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マスメディア講座(初級編)

地デジ再送信問題でCATVと地方の民放テレビ局が対立している。その内容については説明しない。必要なら新聞やネット検索で調べれば判る。まあ、視聴者は無料(あるいは安価)で面白い番組を見たいのがホンネだろう。そして、地上波キー局の放送を直接見ることが出来れば、地方の民放局など不要と考える人がほとんどではないかと思う。地上波テレビネットワークは40年前の放送技術に基づいて形成されたもので、日本全国にあまねく放送を行き渡らせるためならば、現在では衛星放送を利用する方が技術的にも手っ取り早い。また、通信に造詣の深い素人が集まると大概はIP送信の優位性を説いては電波放送不要論で盛り上がる。そこに少し政治経済に詳しい奴が加わったりすると、既得権やら護送船団なる用語が飛び出して、それは市場開放論へと飛躍していく。しかし、放送局が一定の設備投資を終え全国の県庁所在地で地上デジタル放送が見られるようになった現在になっても、残念ながらキー局はもちろん地方放送局が倒産したという話は聞かない。それどころか、BSジャパンという衛星放送局を系列を持つはずのテレビ東京がなんとこの時期に、静岡、広島、仙台の地方系列局を増やすべく準備を始めている。地方テレビ局はそんなに儲かるのか? 市場開放論者は、「それ見たことか!」と国の過保護政策を批判することだろう。しかし、そんな批判をしたところでテレビ局の牙城は崩れない。なぜなら、テレビや新聞といったマスメディアは日本の既得権益そのものだから...。地方テレビ局の年間売り上げはどこも年間100億を下回る程度だが、その存在は既得権益を補強する手段としては欠かせないものなのだ。逆転の発想をして欲しい。仮に無くても済むようなものがあって、しかしそこに莫大な投資をしなければ生き残れないとしたら何が起きると思う? そう、貧乏人は排除されるということだ。具体的に説明しよう。実は全国放送で有効な広告効果を得るには年間最低10億以上の広告費を使わないと難しい現実があるのだ。その垣根の高さが重要。垣根を低くしたら経済界全体が下克上状態になってしまう。それはベンチャー企業にとっては歓迎すべきことだが、経済団体に役員を派遣している企業にとっては、安いということは必ずしもありがたいことではない。大企業優先社会を維持し市場開放を妨げるたには超高コスト体質でないといけない。既得権益が保有する最強の武器、それがテレビという広告媒体。自社のテレビコマーシャルを全国放送で流したかったら、キー局だけでなく系列局すべてに金を払わなければならないのが、テレビ広告の仕組み。そこがミソなのだ。さらに各民放への広告依頼を一手に引き受ける巨大広告代理店の存在が影の主役。その実体は価格カルテルの胴元の役割を合法的に行える会社。建設業界の談合と違い、その行為に違法性はまったくない。そんな馬鹿な!と思うか知れないが、元来、民間放送テレビというのは、55年体制といわれた政治の中で、与党や国体護持を願う勢力や経済団体が、その既得権益を温存し、対抗者を排除する工夫の中で形成されたもの。ルールもそれに都合の良いように作られている。国家公認経済団体公認で40年も前から虚業でボロ儲けしてこれた理由はそこにある。このシステムを破壊したかったら、既得権益にとってもっと都合のよいマスメディアシステムを別途作り上げるか、大企業を優先しない代々木あたりの政党に政権を任せるしかない。きっとその政党は低予算で全国一律放送ができる衛星放送を選ぶだろう。放送局や放送業界を守るために放送事業が保護されているわけではない。大企業やその代理人である為政者が自分達の権益を保護するために現在の放送体制を守る必要性があるのだ。ロクな自主放送をしていないあなたの田舎の地上波放送局の株主構成をしらべてごらん、田舎の経済界のボス達がそれを牛耳ってるでしょ? テレビが既得権益なのではなくて、既得権益を持っている人々が集まって運営しているのがテレビなのさ。3公社5現業や銀行、ゼネコンは、既得権益を持っている人々がその必要性を感じたから解体再編がおこなわれた。それだけのこと。衛星放送やIP送信の方が既得権益を持っている人々にとって都合が良くなれば、あるいは既得権益もつ人々そのものが崩壊するような事態になれば、現在のテレビシステムが崩壊することもあるだろう、しかし、今のところその兆候はない。現在のテレビシステムは、未だに既得権益をもつ人々にとっては都合が良いものらしい。それどころかそれを維持するために地上デジタル放送という壮大な無駄が国策として実行された。今まで溜め込んだ貯金(内部留保)を全て吐き出さねばならないデジタル化事業をテレビ局が渋々やっているのは、それこそが既得権益をもつ人々の要請だからだ。昭和の時代と比べてテレビ番組やその取材が身近なものとなり、したり顔でテレビやネットを語る人が増えているが、伝送路の技術的な優位性やらテレビ番組が面白いかつまらないかなんてことは、実はたいした問題ではない。かつて大宅壮一という優れたジャーナリストが「一億総白雉化」というキーワードでテレビを批判したが、正に国民を白雉化させるのが為政者から依頼されたテレビの役割なのだ。民放の番組の質の低下が著しいが、一方で国民の問題意識を喚起し為政者に都合の悪い放送をする赤坂や六本木あたりのテレビ局はあちらこちらから徹底的にイジメられている。自由で民主的で公正なフリをして広告や言論を牛耳る。それが権力者の関心であってテレビ局はその提灯持ちに過ぎない。媒体とはそういうもの。仮にどうしてもテレビを批判し、そのありかたを変えたいと思うのなら、とりあえず選挙は棄権しないことだ。無論、放送されている番組を面白いのつまらないのを批評する権利は幼い子供を含めて誰にでもある。見る見ないも自由。しかし、そのあり方まで含めて論ずるとなると、メディアリテラシーを克服するための一定の学習をした方がいい。でなければあり方までは語れない。

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