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――奥村清志―― 1998年3月12日 寒冴えのかの日の焦がれ夕暮のぬるき微風が今日われを透く 何となく物憂き五十歳となりし日の高架道路に天間近なり 声高に呼ばはらずとも逃げはせぬ座して目つぶり五十歳を迎ふ 少年のわが計算に狂ひなし五十歳過ぐれば世紀果つると ここにかくもの思ふ我がゐることと時空が全き無でありしことと 1998年3月29日 重信の堤に集ふ乙女木は羞恥のごとき花つけ初めん 満開になれどまばらの枝に咲く花々の隙に空透け見ゆる 四辺みな咲けるを黒き裸木の梢を空に刺す気丈あり 孤高なる思ひが梢の先にありかたくふるへて汝は花つけず 今日咲くは初座敷なる花にして初々しさに子にかへるわれ 幼き日母と飾りし雛壇の見上げし桜の紅のごと 時はそこに在るのみにして流るるにあらずといふがごとき桜よ |