2013年1月25日
 春近しだ。ぼくの好きなロウバイが、道々にえもいわれぬ芳香を漂わせている。鼻をくっつけると、すーっと蘇生の気が体内を駆け巡る。瀕死の境にあっても、ロウバイの香をかげば、きっと生き返る。

 いよいよあとひと月で、ぼくは65歳。シニアからシルバーへと、序列の階段を一段上る。いつもよく行く郊外の温泉は、65歳になると、400円から300円に値引きされる。

 松山の独占的私鉄である伊予鉄では、65歳からシルバー定期券なるものを買うことができる。6ヶ月で2万7千円(1日あたり150円)。これがあれば、電車もバスも、全区間フリーパスだ。なんだかわくわくするではないか。誕生日が来ればこれを買おうと、、今から心待ちにしている。誕生日を待つ気分なんて、ああもう半世紀ぶりだ。

 昨日はまた、私学共済から年金の知らせが届いた。退職してこれまでもらってきた年金は一時的で特別なもの。65歳からが正式の年金だとある。いよいよ、押しも押されもせぬ老人というわけだ。

 悠々自適という言葉をぼくは好まない。暇をもてあましてゴロゴロしているイメージが、言葉の裏に芬々としている。

 老人への門出を、ぼくは人生の新たなスタートとしたい。もちろん、身を縛られる仕事に復帰しようなどと考えたりはしない。どこまでも自由でありたい。自由でありつつ、ライフワークに向けて突き進みたい。

 そのライフワーク、今や準備は整い、着手を待つばかりとなっている。仕事に先立つ準備作業を、ここ一年、我を没してやってきたのだ。完成には、5年、10年、いやもっとかかるだろう。生涯の仕事になるだろう。だからこそライフワークだ。

 仕事には図書館が欠かせない。膨大なレファレンスを要するのだ。シルバー定期券は、実は図書館通いのためである。車を使うと、毎日何時間もの駐車料金が馬鹿にならない。

 65歳になったその日から、ぼくの仕事が本格始動する。そういう仕掛けになっているのだ。

お菓子教室に
2013年1月31日
 なんと昨日は、お菓子作り教室の生徒になった。定年退職者なればこそだ。受講生は十数人。うち男はぼく一人。何とも消え入りそうなこそばゆさ。

 講師の先生は故あって知る人だし、知り合いのご婦人が二、三名参加しているしと、誘われるままに顔をのぞかせた。

 会場は、さる○△センターの調理室。入ると、立派な調理台がいくつも並び、鍋、釜、包丁から、見たこともない調理器まで、調理台ごと道具一式、至れり尽くせりそろっている。

 お菓子に限らず、料理教室なるものに参加したのはもちろん初めてだ。レシピを配られ、先生に教わりながら、マーガリンやら砂糖やら、あれやこれやの粉やらを秤に乗せて計量し、ボールに入れてこね、容器に移し、その上にリンゴの薄切りやら何やらを乗せ、最後はオーブンで焼く。

 30分あまりで焼き上がるその間に、また次のお菓子の下準備をする。もののみごとな手際よさ。目を白黒させているうちに、2時間後には三種類のお菓子ができ上がっていた。

 教わりながら、ぼくはつまらぬことを思い出していた。こういう場面、昔あったよな。調理台がずらっと並んでいたよな。あれはいつだろう。そうそう、小学5年生のときだ。

 家庭科の調理の時間だ。何を作ったのかは覚えがないが、味噌汁の記憶だけは鮮明だ。具を入れ、ぐつぐつさせ、味をつけ、最後に味噌をすり込んだのだった。

 一班で一鍋。男女混成の5,6人の班だったよな。味噌は、ある女の子が、袋から絞り出すようなあんばいで入れたんだ。それを見つめながら、ぼくはとっさに、正直な感想を一言ぽつりと発してしまった。

「うんこみたいじゃな」

 今まさにうんこを、いやいや、味噌を絞り出しつつあった女の子はぼくをギロッとにらみつけた。あまりの険しさに、ぼくは頭がくらっとして、ぶっ倒れそうな恐怖を感じた。

 眼力による攻撃に続いて、猛然たる言葉の速射砲が撃ち込まれた。いちいちの言葉は忘れたが、最後の仕上げは、

「バカ、もうあんたなんか、入れてあげん」

 そう、この言葉は今もぼくの胸に突き刺さって抜けないとげなのだ。

 家内とは、小学5,6年生の同級生である。あの教室にいたことはまちがいない。だが、あの女の子は家内ではない。それだけは断言できる。それがわかるだけで、ぼくはいまほっと一息つくことができる。

 お菓子は、油も砂糖もたっぷりすぎるくらい使って作るもの。身にしみて実感した。

 実においしいのができた。だが、おいしさのあまり、パクパク食べすぎると、あとが怖い。持って帰ったお土産は孫のおやつにちょうどいいと、もうすっかりじいちゃん気分になっている。

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