2011年12月15日
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葉っぱがまばらになりかけた今日のカリン
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落ち葉が散る様子を見ていて不思議でならないことがあります。
一枚の葉っぱが落ちると、それに連動して次々に葉っぱが落ちていくのです。植物の場合、組織と組織の間に動物の神経系統や血流のような密接な相互連結の仕組みがあるとは思えないにもかかわらず、葉っぱは勝手に落ちるというよりも、連動して落ちるのです。
たとえば私の家のカリンの木。今、赤銅色に色づいた葉っぱがどんどん散っている季節ですが、一昨日には大量の葉っぱが落ちました。庭をびっしりと落ち葉が埋めてしまうほどに落ちました。
よく見ていると、別に風が吹くわけでもないのに、ハラハラと10枚ほどの葉っぱが同時に散っていきます。そして、しばらくまったく散らない休息の時をもち、やがてまたハラハラと同時に10枚ほどの葉っぱが散る。まるで寄せては返す波のように、周期的にそれをくり返しています。
その結果、1時間も経つと庭に落ち葉の絨毯ができるのです。
しかも不思議なことに、一昨日はそうでしたが、昨日も今日もほとんど葉っぱは散りません。カリンはもともと隙間なくぎっしりと枝に葉をつけていますから、少々の落葉で葉っぱがなくなったりはしません。歳とともに薄くなっていく髪の毛に似て、徐々にすかすかした感じになってはいきますが、今はまだまだたくさんの葉っぱが残っているのです。にもかかわらず、昨日と今日はほとんど散りませんでした。
やがてある日、ふたたび落ち葉の絨毯を降り積もらせるときが来るはずです。
クロガネモチも同じです。散るときには一斉に散り、一晩で大量の葉っぱを降らせます。だのに、散らない日にはほとんど散らないのです。
たしか、寺田寅彦も随筆集の中で、イチョウの落葉に関して同様のことを書いていた記憶があります。同期して落ちる不思議に寅彦も目を奪われたのでしょう。
ずいぶん昔に読んだ本なので詳細は覚えていないのですが、彼は科学者ですから、同期の原因についていろいろ考察していたと思います。一斉に散らせる原因は風だろうか。でも風がなくても同期して落ちるものな。それは、よく見ていればすぐにわかることです。
寅彦が次に考えたのは、一枚落ちると、それに伴うかすかな震動で周辺の葉っぱが落ちるのだろうか、ということ。でも、一枚の葉っぱが落ちたことによる枝や空気の振動が、別の葉っぱを散らせるほどの力を持つものか。ちょっと疑わしい気がします。
こう書きながら、今ハタと思い当たったのですが、落ちたことによる振動というよりも、枝を離れた葉っぱが地面に落ちるまでの間に別の葉っぱにぶつかり、その衝撃が次の葉っぱを散らせる、そんな連鎖反応が生じているのかもしれません。ハラハラと同時に何枚も散っていく過程をスローモーションで観察すれば、その真偽は容易に判明することでしょう。
少なくとも、木の内部組織の連携が原因であるはずはないと、これは寅彦も書いていたと思います。
しかし、同期の原因を上のような連鎖反応に求めただけでは、一昨日は一斉に散ったのに、昨日や今日はほとんど散らない、という現象の説明にはなりません。落葉の長い周期を決める要因は他にあるのでしょう。あるいはそれは単に、風のある日とない日の違いに帰するのかもしれません。でも、昨日だって風は結構吹いていたのですから、本当のところはよくわかりません。
落ち葉が散るのを間近で眺めていると、木がまるで動物のように息をしているのがわかるのです。その神秘に胸を打たれるのは私だけでしょうか。 |
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