2019年7月26日
昨日の朝だ。玄関を出ると激しい熱射。息を呑む照り返し。空は夏色。白雲が浮かぶ。クマゼミがグワングワンと大合唱。

おっ、梅雨明けだ! すぐさまネットで確かめる。案の定、気象庁も四国を含む西日本一帯に梅雨明けを宣言していた。そりゃそうだ、前日までの空が一転したのは誰の目にも明らかだから。

松山では16日、フェイントのように空が晴れ上がり、翌日にはまた梅雨空に戻った。それからは、いつかいつかと思わせぶりのじらし作戦。ついに昨日、お天道様も観念したらしい。我慢しきれず夏空を見せた。

ビリッとページがめくられると、そこは早くも本物の夏。真夏のスタートラインに立ったこの瞬間、私はいつも、わくわくぞくぞく心が騒ぐ。この歳になっても、なおそうだ。だが、今年の夏は少々不安。試練が待っている。

目の手術だ。左と右、両方。医師の技術を信じるのみだが、万が一の事態を思うと心配は尽きない。

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参院選が終わった。愛媛で野党統一候補が圧勝したのは痛快だった。保守王国と言われて久しいこの愛媛で、これは画期的な出来事、いや事件だった。

改憲勢力が参議院できわどく3分の2を切った。これも私に最低限の安堵をもたらしてくれた。最低限というのは、差はわずかであること、国民民主の一部には改憲に同調するメンバーがいること、N国という得体のしれないハチャメチャ政党も改憲派だということ。日本の前途はまだまだ暗いトンネルの中か、それともかすかな明かりが見えつつあるのか。

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私が今の地に引っ越してきた35年前、あたりは見渡すかぎりミカン畑と水田だった。犬を連れて細い畦道を歩いては、水を低きから高きに導くいにしえ人の工夫の跡に感嘆したり、何百年もの昔から農夫が腰をかけて一休みしてきたであろう、尻のあたりがすり減った腰かけ石に坐ってみたり、遠い昔、水害を恐れて水の神を祀ったと思える、人の背丈ほどの小山を仰いだり、小山の上の風化しきった石碑の碑文に目をこらしたりと、私は田園地帯の散歩をこの上なく楽しんできた。

ところがその後、広々とした水田地帯に大規模開発の手が入り、今や一帯は、昔の面影を探すことさえ困難な住宅街になり変わった。広大なショッピングモールもできたし、四国の中核をなすガンセンター病院もできた。

便利と言えば便利になった。だが、水の神を祀った小山はブルドーザーに押しつぶされて、ガンセンター病院の底にはかなく沈んでしまった。腰かけ石も瓦礫と一緒に捨て去られ、今、そこは病院職員住宅の駐車場だ。

はたしてこれは文化の創造? それとも破壊?

2019年7月19日
先日、この夏初のセミの声を聞いた。長かった梅雨空が晴れて、空が真っ青にきらめいた日だった。セミが衝動に堪えられなくなったのか。7月16日だった。

7月16日は、私が勝手に松山の梅雨明けの日と決めている日だ。自然界も私の思いに気づいているのか、16日には必ず空が晴れ上がる。いきなり夏空が現れる。やっぱり今年も16日だった。得心しつつそう思ったことが、いったいこれまで何度あったことだろう。(これは私の感性の問題。気象庁発表ではない。)

今年はどこかいつもと違う。たしかに16日に空は晴れ、セミが鳴いた。だのに翌日以降、声がパタッと止んでしまった。空も梅雨空に戻ってしまった。

梅雨空と言ってはおくが、今年の松山は空梅雨だ。ザザッとときたま降るには降るが、雨量にすれば無情にもゼロ。だけど曇っているから、気温は真夏にほど遠い。セミもこれでは鳴く気になれない。

昔だったら、これはもう大飢饉だ。さすがに今は大丈夫だが、日照不足は歴然たる事実。いったいこれをどう乗り越えるのだろう。

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昨夕、久し振りに猛烈な雨が降った。1時間の雨量が30ミリだったという。100ミリなどという雨もあって、経験した人が、「バケツをひっくり返したよう」と、通り一遍の形容ではなく、心底の実感としてテレビで語っているのを見たことがある。それからすれば30ミリなど序の口だろうが、我が身で体験すると30ミリもなかなかのもの。傘をどこに向けても、隙間から雨が容赦なく打ちつけてくる。

