わが重大事
2007年8月4日
 ここ数日,僕のそばをなんと多くの重大事が通過していったことか。一区切りついた今,ちょっと振り返ってみる。実感できるのは,瞬時瞬時に身辺で格闘したあれやこれが,早やなんだか回顧のぬくみをもって遠く霞んで見えること。そのことだけ。

 身に起こった一つ一つが懐かしい点景となり,茜の光に包まれようとしている。金色のビーナスのように,それらは過去から黙って僕を見ている。

 一週間ばかり前,僕は午後の半日を大学の一室で過ごしていた。小さなゼミ室。やわらかなイスに身体を沈め,3人掛けの長テーブルを1人で占有している。

 ときたま人が来る。そしてまた,ときたま人が出ていく。不思議な平衡が室内を2,3人の空間に保っている。「これが缶詰だな」,僕はふと思った。缶詰のふたのわずかな隙間から,空気の分子はちょうどこれくらいのペースで出入りしているのではなかろうか。まさにそう思わせる間延びした人の出入りだった。

 新入りが来ると,彼(彼女)は疎水性油脂のように,既存の在室者からの斥力安定点を瞬時に割り出し,そこへ向けて音もなく進む。イスを引くと,軽い雑音とともにバッグから本や書類を取り出す。数秒後には彼(彼女)もまた永劫の既存者だ。シルエットが固まる。

 僕は頭の腐敗を防ごうと,明治黒糖キャラメルをなめる。窓の外からは,ひっきりなしに軟式テニスのバシバシとひしゃげた音がこだましてくる。硬式テニスの軽やかな音とは違い,軟式テニスのバシバシは痛々しくてやりきれない。

 その音もいつしか背景に溶け込み,気にならなくなった頃,ケイタイを取りだす。メールを確認する。まだだ。30分後,再びメールを見る。まだか。そろそろのはずだが…。心配と胸騒ぎがよぎる。

 その日,僕はある論文試験に臨んでいた。午後の早い時間と夕方,2回に分けて。空き時間は外出するには中途半端。控え室で過ごす。

 開始10分前になると,死刑囚の面持ちで隣室に入る。心は澄んでいる。後ろ手に縛られ,目隠しをされ,数段の階を登り,太い綱を首にかけられ,永遠の生命を牧師から約され,声なくうなずき,数秒の静寂を経ていよいよ足元の床が抜ける。その瞬間の覚悟を僕は知っている。そのとき何が起こるか,僕は体験済みだ。「いま死ぬ。人生はここで終る」。二十歳の夏,琵琶湖の沖で水に呑まれ,力尽きて全身が水中に引き込まれ,目の前から空気が奪い去られ,今が最期だと悟ったそのとき,猛然たる速さで目の前を駆けめぐった人生の早回し,あらゆる局面がすべて映し出される壮烈な美景と懐かしさ。僕は本当の死のときまで,あの事実を忘れることはないだろう。

 そんな死刑囚の心持ちで,僕は試験場の机に向かう。

 準備はずいぶんやって来た。自信とも諦念ともつかない静かな心で瞑想する。時間が来る。課題を読む。ああ,予想は見事にはずれた。慌てて心がざらざらする。

 一つ目は,「日本ではITインフラが整備されているにもかかわらず,eラーニングによる高等教育が進展しないのはなぜか。その理由を考察せよ」。次は,「ヒトの腸内細菌とヒトとの間,および腸内細菌相互の間に働く相互作用について述べよ」。

 まったく予想にない課題。ひと月あまり没頭した準備は何だったのか。ぶっつけ本番の思考回路にすべてをゆだねる。後者は単純に生物現象を問うているとも思えない。数理的な発想が求められているはず。

 自信はまったくない。終了時刻の6時45分,やや不燃焼気味だが筆をおく。

 筆箱にペンをしまい,ともかくも解放の安堵で試験室をあとにする。結果についてはもう考えない。どうにでもしてくれ。すべてはわが手を離れた。これが僕の流儀だ。手を離す直前までは全精力を注ぐ。でも,いったん離れればもう他人事だ。独立してどこへでも行け。巣立ちを促す親鳥,これが僕の流儀なのだ。

