秋祭り
2009年10月30日
 ぼくが住む町は松山市の外れ。道路をはさんだ隣は東温市だ。東温市とは市町村合併による新造語。ぼくの頭ではいまだに隣町は重信町である。道路標識には「東温市」の横に「TOON CITY」と書かれている。ぼくはこれを「トゥーン・シティー」と読む。この東温市で先日秋祭りがあった。日曜日のこと。

 別に祭りを見ようとしたわけでもなく、昼過ぎ、いつものように自転車を重信川に走らせた。家からまっすぐ南に進むと、一〇分もせずに土手に出る。ところがその日は、ふとした気分で遠回りをした。

 母の生家がある牛渕という集落に向かう。豊かな歴史を感じさせる小さな集落だ。青々とした田園の中に浮島のように浮かぶ集落。その故か、鎮守の社を浮嶋神社という。

 集落を縦横に走る小川の水は夏も冬も涸れることがない。透きとおった水がさらさらと勢いよく流れている。この透明感は重信川の伏流水を源泉にしていることによる。

 どの家も十分な広さの庭をもち、互いに寄り添い密集している。白い土塀と生け垣が独特の風情を醸し出す。

 狭い道が整然と碁盤目状に張り巡らされた不思議な集落。どんなに細い路地も袋小路になることはない。必ずそれは集落の端に抜けている。しかも、小道にも、小川にも、漂う空気にすら、人の丹精という心の歴史が濃厚に染みついている。軽々しい新しさはどこにもない。

 世代を越えて手入れされたキンモクセイの巨木。雛飾りの右近の橘そっくりの可憐な橘の木。四つ辻の隅にひっそりと置かれた丸石。上賀茂あたりとよく似た小川から家への引き込み水路。歳月と澄んだ水とが磨き上げた石の水路が、きらきらと光を照らす。

 片田舎の農村とは思えぬ整然たる区画。密集したこの集落には秘められた歴史がある。

 遠い昔、牛渕村の人びとは度重なる重信川の氾濫に泣かされ続けていた。ついに今から三百年前、彼らは村ごと集団疎開する決意をした。以前の村は今よりずっと川に近かった。川から離れた高台に彼らは計画的に移住し、新しい村作りを始めた。とはいえ、決心のつかぬ人々も多く、現在のような村の姿になったのは江戸末期のことであった。計画から完成までに百年を要した大移動であった。

 彼らを苦しめた氾濫の痕跡は、今も集落の周辺に点々と残されている。小石を積み上げた小高い塚がそれだ。小石は洪水の置き土産である。中でも大きいのが、かつての村の中心地とおぼしきところにある。

 塚を見上げていると、濁流に田畑を呑まれた村人の悔しさが、時を超えてぼくの心に伝わってくる。だけど、人々は洪水を呪うことなく、小石を積み上げて祀り、自然の威力を畏怖し、抗うよりもその力を避ける道を選んだ。

 氾濫を繰り返した重信川を悠然と見下ろしつつ、川のかなたに皿が峰がそびえている。子供のころ、母の里帰りについていく道すがら、「あのお皿の形をした山が皿が峰よ」と、何度も指さし教えられた。皿を伏せたような平らな形の稜線が、頭上でカーカー鳴いていたカラスの不気味な黒い影とともに、ぼくの脳裏から離れることはない。近くに住むようになった今も、当時と寸分違わぬ山容が南の空に浮かんでいる。

 自転車を走らせていると、どこからかリズミカルな太鼓の音が聞こえてきた。トコトコテンテン、トコトコテン。あっ、獅子舞。心の中で叫ぶ。そして小さな四つ辻に来る。左を見た。数十メートル先の広場に子供たちが群れている。太鼓の音はそこからだ。獅子はかげに隠れて見えない。

 自転車はそのまますっと走り抜ける。ちらっと左を見たのはせいぜい一、二秒。その束の間の残像が消えないうちに、ぼくの頭の中には膨大な記憶が渦のように湧き上がった。五十年間の封印を解かれた記憶が瞬時に炸裂した。

 あの広場は母の実家のすぐ裏手。狭い道を隔てた公民館の空き地である。五十年前、小学四年生だったぼくは、たまたま日曜日と重なった秋祭りの日、母とともに実家に来ていた。そして、この空き地で従兄弟たちと獅子舞を見た。