雨が過ぎると、今日はまたいつもの曇天。やはり松山は空梅雨らしい。空梅雨のまま、いつともなしに梅雨は去って行くのか。

松山の空とは裏腹に、全国各地を豪雨が襲った。地球温暖化! 異常気象! ただごとではない。

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それにつけてもつくづく思う。松山はなんと気象災害から守られていることかと。

「四国地方は250ミリの雨」のような天気予報をよく耳にする。あれはまずたいてい松山の話ではない。四国山脈の南側、つまり高知県とか愛媛の南予地方の話だ。

瀬戸内の松山に自然が荒々しい顔を見せることは滅多にない。台風にしろ豪雨にしろ、たいていは南の風に乗ってくる。南を四国山脈で守られている松山は、まるで城砦の中だ。しかも、山脈の背骨にそびえる石鎚山は西日本一の山。たのもしいことこの上ない。

同じ四国山脈を南にしていても、西条や新居浜あたりは、山脈からあまりに近いため、石鎚下ろしと呼ばれる強風が吹く。山脈からほどほどの距離にある松山は、やはり恵まれているのだ。気象における特異点だ。

そんな松山でぬくぬくとすごしていると、人間は知らないうちにヤワになる。私など、その典型だ。まして、年金生活者となって久しく、自分で自分の仕事(と自分でみなしているもの)をコントロールするほか、生活を律する強制力のない身になってみると、ヤワへヤワへと流れていくのを、なんだか他人事のように眺めるばかりだ。

「自由の身であることと表裏一体の、老人の悲哀」というところか。

2019年7月16日
参院選の期日前投票に行った。私の一票の重みはどれほどのものだろう。「わずか一票で何が変わる?」と言う人もいるだろうが、やはり一票は重いと思う。一票そのものの重みではない。積み重ねの重みだ。何万票も、何十万票も、所詮は一票一票の積み重ねの結果だ。人間の身体も、地球も、太陽も、所詮一個一個の素粒子の積み重ねにすぎないのと同じく。

投票先は、もちろん野党統一候補。安倍一強で、日本の政治はかつて経験したことがないまでに腐ってきた。トランプ同様、次々に出される政策は、ただ目の前の選挙に勝つためだけのもの。

たとえば、ハンセン病患者の家族への補償に関する判決に対し、安倍は独断で控訴しないと発表した。もちろん控訴しないことは私の望むところ。大いに歓迎すべきことではあるのだが、彼の腹の底には「控訴すると参院選に悪影響する」という政治判断があったのが見え透いている。政府(官僚)は控訴することをほぼ確定的な方針としていたにもかかわらず、安倍が独断で控訴断念を発表した。

そのため、この件について、政府発表と安倍談話とに齟齬が生じてしまった。検討すべきいくつもの課題を棚上げにしたまま、国民に向けて「今だけのいい顔」をして見せた安倍。もしも判決が八月であったなら、政府は一も二もなく控訴しただろう。公訴発表の場に安倍は姿を見せもしなかっただろう。

年金2000万円問題も同じこと。自分がもらっている年金額さえ知らない麻生氏のようなハイクラスの人は別として、一般庶民は年金だけでは老後の生活が成り立たない。このわかりきった庶民感覚を、きちんと数値計算で示して見せたのが「2000万円の貯蓄が必要」という報告書だった。だが、これを認めてしまえば、目の前の選挙に差し障りがある。だからないことにしよう。麻生氏はそう考えて、「委員会の報告書を受け取らない」という前代未聞の決定をした。内容の真偽にはいっさい触れず、報告書自体をなかったことにしてしまったのだ。おそらく公文書として後世に残されることもないのだろう。

自ら諮問して委員会を立ち上げておきながら、結果の報告はなかった。こんな奇妙な事態が、事態としてだけ後世に残されることになる。公文書の偽造、改ざん、廃棄とどこが違うのだろう。麻生氏の腹の底の根本精神は「気に入らないものは消す」であるらしい。

幼児教育の無償化も、票集めの意味あいが濃厚だと思える。別にそれ自体がいけないわけではないが、話題になっている問題に対処したことを見せて、若い女性の安倍離れを食い止めたい。ただそれだけの政策に見える。そこから必然的に派生するであろう保育の質の低下や、待機児童を持つ親との待遇格差の問題、さらには、高等教育の無償化(高等教育の機会均等)をどうするかなど、政策の整合性やバランスを保つために考慮すべき課題を多く積み残したまま、当面の人気取りのために打ち出した政策に思えてならない。

