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松山平野には100メートル前後の高さの小丘陵がいくつも点在している。まず平野の中央部に位置しているのが、松山城を擁する城山。かつてそれは2つの丘陵からできていたという。加藤嘉明が江戸初期にこの地に城を築いたとき、連なった2つの丘陵の間の谷を埋め、一つの山として造成したらしい。その継ぎ目の、かつて谷であったところに井戸が掘られ、その深井戸が100数十メートルもの高さに位置する天守閣に命の水を提供することになったのである。
大峰ヶ台は公園として造成され、今ではすっかり様変わりしてしまったが、私が愛光学園に勤め始めた20年ばかり昔には、人の手がほとんど入らない、鬱蒼たる樹林の山であった。 この山は当時、私の愛用したジョギングコースの一つでもあった。山の中腹まではちゃんと道がついていたのだが、山頂に近づくにつれ、ほとんど人が歩くことのない、まるでけもの道のような道に変わり、しかもそれは、這って歩かないと登れない急傾斜の道であった。山頂に着いても広場があるわけではない。伸び放題の松や樫の木が一面に茂り、見通しが悪くて下界を見下ろすこともできない。そんな山頂であった。原生林とも呼べそうなその深い茂みが私は好きだった。
今ではそれがかつての古墳跡であったことを知っている。大峰ヶ台を造成するとき、本格的に調査がなされ、丸木木棺など貴重な出土品が発見された。そのニュースを新聞で見たとき、ハタと手を打ったのであった。 現在では、山頂は広々とした芝生の広場となり、その端には松山平野を一望する展望台が作られている。展望台は中世ヨーロッパの城を模した一風変わった形をしている。売店などはない。開けっぴろげに解放された広場である。
授業の合間などによくこの山に登る。子供連れの母親、老夫婦、若いカップル、ジョギングの若者、昼休みの休憩をかねたサラリーマンなど、意外に多くの人が訪れている。登ってくる人を観察していると、観光客というよりは、近所のおじさん、おばさん、ヤングママという感じが強く、地元志向の公園として機能していることがわかる。 観光客にとっては、松山城が何といっても観光の目玉だから、その真向かいの大峰ヶ台にまで足を向けることは少ないのだろう。でも、登ってみれば、松山城からとはまた違った雄大な眺めが得られ、後悔することは絶対にない。観光で松山を訪れた方にも、ぜひ一度登っていただきたい山である。 (注) 大峰ヶ台で発見されて話題を呼んだ古墳は「朝日谷2号墳」と呼ばれる。実は私はそれを、大峰ヶ台山頂で20年も前に私が発見(?)し、不思議に思っていたあの遺構のことだと早とちりしていたのだが、その後調べてみると、私が見つけていたのは古墳ではなく、その当時の住居跡であったらしい。朝日谷2号墳は、大峰ヶ台中腹から発見されている。 古墳時代には、この山は人の住む開けた山であったらしい。それが後に、人跡未踏と考えられるくらいに荒れ放題、木々の茂り放題の山と化していたのである。 |