愛犬ピー
2011年11月20日
 ピー、15歳半。おととい死んだ。天寿全うだ。柴犬っぽいメスの雑種だった。

 夏以降、みるみる体力が弱り、こちらがしびれを切らすほどゆっくりにしか歩けなくなり、そのうち歩くことすらできなくなり、寝たきりになり、流動食となり、ついには水も飲めなくなり、「ウォン、ウォン」と苦しげに鳴いて訴えることもできなくなり、昏睡状態となり、最後は眠ったまま息を引き取った。自分の死にすら気づかない静かな往生だった。

 生まれたのはおそらく1996年5月。乳離れして間もなく捨てられ、動物病院に拾われ、新しい飼いを待っていたところに、獣医学部の学生だった娘がたまたま見学に行ってもらってきたのがピーだ。わが家に来たのは8月。

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 以来15年あまり。実にユニークな犬だった。ピーと前後して、メリー、リョウ、マルタがやってきた。わが家はたちまち4匹の犬であふれた。その中で、ピーだけだった、犬でない犬は。

 他の犬は飼い主に無心にじゃれてきた。尻尾を振ってすり寄ってきた。他愛なく寝転がり、腹を見せた。

 ピーだけは違った。まるでヒトだった。ヒト科イヌ属だと信じ込んでいる犬だった。最初から最後まで、素直になつかなかった。じゃれてすり寄って来ることがなかった。いつでも数歩身を引いていた。抱かれることを嫌い、抱き上げると、身もだえしてあばれた。

 ぼくや家内を飼い主と見ていないからではない。えさをくれたり、散歩に連れて行ってくれるのが誰なのか、もちろんちゃんとわかっている。

 一言で言えば、気位が高いのだ。まるでその感性がヒトなのだ。えさ入れを目の前に置いてやっても、他の犬のように喜んですぐにがつがつ食べたりはしない。「別にほしくはないわよ」と目をそらし、まずは尻を向けて遠ざかる。ややあって、「ふん、じゃあ少しだけ味見してあげるわ」と、戻ってきてしぶしぶ食べ始める。

 目つきも犬ではない。哲学者ぶっている。木の上のハトや、軒先のスズメを、いつまでも飽きることなく見上げている。アリの行列があれば、これもまた不思議そうにじっと見つめている。地と空と自分との、永遠の不可解を哲学している気分なのだ。

 体面をとりつくろうことすら知っていた。今の今まで木の棒をくわえて遊んでいたのに、ぼくが近づくと、ぽいとそれを捨ててそしらぬ顔をする。「わたしはこんなくだらない物に夢中になるような犬ではないわよ」と、いかにも高貴ぶるのだ。

 ようやく死の数日前、抱かれても素直に身をあずけ、口に注射器で水を流し込んでもらうことをもいやがらなくなった。

 気位の高さが消えた。プライドや面子、自意識の強さが消えた。

 家内が言っていた。「はじめてピーと心が通じ合うようになった。ピーが犬に戻った」と。

 それから二日後、ピーは一人ひっそりと旅立っていった。先に旅立ったメリーとリョウとマルタの住む国に旅立っていった。

 15年間、一日も欠かすことなく一緒に、あらゆる町筋、あらゆるあぜ道、あらゆる土手道を歩いたぼくと家内を残して、彼らはみんな旅立ってしまった。

日本の秋・松山の秋・人生の秋
2011年11月23日
 先日、運転しながらラジオを聞いていると、秋のイメージは、日本では明るさ、さわやかさだが、ヨーロッパでは暗さ、陰鬱さだと言っていた。

 たしかに日本の秋は、色づいたモミジやイチョウやサクラに代表され、いろどり豊かで明るい。静かな秋の日を浴びてちかちかしているイメージもある。

 それに加えて、松山に住む私の感覚では、秋はやはり、たわわに実る柿とミカンのあでやかな朱色。

 そしてまた、郊外に広がるしっとりとした田園風景。たき火の煙がたなびき、稲の二番穂が伸びて薄緑に輝き、畦にぽつんと柿が実をつけていたりすれば、それはもう言わずと知れた松山の秋だ。

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 ヨーロッパの秋は、ミレーの落ち穂拾いのような、地平線まで起伏して続く麦畑のイメージと、深い森に蕭々と降る雨のイメージが重なる。暗い森のイメージは、ケルトやゲルマンの古代の生活にまでさかのぼる根深いものなのかもしれない。

 人生にも秋がある。盛りをすぎ、定年を迎え、もはや新しい開墾はできないかもしれないけれど、長い人生をかけて耕してきた畑の収穫を、のんびり味わい、楽しむ。そんなイメージだ。

 日本の秋のイメージに重ねるとそうなる。

 一方、ヨーロッパ的イメージでいえば、ひたひたと迫り来る老いを自覚し、未来を閉じたものと感じるようになり、過去を懐かしむことが多くなり、日々が惰性で流れていき始める。つまり、人生にアクセルが効かなくなってくる。

 上のイメージは、しかし、古き良き時代の人生の秋なのかもしれない。隠居して余生を楽しむなどという言葉は、今やもう死語になろうとしている。世間を吹く秋風はいよいよ厳しい。若いころから働きつづけた、その余力で残る人生を乗り切るなんて、できない時代に入ろうとしている。

 老いの身をなおも削って生きねばならない、そんな時代が来るのであろう。

 思えば、われわれ団塊の世代は、青壮年期、働くことで親や祖父母の世代を支えてきた。今から見れば格段に豊かだった彼らの年金を、われわれの掛け金がまかなってきたのだ。その団塊の世代が人生の秋を迎えた今、われわれを支えてくれる世代がいない。いないとは言わないが、絶対量が不足している。それに加えて、経済の沈滞により、若い世代の活力がかつてのようには有効利用されていない。

 団塊の世代は、戦争という悲劇にこそ遭わなかったが、泣き面に蜂なのだ。支えるだけ支えて、いざ支えられる身になってみると、その下に支える者がいないのだ。

 同じ働くなら、老いた者は、あくせく目尻をつり上げず、夢をもって働きたい。もはや他人を支えなくともよい。削られていく年金を自ら埋める程度に働けばよい。働くことを楽しめばよい。働くことで、夢を追い続ければよい。

 その意味で、人生の秋は、青春のやり直しでもある。力まず、リラックスして、一つの目標を気長に追いかければよい。

 私もまた、夢追い人の一人になろう。

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