サウスウエスト航空 |
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最近、私が乗ってみたくて仕方がない会社が、アメリカのサウスウエスト航空であったりします。 この会社の存在を知ったきっかけが実に下らないもので、高校生のときに読んだ航空雑誌に掲載されていた、ボーイング社のカスタマーコードを見ていたら「Southwest Airlines」が2つあることに気づき、1つは南西航空(現「日本トランスオーシャン航空」)として、もう1つはどこなのだろう?と思ったのがきっかけなのでした。少ししてから別の航空雑誌で、もう1つの会社の飛行機の写真を目にする機会があったのですが、何とボーイング737。当時はアメリカのどこを飛んでいるかも分からない会社なのに、英語表記の社名も同じで機種も同じ、ということで、妙に親近感が沸いてしまったのでした。 その後、社会人になってからしばらくするまで飛行機趣味が休眠状態だったのですが、趣味を再開した後にだんだんサウスウエスト航空の事を知るにつれて、アメリカ航空自由化の波を見事に乗り切った会社として、さらに興味をひかれました。そして、ある時に「社員第一、顧客第二主義」というタイトルの本を読み、サウスウエスト航空が型破りな方法で利用者の心理をうまくつかんだことを知り、「これはものすごい会社だ!」と思ったのでした。座席の指定がないとか、ピーナッツのサービスがあるとか、機内アナウンスを歌でやったりするとか、いろいろな事実が分かると、本当に興味をひかれます。日本の会社だったら絶対乗ったのに…といっても仕方ないですが…。 いつかアメリカに行ったら、絶対に乗ってみたいですね。 |
さよなら3発機 |
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![]() 3発機がかなりお気に入りになったのは、もともとトライスターがかなり大好きな飛行機だったためです。以前も書いたように、トライスターのイメージは強烈だったわけですが、さらにいろいろなことを知っていくにつれて、さらにトライスターが気に入るようになったのでした。トライスターはハイテク機と呼ばれる飛行機の初期のものだったのですが、ロッキード社がダグラスとの対抗上、宇宙工学までフルに駆使してしまったため、視界0でも安全に着陸できるというオートランディングシステムや、どんな気象条件でも進路を直線に保つ「ダイレクトリフトコントロール」など、現在のハイテク機でさえ持ち合わせていないような機能が搭載されていました。 と、こんなすごい飛行機で、ものすごくお気に入りだったのに、とうとう日本の空を飛んでいるうちには乗ることは出来ませんでした(涙)。で、トライスターのイメージが重なる3発機が気に入っているわけですね(^_^;)。もっとも、今まだ飛んでいるDC−10やMD−11はどちらも乗っております。 しかし、あの独特のシルエットを持つ3発機が、もうあと2〜3年くらいで日本の航空会社からいなくなってしまうのかと思うとさびしいですね。貨物機ではまだまだ安泰のようですが。 |
マイレッジで目指せ無料航空券 |
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![]() これらのうち、JMSはJMBに統合されるとして、メインで利用しているのはJMBだったりします。基本的に日本の航空会社のプログラムだとマイルに期限があるので、出来れば(現在のところ)期限のない米系プログラムで加算したいところなのですが(事実WPはそういう目的で作って貯めていました)、米系プログラムだと国内全線というわけに行かないのが難点かも。JAL系の会社を例にすると、羽田〜那覇でさえJTAが入ったりしているし、J−AirやJEXなどが結構入り込んでいるため、あまり割が良くないような気がします。特に伊丹〜九州はほとんどJEXだから、JMBにしか加算できないですし。特典航空券も同様の制約があるので、無料航空券を使って下地島に行ってみたい私としては、米系プログラムはなかなか手が出ません。 でも、ボーナスマイルなどがいろいろあるので、どうやら今年には特典航空券がゲットできそうです。下地島が近づいて来たかな?(^_^;) 誤解のないように言っておくと、特典航空券が目的で飛行機に乗っているわけではありません。あくまで飛行機に乗ること自体が大好きなんです。でも、好きなことを続けていて、それでおまけがもらえるのなら、うれしいことじゃないですか。 |
そもそも飛行機に興味を持ったきっかけは? |
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![]() まだ幼稚園の頃、幼稚園から帰宅すると、テレビのドラマで「白い滑走路」というものが放映されていました。今考えると再放送のような気がする。田宮二郎が機長役だったのですが、オープニングの飛行の離着陸シーンが印象に残っています。ついでにオープニングテーマもかなり詳細に覚えていたりします(最近、試しに記憶だけでMIDIで作ってみたりしました)。ただし、これで「JAL=ジャンボ」の印象がついてしまいました(^_^;)。あと、これは確か小学生の頃だったと思うのですが、やはりテレビCMで「全日空トライスター!」と連呼するのがあったと思いますが、これで「ANA=トライスター」という印象がついたりします。ただし、何しろ何もわからない子供ですから、エンジンが3つあったらトライスターだと思い込んでいたりとかしましたが(^_^;)。 私の父親は当時外資系の会社に勤務していた関係で、海外への出張なんてのもあるわけで、空港へ見送りに行く機会なども多かったのであったりします。羽田空港で見たパンナムのジャンボとかも記憶に残っていますが、生のパンナムをみたのはあれが最初で最後だったかも…。その後は国際線は成田に移動するわけですが、父親が利用するのは北ウイング発着のユナイテッド航空でした。展望デッキから見るブルーのジャンボ(KLM)は、そうでなくても白や銀色の飛行機が多かったので印象に残りますね。あと、中学の修学旅行が沖縄で、行き帰りにはANAのジャンボでしたが、トライスターの印象が強いため、ちょっと期待はずれだったりしました(^_^;)。 それまであまり深く追求していなかった飛行機趣味に転機が訪れたのは1986年7月、高校の修学旅行で沖縄に行ったときでした。二階席が増えたジャンボがその年の3月に国内線にも導入され、東京〜鹿児島線に投入されていた(JALの国内線機材って、いつも鹿児島線がデビュー路線になってませんか?)のは知っていたのですが、何と沖縄行きに回されていたのでした。新しい飛行機であるだけでなく、機内にカード電話があったりします。その機材が「まだ世界で1機しかなく、7月当時にはまだ鹿児島線にしか入っていなかった」B747-146B/SUD(JA8170)であることを知ったのは、その2ヶ月くらい後でした。 ふと考えると、1986年と言えば、前年に123便の墜落事故が起きています。当時は飛行機に乗る人はJALを避ける人も多く、イメージアップに必死だった頃ではないかと思います。うちの高校が修学旅行でJALを選んだのも、比較的予約しやすかったかららしいし…。それでも、わざわざ団体でJALを選んでくれたということで、特別に最新型の機材を沖縄線に回してくれたのではないかと思います(私は今でもそう信じています)。そうでなければ、行きも帰りも同じ機材のはずがありませんからね。 実はこれ、気になったのであとでわざわざJALに電話で確認してしまったのでした。今の「ご意見ダイヤル」のような番号だったと思いますが、そんな電話で確認してよかったのだろうか…。でも、電話に出てくれた人は、こんなよく分からない高校生の問い合わせにも、実に親切に答えてくれましたので、JALの印象は思い切り良くなり、肩入れするようになったのでした。 そんなことがあってから、飛行機にもかなり興味を持つようになったのでした。しかし、何しろ飛行機に乗るのはお金がかかるので、乗らない飛行機ファンの状態が長く続いてしまいましたが…。 ちなみに、2001年に新千歳から乗ったJALのB747がB747-146B/SUD(JA8176)でした。そういう思い出のある機種なので、思わずクルーのサインを頂いたりしてしまいました。 |