上方文化評論家福井栄一・地歌演奏家菊聖公一
水ものがたり〜納涼の地歌〜 
       2010年7月3日(土)14:00〜
演奏曲目 作曲・編曲者 演奏者
(三絃)菊聖公一(箏)中萩あす香
1. 『瀧づくし』 小野村検校作曲
錺屋治郎兵衛作詞
(1)「ものづくし」の伝統
   言語遊戯、祝意・・・
(2)清水(きよみず)の音羽の瀧
   失せ針を見つけるまじない
(3)箕面の瀧
   餅の曲喰い、トンネルが出来て・・・
(4)龍@
   タギル(沸)、瀧自体がご神体の場合も
2. 『珠取海士』 不詳 (1)「能採りもの」の代表作のひとつ
(2)藤原不比等(淡海公)と海士
   讃岐志度の浦の伝説、面向不背の珠
(3)龍A
   安徳天皇と宝剣と龍
3. 『水鏡』 (1)近江八景
(2)水鏡と天神の伝説
(3)龍B
   藤原秀郷と大蛇と大百足
『水ものがたり』という事もあり狙い通り雨の中の会でした。
『瀧づくし』のタイトルにもあるように、日本には『づくし』の伝統があります。良く似たものを沢山集め豊かな気分を醸し出します。『数え歌』もその一つです。なぎら健壱の歌った『いっぽんでもにんじん』も数え歌形式になっていて、今回は特別に福井先生の生歌も聴けました。
一方『瀧づくし』には日本全国10カ所の瀧が歌われて、福井先生のご近所『箕面』も出てきます。
実は箕面の滝は新御堂筋のトンネル工事のため水の流れが替ってしまい、現在の滝は電動ポンプで循環させているそうです

7月12日に新刊されました。『子供が夢中になることわざのお話』コチラもよろしくお願いします。
【瀧づくし】
長歌物の地歌で江戸初期に作曲されました。
(歌詞)
音にきく 吉野の滝の その末は 
妹背の山の 中に はやたつ 龍門の流れも 
那智のまさなぎに 忍ぶ契りの 音無しや 
花の鑑の 音羽山 乱るる 滝の白糸を 
繰り返しつつ 青柳に 
桜まじえし 都の錦 呉羽綾羽の 織り姫や 天津乙女が 夏衣

雲井に晒す 布引の 滝津瀬も越す 五月雨に 

いずれ菖蒲か 顔世花 引く手あまたの身なれども 
いなにはあらぬ 有馬山 
西にも名のみ あげまきや 鼓が滝の その音は 
絶えず とうたり 翁が滝の 表や蓑の 裏見なる 
それは吾妻路 日の光 月に玉しく 嵯峨野の露や 
戸無瀬に落つる 大堰川 下す筏に 降る雪は 
散りこう花と 見紛えて 山静かなる 峯の雪 
豊かに積もる 養老の なおも齢を 増す泉
【珠取海士】
(歌詞)
迷い迷いて讃岐がた
しどけなりふり志度の浦 深き心は真珠島
彼(あ)の水底(みなぞこ)はわだつみに 取られし珠を返さんと 
海士の里に寄る君は 位も高き紫の 色を隠して身をやつし
賤しき海士の磯枕 妹背言葉に末かけて 女命捨て小舟

ひとつの利剣を抜きもって
彼の海底に飛び入れば 空はひとつに雲の波 煙の波をしのぎつつ
海(かい)漫々と分け入りて 直下と見れども底もなく 取得んことは不定なり
我れは別れてはや行く水の 波の彼方に我が子やあるらん
父大臣もおはすらん 涙にくれていたりしが
また思い切りて手を合わせ 南無や志度寺の観音薩の
力を合わせてたび給えとて
大悲の利剣を額にあて竜宮の中へ飛び入れば 左右にぱっとぞ退いたりける
その隙に宝珠を盗み取って 逃げんとすれば 守護神追っかく
かねて企みしことなれば 乳の下を掻き切り 珠を押し込み
剣を捨ててぞ伏したりける 竜宮のならひに死人を忌めば あたりに近づく悪竜なし
約束の縄を動かせば 人々喜び引き上げたる
珠は知らず海人は 海上に浮かび出でにける

かくて浮かびは出でたれども 五体続かずあけになりて  主は虚しくなりにけり
宝珠はなんなく取り上げて 納まる国の氏寺や うじの長者の御世継ぎ
その名もここに 房崎の御身の母は我なりと
言ふ声ばかり面影は
波にゆられて 入りにける
『水鏡』の歌詞には近江八景が読み込まれていて、女性の心理を移ろいゆく水面と重ね合わせてあります。
石山秋月瀬田夕照粟津晴嵐矢橋帰帆三井晩鐘唐崎夜雨・堅田落雁比良暮雪
近江国の風景と言われていますが、地図で見ると大津周辺の湖南地方ばかりが歌われていて、
ちょっと語弊があるような感じです。

曲とは関係ないですが福井先生は『水鏡』というと、
『水鏡せると伝ふる天神の みあしのあとに千鳥群れ飛ぶ』
と言った歌を思い出すそうです。
京から太宰府に流された菅原道真公が九州に上陸しやつれた顔を水鏡で見たときの様子を歌いました。
現在でも福岡県福岡市中央区天神には水鏡天満宮として残っています。
この歌にあやかった和菓子があります。

毎度おなじみになっている福井先生のお土産。
今回はその和菓子『千鳥饅頭』でした。


次回は11月27日(14:00)に『地歌でぶらり 奈良見物』がございます。ご期待下さい。