囲碁にたとえて言うなら、自分の石がアタリになれば反射的に逃げ、取れる相手の石があれば歓喜して取る。つまり、先を見通した大局的な判断なしに、目先の損得だけで打つ手を決める。これでは碁には絶対に勝てない。今の安倍政治がまさしくそれだ。彼にとっての目先の損得とは、目の前の選挙に勝つこと。

選挙に勝つことだけを目指した政治が、国の先行きをよくするとは、とても私には思えない。

腐敗しきった安倍政権を倒して政治に新しい風をもたらしてくれる勢力に、私は期待したい。

安倍さんは叫ぶ。「民主党政権時代の悪夢に戻してはならない」と。内政も外交も経済も、何もかもが袋小路にはまってしまい、囲碁で言えばもはや投了するしかなくなっている自分の政権の存立理由を、民主党政権時代を悪夢にたとえることによってしか正当化できない。私にはそのような安倍さんが哀れでならない。幽霊に刃を向ける臆病者、風車に突進するドンキホーテ! 民主党に政権を奪われた10年前の出来事が、よほど彼にはトラウマらしい。

選挙演説で「民主党の枝野さん」とくり返し言い間違え、それがさまざまな憶測を呼んでいる。当初は受けねらいの故意の言い間違いであったかもしれないが、行く先々で同じ言い間違いをしているとマスコミに指摘されると、それからはやらなくなった。ところが、数日後、またやってしまった。今度は故意ではない。正真正銘の言い間違いだ。この言い間違いの根本にあるものは、安倍さんの「民主党トラウマ」だと、私は個人的には確信している。精神分析学者のフロイトが言っているではないか。言い間違いは、人の心の最も奥底にある願望や恐れの現れだと。

自民党政権の次に来る新しい政権は、当然ながら過去の民主党政権ではない。誰でもわかるこの当たり前の事実さえもが、安倍さんにはもはや見えなくなっている。よほど幽霊が怖いと見える。

2019年7月12日
歳をとると、思わぬところに不具合が生じる。つくづく思う。

ボクは目をやられてしまった。たぶんここひと月以内のこと。視力が極端に落ちてきた。元々遠近両用メガネを使っていたが、、それで当たり前に見えていた壁のカレンダーの数字が、最近読めなくなってきた。出窓に置いているデジタル時計の数字も、今までくっきり見えていたのに、このところ妙な具合にぼやけてきた。この「妙な具合」というのが曲者で、ただ近視の度が進んだだけというのとはどこか違うと、自分でも感じていた。

しかし、とりあえずまあ、メガネの度が合わなくなったので新しいメガネを作ろうかと、先日メガネ屋に行った。すると、検査をしてくれていた店員が、「ちょっとおかしいので、これを見てください」と、方眼紙のような紙を目の前に置いた。左右それぞれの目で見ると、右目で見たとき、方眼の線がゆがんで見える。「やはりそうですね。これはメガネの問題ではないですよ。眼科に行って調べてもらってください」とのこと。

そして昨日、眼科に行った。精密検査の結果、右目に黄斑変性とかいう病気があることがわかった。網膜の一部に小さなコブができ、その表面が剥がれ落ちる病気らしい(たぶん正確な言い方ではない)。水晶体や硝子体を通って光がそこまで届いたとき、網膜のそのコブの部分がゆがんでいるものだから、物がゆがんで見える。そういうことかと思う。

これに加えて、両目とも白内障が進んでいるとも言われた。

3年ほど前、アミロイドーシスと診断され、以来、月に一度程度、抗がん剤を飲む。そのとき、合わせて必ずデカドロンというステロイドを飲む。けっこう大量に。「ステロイドを飲んでいると白内障が進むことがあるんです」と眼科医は言う。原因はたぶんそれだろう。

そんなわけで、ついに、白内障と黄斑変性の手術をすることになった。と言っても、手術にかかる時間はわずか。白内障だけだと10分ほど、黄斑変性と合わせた手術でも30分ほどとのこと。一週間の間を置いて左右それぞれの手術をする。手術はひと月先だ。

