴けば...。」なんて記事もある。 そういえば、当時4CHステレオってのが流行してたな。 「狂気」はオーディオシショップでの試聴盤の定番。(^^) 実際、さるオーディオショップで「タイム」を4chシステムで聴いたときはタマげた。 リアルな音はぶっとびもの。 この号で注目される記事は編集長である水上はる子さんによるイーノのインタビュー。 ロックへのクラシック音楽の導入に関して、イーノは「エマーソンレイク&パーマーはどしようもないバンドですね。 彼らが日本で大変人気があるのはよく知っているので、こんなことをを言うと僕の人気にさしつかえるでしょうが、 真実だからはっきり言いたいんです。」などと答えている。また、 ロキシーミュージックを去ったのはブライアンフェリーとの仲たがいか? という質問には「そうです。」とはっきり答えるなど、まさに言いたい放題の大傑作インタビュー。(爆笑) 「今月のVIP」では、なんとトリアンヴィラートが紹介されている。 生意気なロック少年達からは「グラビア雑誌」などと揶揄されたミュージックライフもこの時期は馬鹿に出来ない。(^^;

ELPが一般音楽雑誌の人気投票で1位!!( MUSIC LIFE 1975-3 )
ミュージックライフ1975年3月号は普通のポピュラー音楽雑誌であるミュージックライフ誌史上、 最もプログレなバックナンバーではなかろうかと思う。当然その原因はこの時期の日本国内でのプログレッシブロック の異常な人気にあるわけだ。プログレが様式化し始めると同時に産業ロック化し、 田舎でミュージックライフを読んでいた 私のようなガキ(当時)にもすっかり浸透したために起きた出来事だったのだろう。(^^;  この時期のミュージックライフは国内において一定の権威があり、その人気投票は洋楽業界に多大な影響を持っていたと思われるが、 その人気投票でこの年はELPがトップ。ベスト10にイエス(4位)ピンクフロイド(7位) フォーカス(9位)が入り、50位以内にPFM(23位)ムーディーブルース(26位)トラフィック(34位) ジェネシス(35位)ジェスロタル(47位)10CC(50位)あたりがランクインしているのには驚く。この時期こそが 日本でのプログレッシブロックブームの頂点だったのだろう。 カーペンターズからCSN&Yまでが同居する人気投票でのこの結果。これは凄いことだ。(^^)  特集記事も「プログレッシブロック、その異常な人気のヒミツをさぐる!」と来たもんだ。(笑) 内容は、英国でプログレが発生した音楽的な背景の解説に始まり、当時まだ一部のマニア以外には知られていなかったトリアンヴィラートやル・オルメ、 ゴング、ハットフィールド&ザノースなどのユーロプログレなどを紹介されている。新しいロックを紹介するメディアが限られていた時代だから、意外にこの記事をきっかけにユーロロックに注目し 始めた田舎のプログレファンは多いのではないかと思われる。 ところで、あの福田一郎氏が人気投票の結果を見て 「ELPが1位というのは分からないね。そんな大きなグループではないだろうし、(中略) 上位にランクされた連中よりも遥かに実力のあるジェスロタルやザ・フーが下位にランクされていることはおかしい。」 などと過激な発言をしていたり、来日したリックウェイクマンのインタビュー、コンサートレポート (使用楽器も含む)なんぞもある。まったく、いい時代だよなあ・・・。

大特集・クリムゾン&ジェネシスの世界探求 ( 音楽専科 1975-5 )
音楽専科のタイトルは大仰です。なんと「現代プログレシヴ・ロックの雄、GENESISとCRIMSON王崩御の軌跡総点検」だそうだ。(爆) ジェネシスは1970年頃から既にアルバムを発表しているが、日本国内で彼等のレコードが聴かれるようになったのはこの頃からだ。立川直樹氏が「眩惑のブロードウェイ」を評してピンクフロイドのライバルになるかもしれない衝撃の問題作、と紹介したあたりから、ELP、イエス、クリムゾンなどを聴き終えたプログレ兄ちゃん(今オヤジ?)達が触手を伸ばし始めたようだ。(私自身は貧乏だったので、ジェネシスをしっかりと聴いたのは70年代後半になってからだったが・・・。)

