2012年3月1日 |
昨日,同期の友人の葬式に参列した。 64歳,若すぎる。まだまだ人生の後半戦が始まったばかりではないか。 ぼくはと言えば,第二の人生のスタート地点に立った喜びとわくわく感をかみしめている最中なのに。 早すぎるよ,あまりにも。 彼は小学生時代からのなじみの友だった。ぼくの兄と彼の兄も同期で,ぼくらとは七つ違う。 兄同士も親友だった。 兄が生まれて一年もたたないうちに太平洋戦争となり,彼の父もぼくの父も戦争に召集された。 そして,長い戦争と捕虜期間を経て,二人とも生き残って帰還した。 そして生まれたのが,彼であり,ぼくである。だから,彼もぼくも,兄とは七つ違う。 彼は外向的で活発で,いつでもどこでも自然に人の注目を浴びるタイプだった。人を笑わせ,楽しませ,それを通して自分も楽しんでいた。 もうずいぶん長く同期会の世話役を引き受けていた。 ぼくとは真反対の性格である。 しかし,ぼくらは仲よくしていた。 近頃は年に一度の同期会で顔を合わせるしかなかったが,会うたびにやせ細っていくのが気になっていた。 最後に会ったのは去年の秋だった。あいかわらず陽気で活発だったが,どこか病的なやせを感じた。 すでに病状は相当に進んでいたのだろう。 死ぬ5日前に病院に入り,もう手の打ちようがなく,あっけなく天国に旅立ったという。ガンだった。 彼にかぎらず,最近,同年配の人の死に出くわすことが増えてきた。 64歳とは,もうそんな歳なのか。ぼくも,いつぽっくり逝っても不思議ではない歳になっているのか。 ふとそんなことを考えてしまう。 昔,小学館の「小学三年生」だったか「小学四年生」だったかに載っていた次の歌を思い出す。 村の渡しの船頭さんは本の挿絵を見ながら,母が歌ってくれるのを聞き,以来もう決して忘れることはない。いつでもさっと歌詞が出てくる。 「今年六十のおじいさん」を,当時はたいそうな老人だと想像していた。腰が曲がって,よぼよぼして,目もかすみ,…。 だが,いざ自分がその年になってみると,なんてことはない。 単なる子どもの延長だ。考えることは幼い。 孔子が,三十にして立つ,四十にして惑わず,五十にして天命を知る,六十にして耳順う,などと言ったが,凡人にはとてもそんな気配はないことを,その歳を迎えてみてぼくは知った。 いつまでたっても,目の前は新鮮でわからないことばかりだし,惑い続けるし,天命を知ることもなくむなしい夢を見る。 それでいいのかと,逆に悟っているこのごろである。 それにしても人の命ははかないものだ。 あの元気だった彼が逝ってしまった。 船頭さんの歌を歌いながら,母が言った。 「母ちゃんのお母さん,清志ちゃんのおばあさんよね,いま生きていたらちょうど六十かねえ」 当時はまったくぴんと来なかったが,母の母親は,母が十五のとき,三十六歳で突然の病に倒れて死んでしまった。 それまで何不自由なく好きなだけ勉強し,好きなだけ本を読んできた母は,幼い弟や妹のいる長女なるが故に,母親の死をきっかけに女学校を中退させられ,家事・育児に追い回される生活に突き落とされたのだった。 夢が絶たれてしまったむなしさ,辛さ,悔しさを,母は生涯抱え続けて生きた。 その母をかろうじて支えてくれたのはキリスト教だった。 ぼくが大病をして生死の境をさまよっていた五十歳のとき,枕元で母が言った。 「私の人生はとても辛くて,信仰がなかったらとても生きてはいけなかったわ。信仰だけが支えだったの」 ぼくが五十歳で受洗したきっかけはその言葉だったように思う。 人はいつ「はいここまで」と言われる日を迎えるのか,誰も知らない。 普段の元気さなど,「はいここまで」には何の役にも立たない。 元気な人ほどあっけないともいわれる。 64歳にもなれば,使者がいつ扉をたたいても驚かないように,覚悟だけは常にしておかないといけないなと,しみじみ思ったのであった。 |
2012年3月5日 |