 太鼓が鳴り出すと、家で遊んでいたぼくらは、縁側から飛び出し、次々に裏庭の柿の木に登った。枝先から塀に乗り移った。塀の上に馬乗りになった。公民館の広場には畳十枚ほどのムシロが敷かれ、それを取り囲んで村の子供たが集まり始めていた。ぼくらは星から来た宇宙人のように、空の高みから彼らを見下ろしていた。

 しかし、実をいうと、ぼくはふるえていた。薄い塀の上は不安定だった。裸馬の背中のようにつかみどころがない。宙に浮かんでいる頼りなさと恐怖に、ぼくは思わず自分の腹のあたりに視線を落とした。その視線が、自らを寄る辺なき実存と意識した、ひょっとすると最初の視線だったのかも知れない。

 腰が引け、腕だけをひたすら前方に伸ばしている不格好さ。すり切れて毛羽立った制服。そらぞらしく陽を浴びている金ボタン。自分を見つめたそのときの一瞬の記憶が、長い封印の後に解き放たれたかぐわしい香りとともに、色鮮やかによみがえった。

 その瞬間、ぼくの頭を支配したのはかすかな劣等感だった。平然と塀にまたがり、足を揺すぶり、声を張り上げている従兄弟たち。それに引き替えぼくは、枝から塀に乗り移るのにも這々の体だった。今にも転落しそうな塀の上では身動きもとれない。全身の筋肉をこわばわせ、かろうじて姿勢を保っているだけ。

 晴れやかに秋空に溶けている従兄弟たちがぼくにはまぶしかった。自然の子と、自然から隔たった子の違い。彼らから遊離した自分がいかにもみじめで悲しかった。

 とはいえ、塀でふるえていたのはおそらく一分にも満たない。最年長の三つ上の従兄弟がすぐに、「もっと近くで見よう」と、ぼくらをふたたび柿の木を伝って地面に下ろした。ぼくらは裏木戸を開けて外に走り出た。

 すばやく隙間を見つけると、人垣にもぐり込んだ。そこは最前列の太鼓のそばだった。太鼓は二台あって、ドンドンドンと大きな音のする太鼓と、テレツクテンと甲高い音のする太鼓。リズムと振動が何とも心地よい。

 しばらく太鼓だけが鳴っていたと思うと、突然どこからか獅子が躍り出た。ひょっとこのお面をつけた老婆役とともに。獅子と老婆は、太鼓に合わせておもしろおかしく舞う。

 ぼくにとっては生まれて初めて見る獅子舞だった。

 踊り狂った獅子はやがてくたびれ果てて眠ってしまった。老婆が忍び足で近づき、いたずらをする。脇腹をくすぐったり、尻尾を持ち上げたり、鼻の穴に指を入れたり。獅子はときおり感づいたように体を震わせるが、開きかかった目は再び閉じる。老婆はまたいたずらをする。

 何度かそれが繰り返された後、ついに獅子は気づいて跳ね起きる。老婆のいたずらだと知った獅子はやにわに襲いかかる。老婆はぱっと身をかがめ、ささささっと後ずさる。その拍子につまづき横転する。獅子が大きな口を開けて飛びかかる。あわやというその瞬間、太鼓が激しくドドドドッと鳴り、獅子の体は何ものかにむんずとつかまれ、投げ飛ばされた。その姿の何と滑稽なこと。

 ぼくは瞬きすら忘れて見入っていた。獅子と老婆と太鼓の世界にひたっていた。

 そうだ、あの日のあの広場、あの空き地だ。母はもうこの世にいない。従兄弟たちも各地に散り、それぞれの世界に生きている。

 半世紀を経た今、子供たちがまたも太鼓の音に心躍らせ獅子の舞いに見入っている。同じ秋祭りの日、同じあの広場で。

 ぼくは一瞬の垣間見で、すべてを見た。すべてを知った。そんな気がした。

 自転車は四つ辻をすぎ、母や叔母が子供時代に通ったと同じ道を重信川の土手に向かう。この道のことは母の残した短歌にも、叔母の手記にも記されている。重信川は世代を超えたぼくの心の故郷なのだ。詩を生む心の源なのだ。

生きていく日々 メニューへ
坊っちゃんだより トップへ