 ひと月あまりの猛勉強もろとも,あらゆることが過去に向けて堰を切って流れ去った。済んでみると幻に見える。

 廊下を歩む自分が信じられない。何をしているのだ,この俺は。何故こんなところにいるのだ。表に出て駐車場に向かう頃,ようやく自分を取り戻した。空はまだ十分明るい。

 そうだ。ポケットからケイタイを取りだし,メールを確認する。まだ来ていない。難産なのか。生まれたらすぐ妻からメールが来る手はずになっている。そろそろのはずだが…。苦しむ娘の姿が目に浮かぶ。落ち着かない。

 とりあえず病院に急ぐ。

 信号待ちの間にもう一度ケイタイを取り出す。来ていた。

 「生まれた。女の子。母子ともに元気」

 それを見るやいなや,全身から力が抜けた。目が潤む。この喜びと安堵は何だろう。たとえる言葉がない。よかった。何度も何度も,心の中で「よかった」を繰り返す。

 病院に着き,対面した。横になった娘の腕の中にちっちゃな生命がいる。

 初めて目にする孫という存在。最前までお腹の中にいた証しの胎脂が髪の毛に白くはりついている。顔は赤黒く,しわだらけ。

 聞くと,出産は6時45分。えっ,と思った。僕が論文試験を書き終えたその瞬間ではないか。そうだったのか。難産の末に産み落としたのは僕の方だったのか。娘は結構楽なお産だったという。「よかった,よかった」僕はふたたび心の中で繰り返す。

 翌日,出雲に。全国高校総合文化祭将棋部門の引率だ。松山からJRに乗る。岡山経由で7時間。遠い遠い地の果てだ。

 生徒の成績は3勝1敗。あと一歩でベスト16の決勝トーナメントは逃す。でも大健闘だ。祝すべき結果だ。

 夜,ホテルで参議院選挙の開票速報に見入る。この選挙でもし自民党が勝てば,日本は一直線に戦前に逆戻りするだろう。その道をとるか平和の道をとるか,日本の進路を決める天下分け目の関ヶ原。僕にはそう思える。結果は満足だった。

 民主党がどれだけ期待に応えてくれる政党なのかは知らない。まったく知らない。だけど,自民党の勝利だけはあってはいけないシナリオだった。それが阻止できたことに僕は満足した。

 実は民主党の中にも改憲派がいる。戦争容認派がいる。今回の選挙ではこの問題が幸か不幸か完全に争点から抜け落ちた。もし安倍首相の当初の思惑通り,憲法問題が参院選の最大の争点になっていたとしたら,民主党は果たして一枚岩を維持できたかどうか。

 平和の道にとっては,まだまだ先行きは不透明なのかもしれない。

 出雲から帰ると,疲れた頭で締切りの迫っていた原稿を仕上げる。ここまではすべてひと月前からの予定通り。これで当座の区切りがついた。

 この先もはたして予定通りといくかどうか。予定では,8月いっぱいかけて,前々から計画中の論文に本格的に取りかかり,何とか骨格を仕上げる。そういうことになっている。無我夢中の8月にする予定なのだ。

 ところが昨日,9月中旬までという原稿依頼が舞い込んだ。これは予定外。断れない事情もあるので,引き受ける。無謀だが,僕の経験知が,追いかけられる仕事を持っている方が,ことがうまく運ぶよと語っている。

 さてさて,仕事に取りかかろう。そう思った今朝,まずは英気を養ってからと,ふと目についた「聞けわだつみの声」を書棚から引っ張り出した。死地に向かう二十歳前後の学生が,この世の名残にと「ツァラトゥストラ」を耽読する。感動を覚えつつ手記を読む僕。何かが一つにつながった。

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