何日もうっとうしい雨が続く。 つい先日,幼いころからの友人の死に遭遇し,死について少々考えさせられたかと思ったら,1週間もたたぬ間に,また一人の死に直面した。 教会の仲間だった。11歳年上の75歳。 目立たぬが,本の好きな物静かな人で,ぼくのあこがれのお兄さんだった。 二週間前,あるグループの会合で一緒になり,隣の席でひとときを過ごしたばかりだった。 前回の『今年六十のおじいさん』に,「元気な人ほどあっけない」などと書いたが,まさにその言葉通りの最後だった。 会合のときにも,死の気配などまったく感じさせず元気だったし,死の前日も,普通に車を運転し,食事もし,風呂にも入り,いつもと何の変わりもなかったのだという。 ところが,翌朝,5時ごろトイレに行き,その帰り,いきなりバタンと倒れたのだ。物音で奥さんが駆けつけると,「急に足が動かなくなった」と言い,そのまま息も絶え絶えになってしまった。救急車で県病院に運ばれたが,6時すぎには息を引き取ってしまった。 こんなことって,本当にあるのだ。 実は,県病院でその夜,宿直の担当をしていたうちの一人はぼくの娘婿だった。ひょっとしたら彼が最後を見届ける人になったのかもしれない。不思議な宿命を感じてしまう。 それにしても,またも人の命のはかなさを思い知らされる出来事に遭遇させられた。 人は死ぬ存在なのだ。だから人でありえるのだ。 ギリシャ神話の神々のように,死を持たない存在であったなら,人はとても人ではありえないだろう。やりきれなくて,逆に生きてはいけないだろう。 日ごと内臓をついばまれながらも生きねばならないプロメテウスには,人はとうていなれない。 死は,怖いが受け入れねばならないのだ。 それのみが人を永劫の苦痛から救うのだ。 ああ,それにしても75歳は若い。64歳はなお若い。 やり残したことは山のようにあるだろう。 それでも人は死ぬのだ。 扉をたたく使者がいつやって来るのか,誰も知りはしないのだ。 今かもしれない,明日かもしれない。 やり残しがなく,すっきりするまで待ってくれたりはしないのだ。 だから焦ってすべてを片付けよう,などとする必要もない。 何かをやり残して死ぬのが人の宿命なのだと,悟らないといけない。 道半ばで死ぬのが人なのだ。 すべてを終える仕事は神にまかせたのでよい。 家内の父親は,描きかけの絵と絵筆とを机に残したまま死んだ。 90になってまだ現役で働いていたぼくの父も,新しい製品を開発するための実験材料を机の上に並べたままで死んだ。 これでよいのだ。 終わりまで来た,と満ち足りて死ぬよりも,次への歩みの途中で死ぬ方が,人にとってはよりよい死に甲斐になるのかもしれない。 さてぼくも,その日のための歩みを続けねばならない。 |
2012年3月24日 |
「あの先生ダメだよ。Aさんの絵を見ても、ほー、これはいいねえ、Bさんの絵を見ても、そうこれがいいんだよ。結局どれがいいのかちっともわからない」 「先生は、人それぞれの個性を伸ばそうとしているのじゃないのかなあ。芸術というのは、良し悪しを一つの基準で決めてしまえるようなものではないんだから、結局はその人の持っている特性をいかに伸ばすかだけの問題になるのじゃないの」 「それはそうかもしれない。でも、あの葉っぱの色を出すにはどの色とどの色を混ぜたらいいですかと聞いても、先生は何も答えてくれないじゃないか。技術的な質問に的確に答えるくらいはやってくれないと、月謝を出して習いに行っている意味がないよ。それをやれない先生は、先生失格だよ」 「だけど、それは先生にも実際、答えられない質問だと思うよ。あの葉っぱの色と言われても、ただ一色でできている葉っぱなんてありはしないのだから。極端に言えば、一枚の葉っぱを構成している一点一点の色は全部違うじゃないか。それを全体としてどうとらえて、どう描くかは、見る人、描く人の感性次第じゃないのかなあ」 「同感だな。実際のところ、あの色を出すには、この絵の具何%とこの絵の具何%を混ぜたらいいなんて、一発で正しく答えられる人はこの世に誰もいないと考える方が自然だと思うんだけどね。