秋祭り・キンモクセイ
2006年10月8日
 松山の秋祭りは昨日。そして今日は重信町の秋祭り。いや、重信町はもうないのだ。いまは東温市。我が家は東温市と松山市の境目に位置するため、毎年二つの祭りの騒音に責められる。

 今朝は、暗いうちから町内放送が大音声に宮出しを告げ、三橋三智也のミコシ音頭が狂ったように流された。このミコシ音頭、かつては一日中町内に響き渡っていた。今はさすがに騒音公害と苦情が出たのか、そこまではやらない。おかげで昼間は静かなものだ。

 昼前、隣の団地の子供ミコシがやってくる。ミコシと一緒に獅子がついてくる。獅子とは言っても、舞う獅子ではない。舞わず、ただ肩にかつぐだけ。宇和島の牛鬼のような大きな張りぼての獅子だ。

 ミコシと獅子と2、30人の子供。それに、子供と同数の母親連。今年は子供の数が減ったように思う。去年まではもっと賑々しく、「ワッショイ、ワッショイ」のかけ声もけたたましかった。

 ミコシは毎年決まって、我が家の裏のスーパーマーケットにやってくる。駐車場でひとしきりかき狂ったあと、しばらく休む。子供たちがキャッキャと走り回っていると、やがてスーパーの店長が現われて子供たちにお菓子を配る。すぐには現われず、走り回って遊ぶゆとりを与えるところが、小憎い演出だ。

 この間約10分。ミコシは再びかつぎ上げられ、ぞろぞろと駐車場を出て行く。

 この一部始終を二階の窓から眺めている僕をも含め、すべては年に一度、この日この時間のきまりの光景だ。キンモクセイの香りが添えられる。

 今年は少しキンモクセイの開花が遅いようだ。彼岸花も遅かった。数日のことではあるが、遅い。気温の変化に敏感なこうした草木は、あるいは地球温暖化を静かに僕らに知らしめているのかもしれない。

 今朝が我が家のキンモクセイの香り初めであった。まだ金色の花はわずかに咲き出したばかり。ときおりふっと風に漂って、香りが窓から入ってくる。

 キンモクセイの香りには思い出がぎっしり詰まっている。鼻腔を香りが通過する瞬間、僕は子供時代に帰る。どっさりある思い出の一つがぱちっとはじける音を聞く。

 雨上がりの水たまり。空は明るく光っている。キンモクセイの香りがどこからともなく漂ってくる。こちらの水たまりでは男の子が、向うの水たまりでは女の子が遊んでいる。先ほどまでかつぎ回っていたミコシは、板塀の下に放り出されたままだ。

 そのころ僕には気になる女の子がいた。魚屋の子だ。あちらの水たまりで水を蹴散らしている。僕らがミコシのことを忘れる頃、そしてキンモクセイが香りを失う頃、その子はふいとどこかへ引っ越してしまった。切ない喪失感。

 やがて来るそのときを知らず、僕は夢中で遊んでいる。視界の縁にはいつでもその子がいる。
 キンモクセイが香ると、今でも僕はその日の水たまりを思い出す。夢のように七色に、その日がよみがえる。時は確実に滝壺へ、その時へと進んでいく。そのただ中に僕はいる。

 さて今から少し土手を走ってこようか。かつての助走に過ぎない距離しか走れないのは情けないが、この秋晴れの下、きれいな夕日を眺めながら走る快感はたまらない。

老化は一方通行?
2006年10月10日
 人の体は不思議なものだ。「老化現象」というと、誰もが一方通行の典型のように考える。実際、僕もそう考えてきた。

 ところが案外そうでもないらしい。若返ることだってある。

 僕は半月ほど前、ジョギングを再開した。病気を境に8年半のブランクがあった。中断していた8年半の歳月は重かった。ジョギング生活25年の間に蓄えた持久力(筋力と心肺能力)はきれいさっぱり消え去り、ゼロに帰還していた。走り始めてみて、思い切りそれに気づかされた。

 ゼロに戻っただけならまだいい。現実には、二十歳代半ばにして初めて走った日の走力すらない。マイナスへの後退だ。初めて走ったあの日、苦しいながらも会社をとりまく2キロの道を完走できたのだから。

 重信の土手、かつて何百回となく走った土手で、ジョギングを再開した。走ることが日常であった頃なら、息が乱れることすらなかったわずか1キロの地点で、今の僕は限界に達してしまう。肺と心臓がキューッと締めつけられる。もはや一歩も進めない。立ち止まって歩く。200メートルばかり歩くと、少し息が整う。あと半キロほどは走れる。そしてついに本当の限界が来る。

 再開後の土日ジョギングは、いつもこの調子だった。それでも、風を切る感触は何物にも代え難い。歳のことを忘れ、気分だけは昔と変わらず、自然と一体になる喜びに浸る。

 今日は少し楽かな、そう思って走るが、1キロ地点まで来ると、ああやはり今日もだめだ。

 やっぱりな、これが58歳という宿命的重みか。昔の粘りはどこにいったのだ。あっというまに燃え尽きる線香花火のようだな、まるで。

 情けないが、「2キロ完走」を目標にかかげた。

 が、1キロで燃え尽きる現実の壁は厚い。2キロ完走などありえないことだと思えてくる。届かぬ夢、夢のまた夢。老いとはこういうことか。

 悟りとはあきらめ、あきらめとは悟り。

 坂道を下り始めたことに気づくと、人は人生を達観する。達観とは望みを捨てること。いや捨てるとまでは言うまい。かなわぬ彼岸に望みを追いやることだ。それを人は、「欲望に惑わされない」などと言う。悟りとはそういうこと。

 最初の数回は頭打ちだった。そして一昨日、革命が起きた。1キロ地点に苦もなく達したのだ。「ええっ?」と信じがたい思いがした。昨日までは心臓と肺がキューッと締めつけられるようになった1キロ地点。だのに、えらく軽い。まだ走れそう。坦々とどこまでも走り続けることのできた、かつての自分がよみがえる。そうそうこんな感じだったのだ、あの頃は。

 もう少し走ろうか。2キロ半まで来た。まだやれそう。だが無理は禁物。そこでやめた。

 それが一昨日のこと。昨日はなんと4キロ走った。何のことはない、足はまだ軽い。心臓も肺も大丈夫。

 まさしく革命だ。体の中に何かが起こった。老化は一方通行ではない。それを痛感した。

 体がこれなら、頭も同じはず。使えば老化は防げる。逆戻りできる。いつかどこかで読んだ。半年も前ではない、最近読んだ。そこに書いてあった。脳細胞は壊れる一方ではないことがわかった。使えば復活するのだと。

 それを見て希望を持った。夢は捨ててはいけないのだ。

 「歳だからもうだめ」、これはいくつになっても言っちゃいけない言葉なのだ。

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