ある日の思い
2008年5月2日
 昨年夏には孫ができ,今年2月に還暦。そして春から年金受給者となる。怒濤のような年寄り組への移行である。また,3月には放送大学大学院で学位授与式があり,苦労が実を結ぶ喜びも味わった。

 身は一つだが,取り巻く環境は千変万化だ。

 世間に目を向ければ,ガソリンが,庶民のわずかひと月の夢を無惨に切り捨て,元より高い値をつけ始めた。物価の高騰ぶりは異様だ。かつて,私が壮年と呼ばれていた頃にも,物価はどんどん上がった。だけど,暮らしが悪くなる実感はなかった。なぜなら,物価の高騰を吸収し,さらにそれを上回るだけの賃金の上昇があったから。今はそれがない。物価だけが不気味に頭をもたげていく。

 戦後初期の混乱期を除けば,ここ数十年,今ほど暮らしが逼迫し,しかも未来への夢が描けない時代はなかったのではないか。政治の貧困きわまれりという気がする。

 しかし一方,世は戦後最長の好景気,などという統計もあるのだ。どこに好景気がひそんでいるのか,私の目にはちっとも見えないが…。たしかに,いくつかのトップ企業は,庶民が苦しんでいるのを尻目に,「創業以来最高の収益」を上げたりもしている。それがニュースにもなる。

 不思議な世の中だ。金の回りは,エントロピー増大の法則を完全に覆し,あるところにはますます溜まり,ないところからはますます逃げていく,そんな現象を呈しているのかもしれない。

 自公の与党が,衆議院2/3という,根拠をとっくに失った幻の金棒を振り回し,なりふり構わぬ強攻策に打って出ている。これが庶民を激しく打ちつけている。悪政ここにきわまれりだ。

 この庶民への痛打が,必ずや,いま「与党」と呼ばれている勢力への決定的な痛打となって跳ね返るときがきっと来るだろう。遠からず来るだろう。

フラクタルのような人生
2008年5月3日
 今朝,生徒たちを連れて将棋の県大会に。例年なら夕方までの一日仕事になるのが常だ。それを覚悟で出かけないといけない。

 将棋にしろ,囲碁にしろ,自分が対局するよりもそばで見ている方がはるかに疲れるもの。立ったままの姿勢は重労働なのだ。歳とともに,その重労働さが骨身にしみるようになる。

 今日は気楽だった。1回戦を勝てれば御の字という力量が,戦う前からわかっていたから。昼食をとらずに終わる確率80%と踏んでいた。ふたを開けると,案の定,全員一回戦敗退。わずか30分ほどであっけなく終焉。新記録だ。

 情けなくもあるが,「半日得をした」との思いも、正直した。生徒には申し訳ないが,間違いなく得をしたのだ。

 この種の大会は年に数回ある。大会ごとに時期も会場も決まっている。たとえば今日の会場はM工業高校。5月初旬の土曜日と決まっている。

 大会に参加するたびに思うことがある。年に一度,同じ時節に同じ会場を訪れる。同じ部屋の同じ窓から同じ庭を眺める。目に入る風景もまた同じ。鮮やかな新緑とツツジの花の色。まるで昨日のことのように,一年前の光景が今と重なる。窓辺にたたずんでいると,一年という時の流れは夢でしかない。夏の蝉の声も,秋の落葉も,冬の木枯らしも,この瞬間,溶けて消えている。

 あっ,と声を上げそうな胸苦しさを覚える。フラクタルのように,凝縮と拡散が相似なままに転移する。それが人生なのかと,ふっと怖くなる。

 今日生まれて明日死ぬのも,60年前に生まれて30年後に死ぬのも,突き詰めれば何の違いがあろう。死ぬ瞬間には,すべてがまるで昨日のことのように,まぢかに凝縮されてきらめいて見えるはずだ。

 実は僕は40年前,すでにそれを一度体験している。琵琶湖の水に沈んだ僕は,「ああこれで終わった」,と死を覚悟した。その瞬間,それまでの20年の人生が,得も言われぬ生々しさで,目の前を走り抜けた。細部にいたるまで実にリアルな映像だった。それを見て僕は,母親に「ごめん」と言い,同時に,「ああこれが僕なんだ」と,限りない安心へと誘われた。僕にとっての20年は,何らかの意味ある一瞬だった。それを僕自身が眼前に確認した。僕は瞬時にして覚悟の人になることができた,そんな気がする。