誰にとっても、試行錯誤しながらでないと思いの色なんて出せないのじゃないのかなあ。先生にとってもそうだと思うよ」 「ぼくはしかしそれを知りたいんだ。それを教えてもらえるのが絵画教室だと思うんだ。自分でいろいろやってみてもうまくいかないから質問しているんだよ。先生にはその質問に答える義務があると思うよ」 「ぼくは違うと思う。もし仮に、それを正しく教える力が先生にあったとしてもね、こうやってこうやればこうなると、数学の定理みたいに筋道を全部教えてしまったら、それはもう教えることにはならないと思う。習うことにもならないと思う。実際、そんなことを教えてもらっても、おもしろくも何ともないじゃないか。ある一つのことができたというだけで終わるじゃないか。それによって得るものは何もないと思う。自分で努力し、工夫し、失敗し、その中から何か小さなものでもつかむことができたなら、それが学ぶということだと思う。手取り足取り教えてもらうことが学ぶことではないと思う。ぼくだったら、先生が筋道を全部つけてしまうような教え方をしたら、ああもうそこまでは教えないで下さいと、叫び出すと思うよ。それでは自分で工夫する楽しみがなくなってしまいますと、先生の口をふさいでしまうと思うよ」 「でも、あるレベルに達するためには、それをやってくれないといけないのじゃないのかなあ。あれもいい、これもいいでは、技術の上達にはならないよ。あるところまでは、強制的にでも一本のレールの上を走らせるのが教育だと思うんだけどね。無理矢理にでも教え込むということをしなければ、個性を伸ばすという甘い言葉だけでは、基礎の技術は身につかないと思う」 「前の先生はそれをやってたね。少しでもデッサンが崩れていると、厳しくしかられた。今の先生は、写実よりはデフォルメという主義だから、デッサンの崩れなんてちっとも指摘してくれない。かえってそれを、おもしろい構図だね、とか言ってしまうものだから、はたして力がついているのかどうか自信がもてない」 「ぼくはでも、今の先生になって、ようやく絵とは何かが少しわかりかけてきた気がしている。目の前の対象と同じ形、同じ色を追求しても、それは絵ではないよ。絵は躍動であり、変化だと思う。対象を感性と意志と力で再構成することだと思う。こうしたらああなるという必然の世界は、もはや芸術ではないと思う。偶然の色合い、偶然の筆運びを楽しみながら、ある意味では成り行きにまかせてイメージを作り上げていくこと、それが絵を描く楽しみではないかと思う」 「ぼくもそう思うよ。前もっての構想という規定の枠に縛られず、描くにつれてイメージは変化していくものだと思う。変化しつつ、最後にはある形に到達する。思いもよらぬ地点に到達してもよい。それが描く楽しみだと、ぼくも思う」 「そんな場当たり的なばくちみたいな芸術はないよ。芸術は緻密な設計と、それを実現する技術にあると思う。厳しいものだよ、甘くはないよ」 「少なくともたしかなのはね、今の先生は場当たりと偶然に芸術の神髄を見ている人だということだ。平坦を嫌い、変化を尊ぶ。偶然の筆の運びがもたらした輝きを大切にする。それそれ、それを残しておこう、それを塗りつぶしてしまったらこの絵は死んでしまう。先生がいつも言うことだね」 「その偶然というやつは、前もって計算したり、こうしたらこうなると決定論的に言えるものではないんだね。そこに到達するための筋道なんてものは、いくら生徒に質問されても言えないわけだ。言わないのではなく、言えないわけだ。もっとはっきり言えば、先生も知らないわけだ」 「だから、そうそうこれでいい、それがあなたの持ち味なんだからと、おだてつつ生徒に何かを自分でつかませるしかないんだ」 「教える側だけでなく、学ぶ立場から言っても、そうだと思う。それしかないのだと思う。ぼくは長く数学をやってきたけど、証明を人から教えられても何の喜びもない。手品の種明かしをされたみたいで、がっかりするだけだ。自分で道を発見するのが数学の最大の楽しみだし、醍醐味なんだ。