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謝罪要求立国

f9074799.jpg1972年、田中角栄首相が北京を訪れ発表した日中共同声明の一節。「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」 1995年、村山富市首相の終戦記念日談話。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」 過去30年間、日本はこの代表的な声明を含め、侵略戦争についての公式に21回もの謝罪を行っている。しかし、例えば前者は「自らの反省の弁」を述べたのであって「謝罪」とは云えない。後者は内容は評価出きるが中国を特定して謝罪していない点、「談話」であって文書での無い点から正式な謝罪ではない。・・・というのが現中国指導部の「屁」の付くような理屈による見解だ。正式な文書による謝罪って一体何なのか? いつ何処でどのようにすれば正式な謝罪になるのか? 戦後60年を節目に「日本国第二次世界大戦謝罪大宣言」とやらでも国会で決議すればそれでいいのか? 日本は1951年のサンフランシスコ講和条約(多数講和)、1956年の日ソ共同宣言、1972年の日中共同声明によって旧連合国すべてとの講和を実現している。1956年には直訳すれば「連合国」となる国連に加盟し、米国に次ぐ国連分担金と職員を投入、さらにやはり米国に次ぐ額のODA(政府開発援助)を中国を含む発展途上国に30年以上にわたって行い、国際社会においてするべきことは行い、それに応じた地位も確保している。日本の国連常任理事国入り云々もそうした活動の延長線上にあるのではないか。そこを思うと謝罪だ歴史認識だを繰り返す昨今の中国政府の対応はとんでもない時代錯誤をしていると云わざるを得ない。これでは先の侵略戦争において我が国がアジア諸国に対して行ったことについては率直に詫びるべきと思っている私でも「いい加減にしろ!」と云いたくなってしまう。前出の日中共同声明で中国は日本との国交正常化に応じ、国家としての戦争賠償の請求も放棄しているが、これは田中角栄首相による上記反省の弁を毛沢東主席や周恩来首相が評価してのことでは無かったのか。一体、あれは何だったのか? 戦争賠償請求を放棄までをした偉大な国が30年後の現在、事ある毎に謝罪せよだの歴史の歪曲だなどとネチネチと繰り返し難癖を付けている。まるでサド国家だ。私個人は侵略戦争を正当化する気は毛頭ないが、あれからもう60年も過ぎているのだ。歴史認識も大切だが、あの国の現状認識はどうなっているのだろう。では何故、あの国は現状認識を誤るほどに歴史認識に拘るのか? それは歴史認識に拘らないと国自体が崩壊するからだ。実はイデオロギー組織としての共産党は30年前に既に崩壊している。人民公社で知られる1958年に始まる第2次5か年計画(大躍進政策)は3000万人近い餓死者を出し、それを隠匿するために1968年頃行われたプロレタリア文化大革命では数百万~2000万人もの人々が反動分子として処刑された。仮に1937年に日本軍が中国人に対して行ったとされる南京大虐殺が中国が主張するような数十万人規模で行われていたとしても、その戦争が終わった後、日本では石原裕次郎がスターになってそろそろ国も豊かになろうかとしてた時代に、その中国が自国民に対して合計5000万人規模で虐殺(餓死は虐殺)を行っていたのだ。政権は転覆しなかったものの共産主義は政治的にも経済的にも完全に破綻してしまった。毛沢東主席は自己批判をし、70年代になると経済立て直しのために米国に接近する。日中共同声明もその流れにあるものだ。そして毛沢東主席の死後の中国は古い政治体制のまま市場経済への参加を開始する。経済の自由化はその副作用として国民意識の自由化ももたらした。その結果起きたのが1989年「天安門事件」だった。古い政治体制は民衆に戦車を向け腕力で制圧し、共産党独裁政権は生き残ったわけだが、仮に天安門クーデターが成功しあのまま共産党独裁が崩れていたらどうなっていただろう。間違いなく中国はいくつかの国に分裂していただろし、場合によっては内戦なっていたはずだ。火種となるチベット自治区やウイグル自治区はともかく、都市部だって危ない。中国人民解放軍とひとくくりにされるが実は各軍区はかつて元々の軍隊だったものが集まったもので未だに独立意識が強い。国家主席になった胡錦涛氏がなかなか軍事委員会主席になれなかったのはそのためだ。北京と上海では軍の中で使う言葉も異なるのが中国軍。その結束が弱まれば何が起こるかわからないが、とりあえず現在は結束が守られている。なぜ守られているのか? それは古い体制が一応機能しているからだ。古い体制とは既に30年前に崩壊している中国共産党のこと。ではなぜ形骸化しても機能しているのか? それは「結束を崩したらお終いだ」という保守意識もさることながら、中国共産党と人民解放軍は「抗日戦争を勝利に導いた」という一点で中国人民全体を結束させ統括しうる唯一の連合組織だからだ。他に10億の民を結束させる理念はそうはない。高度経済成長による富の魅力は国民を結束させるだけの理念ではあるが、実際に起きているのは眼を覆うばかりの貧富の格差。都市と農村の経済格差はもとより、都市部のエリート層でさえも勝ち組と負け組との激しい格差があるというのだから堪らない。10億の民がかつての日本のような一億総中流意識を持たない限り、高度経済成長による国民は結束は望めないが、それは100年経っても難しいのではないか。結局、共産党が存在しなければ国は分裂に向かうわけで、その共産党を維持するには「抗日戦争勝利」の功績を60年も70年も100年もずっと謳い続けなければならないってことなのだ。つまり、日本に謝罪を求め続けることによってのみ中国は国家の統一を維持出きる。なんということだ。しばらく前までは毅然とした中国外務省報道官の発表を「怖い国だな」と思いながら見ることが多かったが、最近はその毅然とした態度が「国を統一するために必死な姿」として憐れみの気持ちで見るようになってきた。かつて朱鎔基首相が来日し日本のテレビに出演した際、「10億の人々を束ねるには日本の人々にはわからない苦労がある」と率直に云っていたが、案外それが本音なのだろう。日本が国連の常任理事国になり、敵対国条項が削除されてしまったら、「抗日戦争勝利」も対外的には完全に過去の出来事になる。国を束ねる手段をひとつ失うようなものだ。これは中国にとって脅威なのだろう。ちなみに中国の学校では「第二次大戦で日本は米国ではなく中国共産党軍により敗北させられた」と教えていて、中国の戦後教育を受けた人々は留学経験のある人を除くとみなそれを信じている。歴史の歪曲によって成立している国に歴史認識をとやかく言われたくはない。国を束ねる苦労には同情するが、そのために独立国日本をいつまでも利用するとは何とも情けないお国だと云わざるを得ない。

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