 時とはまさにそういうものだ。時ほど主体に依存して成り立っているものはないのだ。

草原でキャッチボール
2008年5月7日
 木々の緑には独特の香りがある。雑草にもまた紅茶のようなかすかな香りがある。陽気と風に誘い出されて,ここ数日,何度となく重信川の土手に足を向けた。緑と草いきれ。酔いしれるような濃密な酸素。生まれたばかりの緑が吐き出す酸素。ミネラルを多量に含んだ水。得も言えぬ濃密感が鼻腔にも舌にも心地よい。

 思わず深呼吸して時を止める。すうっと緑の中に掬い上げられる。光の渦の中に同化する。五十年,百年,いや千年,時は止まったままとなる。大地と緑を作った悠久の時がここにある。時とは静止だ。限りなくゆるやかな静止だ。

 草原でキャッチボール。娘婿の投げるボールを追う。十年ばかり忘れていた感覚。テニスをやめて以来忘れていた動感。ボールが青空に溶け,緑に溶ける。体が芯からよみがえる。投げ返すボールが再び空に舞う。すがすがしい汗。

 人出でにぎわった重信の河川敷は,いまはまた平穏な静けさの中にある。

幻の塚
2008年5月9日
 夜空は厚い雲に覆われ、糸のような雨がかすかに額をぬらす。かつては田の畦に塚があり、塚の上に碑があった。碑は雨風に丸くなり、刻まれた碑文はもう読めない。塚の下には臼に似た石が据えられ、はるかな過去から人はそれに腰かけ、遠くは石鎚を、近くは皿が峰を眺めて疲れをいやした。幾世代もの人の尻に摩耗した石は、尻の形にくぼんでいた。

 ぬれた空の一角からほのかに光が漏れている。雲ににじんで輪郭のない光。幻とも見え、いやたしかに実在の影だ。おぼろに透ける乳色のグラデーション。

 臼は今はない。塚もない。国立がんセンターなるどでかい施設がすべてを舐めつくし、呑み尽くした。名もない人の幾百年もの吐息を、それは一息に飲み込んだ。思いにひたってくぼみに尻をのせ、皿が峰のいとしい姿に見とれた僕の夢をも、それは飲み込んだ。百年の何倍もの風雪に溶けて読めなくなった碑をも、それは胃の腑に押し込んだ。

 空から漏れる新月のにじみのように、吐息はかすかに僕の心を照らす。そこにあったそれが僕を見ている。夜陰の中に僕はそれを見返す。

日曜日の書斎
2008年5月11日
 日曜日の解放感とともに庭に出ると,ほのかな香りが一面に立ちこめていた。幸せな気分になる。新緑が放つ香りならすごいなと一瞬思う。だが,カリンもウバメガシもキンモクセイもクロガネモチも,さすがに今の時期,香りを放つものはない。それでもひょっとしたらと,芽吹いたばかりのみずみずしい葉に思わず鼻を近づける。

 花や葉に鼻を近づけるのは僕の癖だ。歩きながら,道ばたの木の葉や花びらや,雑草にまで,しばしば鼻を近づける。少しでも香りがあると,宝くじにでも当たったように,心が弾む。深く胸に吸い,全身に香りをめぐらせる。

 これは風に乗ってきたミカンだった。濃厚な甘さが胸の奥にしみこむ。昨日まではなかった。今朝咲き初めたのだ。道を隔てたミカン畑を,門の脇からのぞき見る。たしかに点々と白いものが見える。早咲きの品種が咲き始めたらしい。葉ばかりのミカンも多い。

 おととい,職場の裏山を歩くと,ツツジはすっかり色あせてしぼみ,今の時期,花の咲く木はどこにもなかった。梅も桜も新緑に包まれてただの木となり,降り注ぐ陽光にまぶしく照っているばかり。桜が次に輝きを見せるのは半年後だ。赤銅色に染まった葉が秋の夕日と存在感を競う。

 梅が葉にまぎれて実をつけていた。ほんの数粒。

 日射しの強い小道を歩くと,山の木々がざわっと震え,その瞬間,きらきら光る何かが霧雨のように飛び立ち,森の香りが僕を包んだ。

 いま書斎でコーヒーを飲む。そして南雲・佐藤方程式を手本に,ニューロンモデルのシミュレーションプログラムを作っている。カオス性のフラクタルが見えてくるはずなのだが…。

