解き放たれた一週間
2007年3月31日
 生暖かな風だ。いま書斎の気温は25度。窓の外は薄曇り。風のうなりが窓を震わせる。電柱に引っかかった布切れが激しくはためいている。3月最後の日。

 ここ一週間、久しぶりに、本当に久しぶりに目の前から義務と呼ぶ怪物が消え、解き放たれた時間を楽しむことができた。少なくともこの一年、こういう日はなかった。外からの強制が不思議にもすべて途切れ、いついつまでに、という縛りがいっさいない、ぽっかりと空いた谷間のような時間が僕の前に広がった。

 何をしよう、といっても結局は本を読むしかない。ゆったりと自分の時間を楽しむには、それしかない。

 まず、西行と一遍の伝記を読んだ。西行は二冊読んだ。彼の歌にえらくモダンなものを感じたからだ。

 風になびく富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬわが思ひかな

 西行みずから、生涯を通して最高の出来と自認した歌だが、たしかにそうだ。千年の隔たりを一気に飛び越えて、僕の心のうちに生々しく伝わってくる西行の息遣い。このモダンな感性を追い求めて、彼の歌をまさぐった。

 次いで、「新大陸の女性たち」というアメリカ近代の女性史を読んだ。特に19世紀の、西部に夢を追うパイオニアガールたちの生き方に興味を覚えて…。ローラ・インガルスの物語の背景を知りたいというのが、直接の動機だった。

 婦人参政権運動が19世紀後半のアメリカを一陣の風のように吹き渡った。だが、功を奏して参政権を獲得できたのは、西部のいくつかの州だけだったらしい。ローラの話の中に、母親が「そうは言っても、私は自分が投票したいとまでは思わないけどね」と言う一節がある。ほとんど脈絡もなく唐突に吹きだして、唐突に消えてしまう一節に過ぎないのだが、それがどういう背景をもつのか、ようやくわかった気がした。へんぴな開拓村の一農村婦人の心の中にまでなにがしかの影響を与えた婦人参政権運動であったわけだ。

 ローラは結婚するとき、夫になるはずのアルマンゾに対して、「夫に生涯従順を誓います」という慣習的な決まり文句を牧師の前で言わないことを結婚の条件とした。弱冠18歳のローラがどこからこの独立思想を獲得したのか、これも僕には謎だった。それも少し解けた。実際、それを言わない運動が、当時牧師の側から、東部でひそかに進行していたらしい。そうした運動の小さな波紋が、何かの拍子に敏感なローラの触覚に触れたことがあったのだろう。そしてそれが強く彼女の心に焼きついたのだろう。

 続いて、ローラが書いた物語を原書で数冊読んだ。彼女が自ら発表した本は9冊、死後娘のローズが出版したローラの旅日記を含めると10冊。これがローラの筆になる本のすべてだが、その半分ほどをこの間に読んだ(うち1冊は一年あまり前にすでに読んでいたのだが)。300ページほどのペーパーバックスを2日で1冊のペースで読んだことになる。読み出すと止らない、かっぱえびせん状態だった。

 どんどん読み進める中で、英文を読みとる力がずいぶん向上したように、自分で思う。かつて遠い昔、NECに勤めていた頃、仕事のほとんどはコンピュータ関連の英語の文書に埋もれる中でやっていた。あのころ、日本語で書かれたコンピュータ関連の技術書などあるはずもなかったのだ。その結果、少し英語に自信を持つようにもなっていたのだが、その環境から解き放たれるや、すっかり英語から遠ざかり、元の木阿弥になっていた。

 ここ数日の英語びたりで、おそらくその頃よりも英語を読む力が向上したのではないか。自分でそんな気がする。一番の表われは、一度読みでどんどん先に読み進めることができるようになったこと。いままではなかなかそうもいかず、少し構文が複雑だと、二度読み、三度読みが必要だった。関係代名詞(明示的なものも不明示なものもあるが)などを使って、説明がどんどん後ろに伸びていく、英語独特の構造になれてきたのが大きい。日本語とは逆の構造だ。

 日本語訳を頭の中に浮かべることなく、英語を英語のままで理解し、読み進めることができるようになったようにも思う。

 ともあれ、人は60歳が近くなっても、進歩できるものなのだ、それを実体験したことは僕の自信になる。

 「脳細胞は歳とともにどんどん死んでいく。そんな言い方をされることが多いが、実は使っているうちに復活する」、そんなことをいつか読んだ。それを読んだとき体の中に走った閃光を唯一の頼みの綱として、もう一度本気で勉強してみよう、そう決意したのが一年あまり前。実際、この間、学ぶ楽しさも苦しさも存分に味わった。苦しさは楽しさを生む必須条件だから、結局は楽しいことばかり、そうも言える。

 いまはテーマをもった研究に取りかかっているところ。これがなかなか展望を見いだせないでいる。生みの苦しみを味わっている。この苦しみも、やがては喜びに転化するときがくるのだろう。そのときを夢見て、いましばらくは苦悶にあえごう。

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