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苔のむすまで

kiku大胆にも皇統について書いてみる。理由は昨今の女性宮家創設論議。結論から書く。私は女性宮家創設には反対だ。それは皇統ではない。その時々の権力者の血を混じえつつも、直系ではないが男系であることで2672年もの間、営々と維持されてきたのが皇統だ。男系の放棄はその歴史を放棄することと同義。源頼朝も足利義満も織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も明治政府も米政府もそこは壊さなかった。壊してしまえば天皇の子孫は残っても皇統は絶えるからだ。それでは意味がない。身も蓋もないも言い方だか、本当に時代に合わせたら皇室そのものが元々不要な存在だ。今の日本は民の代であって君の代ではないことは小学生でも知っている。人はみな平等を謳うこの時代に敢えて皇室を残すには、むしろ男系継承による時代錯誤な血の連鎖を守るしか術はないと考えたほうが良い。なぜなら元々時代になんぞ合わせたら消滅しかねないものだからだ。無論、皇統を時代に合わせるべき転機や岐路は2672年間の皇室の歴史の中に何度もあったとは思う。継体朝では男系どころか家系そのものが連続していない可能性があるし、そもそもその頃の大王には血の連鎖が無かったのではないかという疑念もある。平清盛や足利義満は自分自身が大王とならんとした形跡があるし、近代では明治天皇大室寅之祐説なんてものもある。しかし、実体はともかく、表向きは常に男系で維持されてきたことになっている。また、明治政府が行った一世一元の制は皇統の大改革であったろうし、第二次世界大戦の敗戦は皇統どころか日本国そのものの存亡に関わる事態でもあった。それでも皇統は男系で維持されてきた。それを現代の三流政治家や木端役人が変更議論しようというのだからまあご立派なものではないか。こうした歴史を例えば男女共生の理由程度で変えられるものなら、いっそのこと皇室そのものを廃止して共和制にでもしてしまうがよい。中途半端な歴史認識で自国の歴史を冒涜する位なら、先祖にも誇れる新たな歴史を築いて戴きたい。まあそんな優れた為政者が今の日本にいるとは到底思えないが。いずれにしても目先の状況で判断するようなことではないのだ。政治家は覚悟を決めて欲しい。ところで、近年皇室を悩ませているその後継問題。それが問題になってること自体、実にナンセンスだ。なぜなら、皇室の歴史の中で天皇に直系男子が生まれないことなどごく当たり前にあったことだからだ。それでも2672年男系で継承されてきたのが日本の皇室。それが昨今、後継者が不在になるかもと大きな問題になっている。皇太子の子に男子がいないからと皇太子妃を責める風潮が庶民にあるのも実に嘆かわしい。それが後継者問題の原因と考えるのは歴史を知らぬ者の妄想に過ぎない。皇室後継者候補が不足しているのは天皇やその子に子が生まれないからではなく、近代において皇統を否定した行いがなされたからなのだ。ひとつは大正以降の天皇が側室を持たなかったこと。もうひとつは、日本敗戦後に行われた昭和天皇の御兄弟宮家以外の宮家の皇籍離脱だ。特に問題なのは後者の皇籍離脱。皇籍離脱は降伏や講和の条件としてGHQから強制されたものではない。表向きには新憲法の精神に則って、現実には当時の国家財政の不足や内外の政治情勢(この中にGHQの圧力が含まれるのだろうが)を意識した旧皇族が自主的に昭和22年10月の皇籍離脱をした。その実態は悲惨で、資産相応の税金が払えなくなり、旧皇族の多くは家屋や土地を次々に売っている。そうした土地が公園や「プリンス」ホテルになっていることを知る人も多いだろう。それらは歴史を顧みる余裕もなく当時の政治判断で行われてしまったことなのだ。その時点では昭和天皇に男性の御兄弟が複数いたこと、その後、今上天皇が2名の男子を授かったことから、久しく後継を心配する必要が無かったことも事実だが、考えてみれば子供が授かれないことや女児しか授かれないことなど当たり前にあることではないか。そうしたリスクを回避する術を2672年の歴史は教えてくれているのに現世代の日本人はそれを無視してしまった。それどころか戦後のドサクサで行ったことが原因で60年後に起きてるこの問題を、さらに再び現代の庶民感覚で変えてしまおうとするのだからあな恐ろしや。日本の歴史がグチャグチャだ。まずそこを正すのが順序というものだろう。歴史を正常化するという意味で、現時点で男系の後継者が存在する久邇宮、竹田宮、朝香宮、東久邇宮の各家の皇籍復帰を強く望みたい。幸いなことに産経新聞が先月末に報じたところによると、旧皇族の竹田恒泰氏が月刊誌に寄せた論文で、該当する旧皇族の大多数が男系維持のため皇籍復帰を要請されれば、「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」との意思を表明されているとのこと。前述したように戦後の皇籍離脱の経緯を考えても女性宮家創設なんぞよりもまず先に旧宮家の皇籍復帰を行うべきが筋というものだ。側室制度については現在の市民感情からするとやや無理があるとは思う。しかし、皇統を2600年維持出来た要因のひとつと認められるならば側室を復活させるのも良いだろう。皇族の戸籍は千代田区役所にあるわけではないから、民法と矛盾があっても認める方法はある。案外側室制度あたりが皇統とは何かを考えるきっかけになる良いテーマなのかも知れないが、一方で皇統維持は国家観に関わる問題でもある。例えば日本共産党が天皇制を否定し、旧皇族の皇籍復帰に反対するのならそれはそれで理解はできよう。天皇が政治利用され帝国主義的な行いを助長するようなことが再びあればそれは我が国に不幸をもたらすこともあるのかも知れない。そういう過ちは繰り返してはならない。確固たる理由を持って天皇制を否定する意思が国民の3分の2以上の数になるのであれば粛々と廃止すれば良い。しかし、そこまでの意思もないのに、庶民感覚のようなもので今後の皇室の在り方を決めてしまうのは明らかにまずいと思われる。そのような形で皇室の歴史的価値を損なうことは、天皇制を否定する政治勢力に利することになるだけで、皇室の世継ぎが不在となることを心配する国民の期待に応えることにならないからだ。我が国にこれからも皇室があっても良いと考えるならば、何故それが2672年もの間維持されてきたのかを、まず歴史から学ぶべきだろう。

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