祇園会の夜
2010年2月11日
 ここ二、三日、2月とも思えぬ暖かさだった。昨夜もその前も、夜の書斎は21度。暖房などいらないのはもちろん、靴下が暑苦しくて脱いでしまう。

 元来、今は一年でもっとも寒い時期のはず。寒さの中にぽつっと芽生える春を探したいときのはず。

 「早春」という言葉がぼくは好きだ。何より言葉自体の響きがよい。そして、言葉から思い描かれるイメージがよい。積もった雪が解けて、清らかな水がしずくとなってしたたる、そんなイメージ。

 もうここ何年も、瀬戸内に雪が積もることはないが、かつては年に一、二度、出勤時に車をこわごわと走らせないといけない雪の朝があった。そんな朝、庭のユキヤナギやヒイラギナンテンの葉っぱからポタッと清らかな水がしたたることがあった。

 ぼくはそれを見て、「冬だ」とは思わず、「あっ早春だ」と心の中で叫んだ。これぞぼくの早春のイメージ。

 学生時代、節分の夜、よく祇園の八坂神社に出かけた。何人もの友人と徒党を組んで。そして一度は、不思議なことだがこちらが片思いを寄せられていたらしい、しかしぼくはちっともそれに気づいていなかった女の子と二人で。

 境内を埋め尽くすのは、人また人の波。人の圧力でいやでも前に進む。朱色の柱が灯明にあでやかに浮かび上がる。凍えるような寒気の中を人の吐く息が千々に彩られて立ち上る。

 身の縮むような寒さと人の熱気との渾然一体となった幽玄の世界がぼくを包んでいた。

 軍資金の乏しいぼくらは、おみくじを買い、屋台で鬼のお面でも買うと、あとはもうただ歩くだけ。境内を抜け、裏手の薄暗い細道に出ると、鬼の面をかぶってふざけ合う。そんなのがあちらにもこちらにも何組もいるから、別に追いはぎだと疑われることもない。

 ふざけて走り回っていると、吐く息に混じって、体全体から湯気が立ち上る。あまりに寒いと、わずかな運動でも体内から湯気が立つ。

 女の子と二人の時は、ただ並んで歩いた。ずっとしゃべり続けていたように思うが、何を話していたのか思い出せない。明かりの届かない木陰には何組も何組もカップルがいた。ただじっと向き合って立っていたり、冷たい石のベンチに凍えるようなシルエットを作っていたり。それらは人の流れの彼岸にある動かない背景だった。「あちらの世界」という目でぼくは彼らを眺めていた。ぼくら二人が向こうの世界にワープしうるものだとは想像もしなかった。そのころ、ぼくはあまりにうぶで鈍感だった。

 今となっては泣きたいほどに懐かしい祇園の節分会。ぼくの早春のイメージは、この節分の夜とも濃密に重なっている。

 まだ春などどこにも感じられない凍えるような夜、そこに人の熱気と愛を語る木陰のシルエットがあった。夢と愛と可能性があった。遠くても、たしかに近づいてくる春の足音があった。

 凍み入る冷気の中、人の吐き出す熱い息が灯明に映えて、青く、赤く、オレンジ色に染まる。ぼくはその華やぎに早春を感じた。遠く懐かしい早春の思い出だ。

 そういえば昨夜、犬を連れて散歩していたとき、松山市内の上空が赤く燃えていた。ぼわっと赤く照っていた。見たことのないほのかであでやかな赤だった。日はとっくに暮れて、夕焼けの時間ではない。ぼくは一瞬、空襲を想起した。町が一面焼けているのでは。

 がんセンターにさえぎられて半分しか空が見えない。何ごとか知りたくて、さえぎるもののない田の中に急いだ。そして気がついた。火照りは夕焼けであった。人工の夕焼けであった。

 いつもは町明かりでほの白く上空が照らされているのだが、昨夜はそれが火のように赤かったのだ。夕焼け原理であった。暖かくしっとりした靄の中に大気が沈み込んでいたため、光がわずかな数キロ進む間に、まるで夕焼けのように、短波長光がすべて散乱され、赤色光だけが生き残っていたのだ。そのため空が赤く火照っていた。

 めったに見られない不思議な赤の世界であった。まるで祇園会の夜のいろどられた熱気に似て。

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