胃カメラ
2008年5月16日
 「胃カメラを飲む」とよく言うが,昨日の検査は麻酔の中,記憶の外。

 まず準備室で,小さなカップ一杯の液体を「飲まないように喉の奥にためておいてください,3分間」。唾が出て,今にも飲んでしまいそう。涙を浮かべて我慢する。そのうち喉がしびれて,我慢もかすんでくる。

 続いて腕に注射針が刺され,ベッドごとゴロゴロと処置室へ。薄暗い室内には何台もの検査機械が並ぶ。「それでは薬を入れますよ」,先ほどの注射針からゆっくりと薬剤が注入される。それを感じていたのが数秒。注射針にふと目をやった記憶があって,その先がない。

 次の瞬間は,夢のない目覚めだった。無からの目覚め。時間が突然動き出す。

 明るい。目がくらむ。準備室のベッドの上だ。看護婦が「どうぞ」と,めがねを差し出してくれる。ベッドに横になるときに外したあれだ。

 そうだ,胃カメラ。思い出す。胃カメラを飲みに来たのだ。「終わったんですか」,思わず聞いてみる。「はい,先ほど」

 気がつくと妻がいて,「どこにも悪いところはないそうよ」,「見ていた?」,「ええずっとそばのモニターで」。

 いったいどれだけの時間が僕から消されたのか。

 最後に診察室で何枚かの写真を見せられ,「きれいな胃です。心配ないですよ」。まだ足下はふらつくが,何か巨大な安心感が体を持ち上げていた。

西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
2008年5月21日
 還暦を迎え,期するところ少しはある自分だが,西田幾多郎が還暦の年,京大を定年退職する際に書いた「或教授の退職の辞」には,人ごとでない哀愁と,どこか不思議な親しさが感じられて,読後しばらく、しみじみした火照りから醒めることができなかった。

 話は,まるで遊体離脱のように,退職慰労会の場にいる自分を俯瞰する場面から始まる。

一団の人々がここかしこに卓を囲んで何だか話し合っていた。やがて宴が始まってデザート・コースに入るや,定年教授の前に座っていた一教授が立って,明晰なる口調で慰労の辞を述べた。定年教授はと見ていると,彼は見かけによらぬ羞かみやと見えて,立って何だか謝辞らしいことを述べたが,口籠ってよく分からなかった。宴が終わって,誰もかれも打ち寛いだ頃,彼は前の謝辞があまりに簡単で済まなかったとでも思ったか,また立って彼の生涯の回顧らしいことを話し始めた。

 こうして,彼の訥々とした話を速記者が記録したかの調子の,「私」を主語にした話へと場面が変わる。

回顧すれば,私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして座した,その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたといえば,それで私の伝記は尽きるのである。

 単刀直入にここまでの簡潔さで自己を振り返ることは,果たして誰にもできることなのか。学ぶことから教えることへ。そして西田のその後を今にして思えば,還暦のあとに再び学ぶことが始まり,それは旺盛に書き直すことへと続いていく。

幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり,何の墓を見ても,よき夫,よき妻,よき子と書いてある,悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。諸君も屍に鞭打たないという寛大な心を以て,すべての私の過去を容(ゆる)してもらいたい。

 ここで「私」の話は終わり,再び俯瞰の図に戻る。

集まれる人々の中には,彼のつまらない生涯を臆面もなくくだくだと述べたのに対して,嫌気を催したものもあったであろう,心ひそかに苦笑したものもあったかもしれない。しかし凹字形に並べられたテーブルに,彼を中心としてしばらく昔話が続けられた。そのうち,彼は明日遠くに行かねばならぬというので,早く帰った。多くの人々は彼を玄関に見送った。彼は心地よげに街頭の闇の中に消えていった。

 文章はここで終わる。

 「明日遠くに行かねばならぬというので,早く帰った。彼は心地よげに街頭の闇の中に消えていった」。この一文によって,僕は長い長い余韻に沈められてしまった。退職後に期するものが,羞かみの心と混ぜ合わさって,なんと鮮明に現れ,意図されていることか。気負わず,飄々と,過去と別れて未来に歩んでいく。僕にはそんなことできるのだろうか。

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