桜の目覚め
2010年1月18日
 年があらたまり、ニューライフまでの日数がカウントダウンできるところまで近づいてきた。

 先日、「退職する教職員のためのセミナー」というのに参加した。退職にともなう種々の手続きやら、老後の生活設計のことやらを教わる。

 ぼくの場合、時が満ちてやむなく定年を迎えるのとは違い、自らの意志で自主的に定年を早めたわけだから、こうした会につきまとう一種消沈したムードからはちょっと気分がはみ出していたのは否めないのだが、それでも多くのことを学び、大いに参考になるものがあった。

 退職を目前にした人が抱いているもっとも強い心情は何か、というアンケートが長年とられてきているそうで、その結果を教えてもらった。

 日本人の場合は、一言で言えば「不安」が心情の中核にあるのに対し、アメリカ人の場合には、「待ちに待ったときが来る喜び」が最も大きな心情である、というのがその結果らしい。なかなかおもしろい結果だ。

 事務的な手続きや生活設計についてのアドバイスにはあまり興味は感じず、先日の会でぼくの心をもっとも強く捉えたのはそのアンケート結果だった。

 まさにこのアメリカ型心情こそがぼくの心情をもっとも端的に代弁している。

 会に参加する何日か前に、ぼく自身にも同様のアンケートがなされた。そこで、正直な気持ちとして「大いに学び、大いに読み、大いに書きたい。やりたいことがたくさんあって早くその日が来ないかとわくわくしている」と答えた。そう書くと、アンケートの係員から「こういう答えをする人は非常に珍しく、少なくとも私にとっては初めてです」と言われた。たいていの人は、真っ先に経済的な不安や、頼るべき組織をなくして「個」に戻ることへの不安を言うらしい。

 ぼくは、ぼくが書いたアンケートへの係員の反応の言葉があまりにも以外で、唐突で、信じがたく、「そうじゃなかったら、一体何のために今まであくせく働いてきたのだ」と、天地がひっくり返るような気持ちにさせられたのであった。

 もう何年も前から、自由になる日を夢見て心躍る日々が続いていた。「あと少し、あと少し」と自分に言い聞かせて我慢してきたのだが、ついに昨夏、思いが堰をあふれ出してしまった。年度半ばではあったが思い切って辞表を出した。あと一年が、もうとても待ちきれなくなってしまったのだ。

 辞めたあとに不安がないなんてことはない。何が待ち受けているかわからないという一般的な不安は別にしても、経済的な不安、健康面の不安、時間をもてあますのではないかという不安、これまで自分を包んでいた人間関係から切り離される不安、などなど。これらはどれも日本人の一般的な不安と共通するものである。

 またぼくの場合にもあり得ることだが、妻と顔つき合わせて過ごす時間が長くなることへの不安、というのもあるらしい。何十年も外で働き続けてきた人にとっては、妻というのは、朝早く別れて、夜遅く再会し、眠るための安息を与えてくれる存在。それが妻だった。ところが、退職すると昼間もいつも目の前にいる。息が詰まる。妻の側から言っても事情は同じである。

 結婚して一つ家に住んでいたとはえ、その実情においては、すれ違ったところで別々の人生を送ってきた二人。それが、ある日を境に突然互いが互いの人生に濃厚に介入してくる。これがさまざまな問題を引き起こさないわけはない。わかる気がする。

 これらもろもろの不安の種は、ぼくにももちろんすべてある。ただ、経済面においては、年金をあてにしなくていいという点でぼくの場合は少し恵まれているのかもしれない。だけど、不況、デフレ、インフレなどの社会的変動がぼくの経済面にも当然厳しく影響してくる。これまでの副収入源がぱたっと途絶えることだってあり得る。そうした不安は、今の不況下、かなり根強くぼくの中にある。

 健康面の不安は日常のものだ。いつ爆発するかしれない不治の難病を抱えており、外からは推し量れなくても、自分の内部では、ぼくにしかわからない体調の微変動を日々繰り返している。でもこの難病も、退職によって精神的ストレスが減少すれば、多少は遠のいてくれるのではないかと期待している。

 時間をもてあます不安。少なくともこれだけはぼくの場合、ないと確信しているのだが、ひょっとして毎日が単調になってくると、気力が減衰し、何もしないで時間だけが経過するといった事態が生じないとも限らない。外部からの枠がないところでは、単調を破る努力は自らの手で意識してやるべきこととなる。

 組織から切り離されることの不安。これはかなり現実的な問題である。だが、ぼくは本質的にこの種の状況への耐久力を持っている。孤独を好むのがぼくの本性だから。とはいえ、あえて孤独を貫く必要もないので、かつて属していた油絵や短歌のグループに入りなおすことも考えている。

 以上もろもろの退職後に待ち構えている不安が、そのまま自らの深刻な不安であるのなら、一番手っ取り早い解消法は再就職ということになる。現実に、ぼくの身の回りにその例は多い。

 しかし、もしそういうことになるのなら、定年を自らの手で早めるのはまったく無意味であり、馬鹿げたことであったということになる。

 あり余る自由は、それを制御できない人にとっては、危険きわまりない桎梏、あるいは凶器である。適度な不自由、適度な外枠を人は求めるものなのであろう。

 本質的な自由は本質的な孤独からしか得られない。ぼくはそう考えている。孤独の中に自らの変化の喜びを直視し得ない場合、すでにそこに真の自由はない。組織という名の他者に依存、ないしは帰属する以外には、飄々と自由に生きる道は、その種の人には開かれてこない。

 えらそうに聞こえるかもしれないけれど、決してそういうことではなく、淡々と飄々と、ぼくは4月から始まる第二の人生を、第一の人生にはなかったあでやかなものにしようと思っている。

 何かをなす。何をなすか、それは言わないが、何かをなす。

 人のなしたことの結果は、経済的な対価や、他者による評判・名声によって価値づけられるものではないだろう。もちろんそれはそれで価値の一つの側面とはなろうが、それだけではない。人それぞれが求め続けるものに一歩一歩と近づくこと、そのことによる充足感。悪く言えば自己満足。正しくは、自己充足。なしたことの価値はそこにこそ見いだすべきもののはず。

 経済的な対価や、他者による評判に価値を見いだし始めたとき、その価値は泥船となる。輝きと普遍性を失う。

 待ちに待った、何物にも代えがたい自由が、桜の目覚めの時期にぼくに到来する。桜咲く、そのときが今からもう待ちきれない。

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