来日したPFMにインタービュー( MUSIC LIFE 1976-1 )
PFMは1975年11月23日に渋谷公会堂で来日コンサートをしている。後からユーロロックファンになった 者にとっては羨望の出来事だ。私の場合、ELPやYESの初来日は年齢的にやむを得ないにしても、このPFMの来日と RUSHの来日を見落としたのは痛恨の極みだった。そう思ってマリリオンの初来日は 仕事そちのけにして行った。正解だったぞお〜。(笑) 記事の方は編集長じきじきにインタビューしたもの。でも、たったの2ページ。(^^;  ベルナルドランゼッティが二言くらい話したのち、後はマウロパガーニが答えている。内容はラジカルな政治的発言でいっぱい・・・。 ミラノ大学在学中に急進的な左翼セクトの運動家だったマウロパガーニが、新作「チュコレートキングス」のコンセプト である米国文明批判をここでも堂々と展開している。1975年頃のイタリアは、米国での1968年、日本でいえば1969年あたりに相当する学生運動のピーク的な状況があったようだ。 彼は「第二次大戦の敗戦国であるイタリアには戦後、米軍が進駐し、。 チョコレートを配りながら米国の主義主張を押しつけ、イタリア人の心の中にある伝統文化を破壊した。」といっているが、 その状況はかつての日本と同じだ。しかし、76年当時の日本は既に60年代からの学生運動は既に崩壊気味で、 一般の若者は「しらけ一色」で政治のセの字にも関心を持たない雰囲気になっていたから、 この記事はそこ頃のミュージックライフの中では変わった雰囲気を醸し出している。 最近、マウロパガーニは上記のコンセプトを音楽に持ちこんだのは誤りだったというような 発言をどこかのインタビューでしていたが、この時のマウロ・パガーニはトンガリ放題にとんがっている。(笑)  そこを動乱の時代を経ているであろう?水上はるこ編集長が、PFMの政治的ラジカルさを理解しつつ 冷静に記事にまとめているところはサスガというべきか?(^^)

謎に包まれたヨーロッパロックシーンを探る( MUSIC LIFE 1976-3 )
ミュージックライフ史上、最大のユーロロック特集。たったの4ページ。(笑) しかし、侮ってはいけない。 世は正にクイーンブームからベイシティローラーズブームへの転換期。そんな誌面の中でのこの特集は光る。 なかむらよういちさんって方が、伊、独、仏、北欧など各国別に47ものバンドを紹介している。当時、既に国内盤 が出ていた作品をまずおさえ、次に輸入盤でしか入手出来ないものについても重要だと思われるところを紹介。 フォーカス、PFM、タンジェリンドリーム、クラフトワーク、ネクター、マグマ、ゴングなどの有名 どころから、カン、アモンデュール、ファウスト、ノイ、トリアンヴィラート、バンコ、オルメ、オサンナ、クリアライト、 アクアフラジーレ、アンジュ、アフロディスチャイルドなど、当時はややマイナーだったバンドが、日本のメインロック プレス?で紹介された影響はそれなりにあったのではないだろうか。この4〜5年後に、キングレコードのユーロピアン ロックコレクションによって日本中に知れ渡るバンドが既にここで見事に整理され、紹介されているのだから。 ミュージックライフを侮ってはいけない。無論、この時期から 稀少な輸入盤を買い捲る猛者もおられたようだが、それは私のような田舎者には無縁な出来事だった。

