心のリフレッシュ
2009年12月1日
 辞表を出したのが十月になってすぐ。あれから二ヶ月。

 突然の辞表に驚いた校長は来年度の数学科教員をネット公募すると言う。直ちに募集。応募者の中から書類選考で残った数名が学校に呼ばれた。学科試験と面接。それが十一月二十六日だった。おそらくその中から採用者が出ることだろう。

 こうした事態の引き金になった私はというと、着々と自由獲得の日に向けて気持ちを高めている。心の整理をしているという言い方もできる。もちろん後悔などない。新生の日々を思い、大いなる期待と喜びに満たされている。

 その日が来たならば、いやその日に向けて、やるべきことは多い。一つは心身のリフレッシュ。昨日から始めた軽いジョギングもその一つ。思えば、二十代半ばから二五年間、一日たりとて走らない日はなかった。それがぴたっとやまったのは潰瘍性大腸炎という持病のため。

 三十六で発病し、その後もこわごわと走り続けてはいたのだが、五十の坂を越えたある日、突然重症化した。高熱と激しい腹痛・下痢で立つこともできなくなり、辛うじて点滴で生かされているものの衰弱が激しく、薄らいでいく意識の底で死の淵を見た。

 一時的によくなることはあっても、すぐまた悪化。入退院を繰り返しながら、結局一年間は休んでしまった。何とか持ちこたえて職場復帰できたのは奇蹟であった。以来、ジョギングは私の生活から痕跡を消した。二十年ほど続けていたテニスもやめた。運動といえば軽い散歩だけとなった。

 昨日、小春日和の陽気に誘われ、身が軽くなりつつある今だからと少し走ってみた。十年ぶりだ。今日も走った。走ると何とも不思議。蜃気楼かと見まがう。十年の空白などどこへやら、昔の感触がよみがえったのだ。風が頬を切る。すたすたと心地よい靴の音。前へ前へと足が進む。乾いた空気が喉の奥をヒューヒュー鳴らす。体が温まり、心肺が激しく活動し始める。

 ああこれだ、この感覚だ。懐かしいこの感覚。

 日々の暮らしの中で心肺がこのように燃えることはなかった。冷え切ったかまどに薪を燃しつけたようだ。目詰まりを起こしかけていた血管にどくどくと血がたぎる。生命の再生を実感する。

 とはいえ力の衰えは隠せない。躍動感を覚えて走ったのはせいぜい一キロあまり。早くも心肺機能が限界を迎え、やや上り坂になったところで足が出なくなる。昨日も今日も同じ地点で足が止まった。あとは歩く。歩きながらも息が苦しい。苦しさの中の快感。

 かつてのようにスピードや持続時間を追求する気はさらさらない。心肺能力をある水準まで戻し維持できればそれでよい。衰えている筋肉を少しだけ元に戻せばそれでよい。肉体機能のバイアスをわずか上げればそれでよいのだ。

 これが老化に抵抗する強力な武器になり得ると、心の底から思った。知らないうちに心肺能力が坂道を転がっていた。内燃機関が澳になり灰になりかかっていた。肉体そのものを通してそれに気づかされた。驚きは怖いまでに鮮烈だった。衝撃だった。

 身のみならず、心のリフレッシュ。これがまず当座の課題である。だが、やりたいことはまだまだある。大いなる勉強と大いなる創造。一言で言うとこうなる。定年を迎えずして辞表を出した理由はその一点に尽きる。たっぷりとしたフリーな時間を早く手にしたかったのだ。あと一年が待てなくなったのだ。一年の先送りは一年の損失にとどまらない。残された歳月にしわ寄せが来ることを考えると二倍になって跳ね返ってくる、そう思ったのだ。

 学ぶこと、読むことは一種の単純労働だ。費やした時間に比例する収量がある。創造という仕事はそうはいかない。それは知っている。だが、二十代、三十代の頃にはあったあの無垢な憧れを思い出し、その頃に帰って初心でやり直そうと思う。