同じ結論に到達するにしても、そこに至る道はいくらでもあるというのが、数学をやっていてつくづく思うことだよ。目的地は同じでも、別の道をたどることで、その道中に、また新しい発見が待っている。結論に至ればいいというものではない。ましてや、結論に至る道を先生に教えてもらっても、そこには何ら新しい価値はない。教えられた人にとっては、ただ一つの事実を知ったというだけのこと。その人の考える力を伸ばす効果もなければ、知ったことを次に飛躍させる効力もない。やり方を教えてもらって嬉しくなる人には、そもそも学問をする資格はないのだと思う。ハウツーものを読んで博学になったつもりでいる人と同格だと思う。手っ取り早く効率的に多くを知る人よりも、苦労や無駄を積み重ねつつ一つの地点に到達する人の方が、得たものははるかに大きいのだと思う」 「だけど、やっぱりぼくにはあの先生は合わないな。どの絵に対しても、いいねえとしか言ってくれず、ここがいけないからこう直しなさいと、はっきり言ってくれないんだから。あれではいつまでたっても進歩しない気がする」 「期待しているものが違うんだね。ぼくは先生のさりげない一言がビリビリッと全身を震わせることがある。ときたま感じるそれで十分だと思っている。5回の講座のうちの1回でも、そういう瞬間があれば、それで習っている価値はあると思っている。習うというのは、教えてもらうことではなく、心に響く何かを、先生のしゃべりや動きや雰囲気から発見することだと思っている。何にビリビリするかは、受け手によって当然違っていていいと思う」 「要するに、自分の問題意識に先生が寄りそってくれるのを期待するのではなく、先生がもっているものに自分の感性を寄りそわせ、ビリビリッとくる瞬間があれば、それを体にしみこませるということだね」 「そう、そういうこと。ぼくは長年教師をやってきたんだけどね、昔は何かを教えようとすると、ちょっと待って下さい、その先は自分で考えてみますからと、こちらの口を押しとどめる生徒がよくあったものだが、近頃はそんな生徒はいなくなった。ここをもっとよく考えてみようと言っても、そんなことより早くやり方を教えて下さいという生徒がほとんどになった。そうした方向へと強いる教師もいるんだね。道を先につけてしまって、さあこの道をたどる練習をしろ、という主義だ。そのやり方にはたいてい強い強制力が伴うから、生徒はいやでもやらざるを得ない。そうこうするうちに、生徒も、ろくに頭を働かせもしないで、ただ覚え込んだり、与えられた道をたどる練習をしたりすることに喜びを感じ始めるんだね。なぜなら、それはそれで汗は流れるし、労力は使うし、しかも、やったことが量として目に見えるから、生徒にとっては一種の達成感があるんだ。それに対して、自分で考えるというのは、労力と時間のわりに目に見える収穫はわずかだから、人によっては達成感がない。手っ取り早く解き方を知りたいという衝動に駆られるようになる。本当の力は泥臭く考えるところからしか生まれないと思うんだが、生徒の目には、強制して尻をたたいてくれる教師の方がよい先生と映る。大阪の橋本市長などの目から見れば、そういう教師こそが力量ある教師の典型というわけだ。これはもう時代の流れなのかねえ。ぼくなんかはもう完全に落第教師だ」 「……」 「ぼくが、効率的に筋道を教えて、それを強い強制力で覚え込ませるというやり方をとらなかったのには大きな理由がある。それは、そうされることをぼくが一番嫌うからだ。そういう授業をぼくは受けたくないし、そういう教師からぼくは何かを学ぼうとは思わない。自分が人からされて一番いやなことを、いくら教育の場だからと言って、生徒らに強制したくはない。人を奴隷にはしたくないからね。その意味で、今の絵の先生はぼくの価値観にぴったりなんだよ」 「でも、それでは満足できない人がいるのもたしかだよね。もっとぐいぐい引っ張ってほしいという人がいる。そういう人の方が多いかもしれない。まあ概して、自分一人では泳げない人が、教師を浮き輪代わりに使おうとする。