イエスのメンバーに直撃インタビュー( MUSIC LIFE 1976-4 )
ロック・ミュージシャンに対するインタビューというのは、昨今、ミニコミレヴェルの雑誌でも行われているが、そのほとんどが来日時のプロモーション用のためのものだ。ところが当時勢いのあったミュージックライフは違う。水上編集長、東郷記者、長谷部カメラマンがロンドン現地取材を敢行! 次々に大物バンドのインタビューを録っていく様は正にML黄金時代というべきか? 他の音楽雑誌では考えられない豪華さだ。その目玉はなんと云ってもポール・マッカ−トニー&ウィングスなのだが、ま、それはこの頁では置いといて・・・、イエスのスティーヴ・ハウ、クリス・スクワイア、アラン・ホワイトにも直撃インタビューしてるのが嬉しい。各人がソロアルバムを出し終え、「究極」のレコーディングを始めた時期のはずだが、残念ながらその内容については語られていない。今から考えればシビアな時期だったのかも知れない。まあ、インタビューに応じてくれただけでも凄いよな。その他に、マイケル・シェンカー在籍時のUFOのインタビュー、マンティコアのオフィスでキース・エマーソンとピート・シンフィールドの様子をパチリ。さらに「ムーンマッドネス」をレコーディング中のキャメルをも訪問して証拠写真をパチリ。・・・と、それぞれ話自体には中味が無いが、これだけのミュージシャンにアポがとれてるところが、この雑誌の凄さか??? 

特集・プログレッシブロックを洗いなおす ( NEW MUSIC MAGAZINE 1976-5 )
1976年。プログレが一段落した頃に行われたニューミュージックマガジンによる30ページにも及ぶプログレッシブロックの 総括的特集。中身はプログレという4文字の日本語に潜む非前進的な体質(ってえと「ぷろぐれ」なんて平仮名で書いてるこのページは最低ってことか・・・)への批判をはじめ、プログレと呼ばれながらも全く進歩してないミュージシャンへの批判、「黒人音楽の後に聴けば退 屈だ」などなど厳しい意見のオンパレードだ。まあ、記事を読んでいくと、まあ逐一そのとおりだとは思う。(^^; 私自身もユッスーのアルバムを聴いた後にプログレを聴くとちょっと退屈に感じたりもする。(笑) 実際、ブリティッシュプログレッシブロックがプログレッシブだった時期は長く見積もっても1973年頃までだろう?  その後は様式化して平仮名四文字の「ぷろぐれ」になったのではないかと思う。だから私は臆目も無くこの四文字を使う。もちろん、1973年以降もマイナーシーンに目を向ければ進歩的なバンドがいなかったわけではない。そのようなバンドは 今でも存在する。でも、そういうバンドが多くの人々から注目されたり、チャートを登るようなことは なくなった。だからこの時期の総括としてはMNNの記事どおりで良いのではないかと思うのだ。 好意的に解釈すれば「真にプログレッシブな音楽を創って欲しい」と総括したようなものだからね・・・。

特集・現在からみたEL&P ( rockin'on 1976-10 )

さあ、いよいよロッキンオンの登場。(笑) この頃のロッキンオンはまだ隔月刊のマイナー雑誌。 大手取次にのるようになり、大きな書店に行けば手に入るようになった頃だったのかも知れない。 マイナー雑誌であったかを如実に示すものとして、「架空インタビュー」シリーズなんてのがあった。 当時のロッキンオンは外国のプレスと特約するお金も無ければ、外タレが来日してもインタビューをとること出来なかったのだろう。 今やおしもおされもせぬ大御所雑誌、隔世の感があるな・・・。(^^)  このELPの特集に関しても、直接取材した原稿は一切無し。(笑)  それでも、この雑誌は読んでいて楽しい。内容はたぐちくにこさんという高校の先生による ELPの訳詞や評論。ELPの本質をエマーソンの「色彩を感じさせない鋭い音」 と表現する感性には感服した。そうなんだ。結局はそれが魅力だったのかも知れない。(^^;  もちろん、レイクの唄心があったからこそミリオンセラーにもなったんだろうが、 ELPは結局はエマーソンなのだ。特集には岩谷宏氏によるELP評も載っている。 当時は難しいことを書く立派な人だと思っていた。(爆笑) このページを読めば理解できると 思うが、私はアタマ悪いんで、あんまりダイソレタことは申し上げられないが、 岩谷氏の文章をいま読み返してみると、はっきり言って気分が悪くなる。(^^;;;;

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