白内障の手術にはオマケがついているとも言われた。近視か遠視かどちらか好きな方を治すことができるというのだ。レンズの働きをしている水晶体(白内障の人はこれが濁っている)を取り出して、人工的な水晶体に差し替えるのだが、その人工の水晶体の屈折率は「お望みのまま」なのだ。少し迷った末、近視を治してもらうことにした。

中学生のころから近視のメガネをかけつづけてきた。メガネはボクの生活の一部になっていた。それが今後は不要になるというから、寂しいような、嬉しいような。

だが、遠視は残る。だから、本や新聞を読んだり、パソコンに向かったりするときには、老眼鏡が必要になる。どっちもどっち、痛しかゆしだ。

歳をとると、思わぬ病気が待ち受けている。ああ、悲しきは老化。

2019年7月9日
一年ぶりです。この間、月に一度の抗ガン治療によって、病状は格別よくもならないが、悪くもならず、これならボクにも「老後」というものがあるのかもしれないと、先行きに少し明るいものが見えてきたこのごろです。

追々と日々の思いをまた記していこうかと思えるようになってきました。

先日、高熱が出て3週間ほど入院したのですが、そのとき、治療というよりは検査のために、足のつけ根からリンパ節を取り出しました。ちょっとした手術でした。3センチばかり皮膚を切り、内部をえぐり、リンパ節を切断して取り出す。もちろん局所麻酔をしているので、痛みはまったく感じない。

取り出されたリンパ節を、「見ますか」と尋ねられ、一度は「いやけっこうです」と答えたものの、滅多に(というより一生に一度も)見る機会のない代物。「やっぱり見ます」と答える。すると、手術台に仰向けに寝かされたボクの目の前に、ピンセットではさまれたリンパ節、取り出されたばかりの生々しいそれがぶら下がった。第一印象は梅干しだった。直径2センチほどの球体が真っ赤に染まり、表面は梅干しそっくりにシワシワしている。あとで聞くと、真っ赤なのは血に染まっていたから。洗えば白っぽいものらしい。

それにしても、滅多に見られないものを見たわけではあります。

今、参院選のさなか。与党が優勢という選挙情勢の序盤調査を新聞で読むと、なんだか目の前が暗くなります。

ボクにできることは野党統一候補に一票を投じること、それだけ。こうした一票一票の積み重ねが日本の将来をどう決めるのか、ただただ祈る思いで見守ることしかできません。

信じがたいのは、大学生をも含む若者層の多くが平気で自民党を支持していること。若者は元来、よりよきものを求め、変革へと向かうもの。「今」を良しとはしないもの。こんな考えは過去の古い幻想にすぎないのでしょうか。ついつい自分の学生時代と対比してしまうのは、老人のノスタルジアにすぎないのでしょうか。

半世紀前、日本の学生は政治の改革を求めて立ち上がり、沸き返っていた。今、香港で市民や学生が巨大なデモの渦を作っている。あの沸き返った熱気を何十倍、何百倍にも高めたエネルギーが、当時、日本を包みこんでいた。反戦平和のため、大学の改革のため。

今の若い人には信じがたいことでしょう。

こんなことを思い出すこと自体、もはや老人の時代離れした郷愁にすぎないのでしょうか。

今や、時代はすっかり変わったみたいです。若者たちが令和のカウントダウンでお祭り騒ぎをする。令和令和の興奮の渦は、二ヶ月が過ぎた今もなお、無意識のうちに、日本人の心の内で舞い狂っているらしい。

別に令和がどうこう言うわけではないのですが、背後には政府のあからさまな天皇交代劇の政治利用がある。ものごとを少しでも冷静に見る人の目には、それがはっきりしているにもかかわらず、まったく無頓着に、脳天気に、煽られたお祭り騒ぎの中にどっぷりひたってついて行く。それが現代の若者であることに、ボクは深い危惧を覚えるのです。ものごとを外から客観視し、本質を見抜き、しかも必要ならば戦う勇気と力をもった本来の若者らしさ。それをすっかり失った現代の同調型若者が、信じられないのです。悲しいのです。悔しいのです。

高度経済成長の一翼を担ったボクら老人は、もはや消えゆくのみ。将来を背負うのは今の若者たちです。その若者の姿に一抹の不安を覚えざるをえないのです。

これもまた老人の時代遅れのノスタルジアなのでしょうか。


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