上方文化評論家福井栄一・地歌演奏家菊聖公一
楽しいお話と地歌の会
”源氏物語を地歌で味わう”

                                2008年09月20日(土)14:00〜
講演内容
1. 「源氏物語」について なぜ「千年紀」なの?
本当の書名は?
紫式部という呼称の由来は?
2. 地歌「夕顔」 「源氏物語」夕顔の巻の梗概
「夕顔」という巻名の由来
女を襲った「もののけ」の正体は?
朝顔、昼顔、夕顔、夜顔
3. 地歌「新玉葛」 組歌「玉葛」に対して、「新玉葛」
「源氏物語」玉葛の巻の梗概
「玉葛」という巻名の由来
玉葛を引き取った源氏の屋敷
4. 地歌「融」 源融のプロフィール
六条河原院の盛衰
ゆかりの深い寺社
夕顔 菊岡検校 (三絃)菊聖公一(箏)中萩あす香
新玉葛 幾山検校
石川勾当
本日の「源氏物語」の話から少々ご紹介してみます。
2008年の今年、源氏物語の「千年紀」と言われています。では、どこから1008年に源氏物語が完成した記述があるのかと言えば、「紫式部日記」の中の三箇所(第三十三節、第五十三節、第五十七節)に出ています。福井先生に言わせれば「本当に今年なの?」と疑う部分もありますが、折角盛り上がっているのであまり突っ込むと各方面から苦情が来てはいけないでソッとしておきましょう。
更に言うと、「源氏物語」の書名も前出の日記から「源氏の物語」と記されていることから実は「の」が間に入っていたかもしれないらしいです。
作者の「紫式部」の名前も実は呼称で本名は解りません。父の藤原為時が984年式部丞を賜ったことから、娘は藤原の「藤」と役職の「式部」を繋いだ「藤式部(とうのしきぶ)」と呼ばれていました。その後源氏物語が評判になりヒロインの「紫上」から「紫」の文字を取り「紫式部」と呼ばれるようになったそうです。
毎回ある福井先生の知識クイズは「近江八景言えるかな?」でした。
【(答え)石山の秋月・勢多(瀬田)の夕照・粟津の晴嵐・矢橋(八橋)の帰帆・三井の晩鐘・唐崎の夜雨・堅田の落雁・比良の暮雪】
滋賀県の人は全部知ってるのでしょうかね?
江戸時代からの駄洒落で人に誘われ断るときに「今日近江八景やねん」で片付いたそうです。
ん?なぜ?近江八景には「膳所(ぜぜ)」が入っていません。
つまり「今日ぜぜ(お金)無いねん」って言う駄洒落になっています。今夜辺り使ってみては如何ですか?