それも事実だけどね。だがやはり、泳げない人の浮き輪を馬鹿げたものだと言い切って捨てさせることはできないと思う。とりあえずのところ、それでも目の前のゴールくらいまでなら泳げるかもしれないんだから」 「浮き輪で泳げたように見えても、ちっとも本当のところは泳げていないけどね」 「それは、学ぶ側がもっている目標によるんだ。泳ぐプロになろうとしたら、はじめから浮き輪なんてない方がいいに決まっている。しかし、目の前のゴールにとにかく到達すればいいというだけの人なら、浮き輪もまたそれなりに意味を持つのではないか」 「学校教育にはたしかにそういう面があるね。学問のプロになる人だけがすべてではないんだから。目の前の受験に受かることだけが目的で、受かってしまえば数学なんて必要ないという人も多いのだから。そういう人にとっては、じっくり考えて真の数学力をつけるなんてことは二の次で、とにかく典型的な問題が解けるように解き方を覚え込むだけでよい。その方が現実的で手っ取り早い手段なのかもしれない。ひょっとしたらその方が合格の確率が高まるのかもしれない」 「だけど、やはりおもしろくはないね。それではね。いやだね。どんな場合でも、人間というのは創造する喜びを感じない仕事はしたくないものね。効率一辺倒の機械にはなってしまいたくないものね。ガレー船の船べりに鎖で縛りつけられて、死ぬまでひたすら櫂を漕ぐなんて奴隷にはなりたくないものね」 「創造の喜びと効率は、どんな場合でも両立しないよね。創造ははっきり言って非効率だ。性急に効率や結果を要求されると、人は創造しなくなる。同じパターンの繰り返しでことを済ませるようになってしまう。先生がいつも言っているじゃないか。絵を描くのに疲れてくると、人はたったかたったか同じパターンで矢継ぎ早に筆を動かすようになると。塗れば塗るだけ絵の価値が下がっていくと」 「話を戻すけど、個々の生徒ごとに学校教育が果たすべき役割は違っているわけだから、それをおしなべて一つの教育に流し込むために、最大公約数的な生きる力の涵養などと、あるとき文部科学省が言い出した。プロにもアマにも通じる最大公約数だ。しかし、最大公約数でははみ出す者が当然出てくるし、全体の学力レベルは下がらざるを得ない。当然予測できるそれが数字になって目に見えるようになると、文部科学省はふたたび舵を切り直した。一種の英才教育も認めるようになり、詰め込み・押し込み型の教育をも是とするようになってきた。そうなると次には逆の反動で、ぼろぼろとこぼれる者が出てくるだろう。それも目に見えている。結局は、大きくばらつきのある個々の生徒の要求を一律の教育でカバーしようというところに無理があるんだ。じゃあ戦前のようにコース仕立ての教育制度がいいかというと、今度は機会均等の問題が生じる。一度コースを外れたら、プロの学問の道はもう閉ざされるというのでは悲しい。難しい問題だよ」 「時間もだいぶたった。そろそろ結論を出そうではないか」 「いや、待て待て。結論なんてどこにもありはしないよ。こうすべきなどとは、神様にだってわかりやしない。教える側と教わる側の、得も言われぬ不可思議な関係、それが教育というものではないだろうか。教育というのは生き物で、同じ教師と同じ生徒でも、昨日うまくいった方法が今日はダメということもある。一般的に「これがベスト」という教育方法などありはしないのだ。あればもうとっくに全学校でそれをやっているよ」 「そう考えるのも、また一つの教育だね。一つの教育方法にこだわって、それを生徒に頑迷に強制して走らせるのも、また一つの教育。力の教育だ」 「ああもう切りがないので、これでお開きということに」 「最後に聞くが、われわれはあの先生を認めるのかね」 「認めない人は去ればいい。それだけだ。あの先生から何かを学びたい人は残ればいい。ぼくは残るけどね。まあこれが、教育というものの真実の結論かもしれない」 「おいおい、どさくさ紛れに結論など出すなよ。議論もまた学びのうちなんだから」 |