 新鮮な感性はもう戻らない。しかし、社会的束縛を私はほとんど身に感じない質だから、人生経験とは気づけばただ風化現象の言い換えに過ぎなかったとは自分に言わせない。

アオサギ
2009年12月25日
 二週間ほどの冬休みが始まった。あれをしよう、これをしようと、いつものことながら休みの始まりはワクワクしてしようがない。今回ももちろんそうだ。

 だが、心の奥底にはいつもと違うものがある。醒めているとも言える。

 なぜか。春が来れば、そう四月からは、毎日が長期休暇なのだ。特別なことではなくなるのだ。その道をぼくは選んだのだ。定年を勝手に早めて、自由の道を選んだのだ。

 働くのはいや、遊びたい、そんな気持ちがぼくをそうさせたわけではない。勤めること、雇われること、自由な時間を切り売りすること、それにぼくは耐えることができなくなった。もうずっと何年も前から耐えて耐えて、ついに耐えきれなくなった。

 仕事はもちろんする。ただそれは収入を求めてのものではない。

 自分で律する時間の下、自分の興にしたがい、自分の問題意識、自分の学びたい意欲、自分の研究意欲、自分の創造意欲、それだけを支えとして、毎日をそのために働きたい。

 それがいまの気持ちであり、そのために無性に心の中がかゆい。むずがゆい。何かがうごめいている。

 夏休みはその準備だった。そしてやりかけたことが、二学期の始まりによって中断された。冬休みは、中断していたそれが少し先に進められそう。 これもまたすぐに中断されようが…。

 それでいい。待たされる時間はもう長くはない。

 冬の休日の楽しみは早朝の散歩だ。薄暗いうちに起きて、黎明のさやけさを全身で味わいながら畑中の道を歩く。吸い込む空気は冷たければ冷たいほどよい。もちろんシベリア抑留者が味わったような、零下三十度、四十度、五十度といった空気はぼくには耐えられないよ。

 小便が地面に届く前につららのように凍ってしまうとか、死者を埋めて弔おうにも凍土は鉄の棒を固く跳ね返して、半日かかってようやく三十センチの穴しか掘れないとか、収容所で一片のパンを盗んだ友人が営倉に放り込まれて一晩のうちに凍りついて死んでしまったとか、雪の山で伐採作業中、休憩して腰を下ろしていた相棒が、気づくとそのまま生き仏になって凍っていたとか。

 早朝の冷たい空気を吸って歩いていると、現実にあったそうした悲劇の数々がめくるめく体験として、まるで我がことのように想起されることがある。

 今朝は、年老いたアオサギを見た。刈田の中にぽつんと立っていた。畦道を近づいてみるが、気づいているのかいないのか、ちっとも逃げようとしない。羽に青い筋があるからアオサギだと、勝手にぼくは思った。

 身長は四、五十センチ。羽を収め、目を半眼に閉じ、じっとたたずむ姿は、おとぎの国のこびとのおじいさんそっくり。背中に手を組み、腰を前かがみにして考え事をしている。

 何を考えているのだろう。彼にはもう未来を考える力はないだろう。楽しかった過去の日々を思い起こしているのだ、きっと。仲間と川辺を飛び回ったこと、浅瀬をひょいひょい渡り歩きながら小魚を腹一杯食べたこと、恋をしたこと、いくつもの片想いの末に新妻を射止めたこと、いとおしみ育てた子が巣立ったこと、そんな日々がきっといま、彼の夢の中を駆け巡っているのだ。

 アオサギは羽を後ろに組み、目を閉じ、朝の心地よい風を受け、すべてを忘れ、身を守ることすら忘れて、おのが世界に没頭し、遠い世界を見つめている。

 そばでは雀の大群がチュンチュン騒がしく跳ね回り、二番落ち穂をついばんでいる。いっときもとどまることなく、気ぜわしく動き回っている。跳ね回るたびに背中がまぶしく朝日に光る。

 カラスも二羽やってきた。雀はカラスを警戒しない。カラスを囲んで落ち穂拾いに熱中している。カラスは大した食べ物はないと悟ったのか、しばらく羽を休めると、悠然と飛んでいった。

 それでもアオサギは目覚めない。

 ぼくもまたアオサギの夢に捕らえられたままだ。じっと向き合って立っている。

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