2006年6月20日 |
気がつくと、丸3ヶ月、「坊ちゃんだより」は無更新を続けてきた。それもそのはず、この間、毎日毎日が課題に追い立てられ.る日々の連続だった。脇を見るゆとりもなかった。こんなことは未だかつてなかった気がする。 といっても、誰に文句のつけようもないのだ。自分で自分に課した忙しさなんだから。 無我夢中で壮年期を走り通してきた。振り返ってみれば大した収穫があったわけでもない。ひたすら時をやり過ごし、身を粉にしただけの人生だった。そんな思いにさいなまれることの、とみに多くなったこの頃。 定年という、人生の区切りも遠くない先に見えてきた。このままじっとしていては、じり貧と消耗。あるのはただ、削られ粉にされ朽ちていく、老いというこの塊のみ。あまりに情けないよ、これでは。 澳の温みが残っているうちに勉強しないと、本気で。長い年月のうちには、細々ながらもやってきた研究めいた蓄えもないわけではない。それらをまとめるのも残された大事な仕事。 いろいろ考えた末、見かけの暮らしは変わらなくても、内実の転換を図ろう、そんな決心をしたのが半年あまり前のことだった。 以来、内面生活はたしかに変化した。大いに変化した。結果は、猛烈な忙しさ。錆びついていた頭がわずかに働き出した。知らぬが仏でやり過ごしてきた学問の世界のめざましい進展が、少しずつだが見えてきた。独力でこのニューウエーブに真向かうのはとても無理。いい水先案内人を得たことがありがたい。感謝だ。 この生活に体がなじんできた今、休眠状態だった「坊ちゃんだより」も覚醒だ。毎日(は無理だよなあ!)、短い断想くらいは書きたい。1行、2行のこともあろう。これも僕の人生の証し。大切な、大切な。 |
2006年6月21日 |
夏至だ。何となく気分の浮き立つ日だ。昼が一番長い、要はそれだけのこと。だのになぜか、気分が浮き立つ。なぜだろう。 脳には、日の光を喜ぶ何かが組み込まれているのだろうか。ギラギラした真夏の日盛りに立つと、むっと来る暑さに衝撃を覚え、目を細め、日陰を求めるその一方で、人はたしかに、感性の奥に、限りない解放に似た悦びを認める。「人は」と一般化するのは早計だろうか。僕はそうだ。 夏至の日の喜悦は、しかし、真昼のギラギラからは来ない。静かに暮れゆく、いやなかなか暮れゆかないしっとりした長い夕空の中に、その喜悦はある。 夜8時、僕は犬を連れて田の畦を歩いた。町の灯は届かない。いつもなら、月のないこの刻限は深い闇の底だ。だのに今日、つんつん伸びた雑草の茎が見分けられる。たっぷりと光が空に残っている。群青の青みが全天に満ちている。 これが夏至だ。そうだ、今日は夏至だ。ふとそう思った瞬間、昼間の疲れは消えていた。嬉しくなった。体が空に溶けていた。 |
2006年6月22日 |
ラブラドールは雨が好きだ。濡れても平気で立っている。首をかしげて立っている。 六月の雨。名のままの雨。イデアの雨。 人のイデア、犬のイデア。まん丸な雨。月の雨。そして地球の雨。 |
2006年6月24日 |
田植えのすまない田はなくなった。 江戸末期、西洋人が横浜に住み始めたころ、ヨーロッパ人にとって田植えはよほど珍しい景色だったらしい。「初夏の水田ほど風情のある光景はない」、日本に滞在する西洋人の一人がそう書いたのを読んだ覚えがある。たしかにそうだ。 田植えから半月もすれば、稲の緑はうんと勢いづく。その時期の田は、漲った水と初々しい緑の均衡がとれ、「ほおーっ」と思わず立ち止まって深呼吸したくなる。 田植えが終ったばかりの今はまだ、緑が弱すぎる。空の色合いが田にのしかかり、鮮やかに照ったり、泥色に曇ったり。無機質の受容体だ。 夜、遠くから来る車のライトが水面を照らした。幼い苗が闇に浮く。田植機の蛇行が生々しい。光の帯が僕を目指す。 ぐんぐん近づく。平行線の夜行列車。 光が一面に拡散した。カタストロフィーの恐怖、と思った瞬間、網膜から光がはがれる。闇が戻る。 あぶくのような平行線、それが残映。深呼吸する。 田は闇の中。非対称のあのときを思って。 |
2006年6月25日 |
近ごろ夢を見なくなっていた。いや、見ないわけはなかろうが、夢とともに目覚めることがなかった。目覚め時の夢だけが、「ああ夢だった」と自覚される夢だ。その意味では、僕はもうずいぶん長く夢を見ていなかった。 昨日だ、久しぶりに夢を見た。「親父も歳をとったな」、そう思いながら、縁側でスイカを食っている。親父はそこにはいない。庭をめぐった奥に親父は腰掛けてやはりスイカを食っているらしい。姿は見えない。イマジネーションがそれをたしかな実在とさせている。 スイカを食っている僕はまだ二十歳かそこら。となれば親父は素晴らしい元気で働いているはず。だが、イマジネーションの親父はすっかり老けて、白髪の好々爺。 僕は空を見上げて、相変わらずスイカを食っている。背中に親父を感じている。親父がぷっと種を吐き出した。イマジネーションの中にそれが見える。僕も種を空に吐いた。種はジェットのようにそのまま空に向かって進んだ。 白い航跡が真一文字に空に突き刺さる。親父はふっと笑った。 「何だ、起きていたのか」 それが僕の言葉か、親父の言葉か、見境のつかない不思議にぐるぐる取り巻かれているうちに、僕は目覚めていた。 |
2006年6月30日 |
書斎の壁に貼られている何枚かの絵。カレンダーから切り取ったペラペラの絵だ。ポスター風にちょっとかしげて貼ってある。お気に入りだから、もう4、5年も貼られたままだ。誰の作かは知らない。 描かれているのは、おそらく19世紀半ば。ヨーロッパの街角だ。往来を馬車が行く。犬と子供が歩道を走る。花屋の店先に小太りの女将。小さな女の子が母親に手を引かれ、女将に近づく。川べりで釣りをする老人。はしゃぐ子供。 隅っこに画家がいる。川に向けてイーゼルを立て、足を踏ん張り、背はやや丸い。薄汚れたスモックとベレー帽がいかにも普遍の画家だ。見ていると、この無個性の背に、自己投影の祈りがある。赤子を抱いた母親が、人待ち顔でキャンバスを覗く。川面にはボートをこぐ若い男女が三人。 机に向かうと、目の前にはいつもこの絵がある。見飽きるほど見た。もう絵は絵でない。貼りついた実在。背景に溶けた夢。つまりは山だ。遠景だ。微動だにしない郷愁。 ものを思うとき、頭の後ろに手をやる。そして体を反らす。すると郷愁が見えてくる。百年前のその一瞬が…。視線は明瞭に郷愁の細微を徘徊する。 今、まじまじとそれを見た。ハッとした。 この風景は僕だ。子供がいる、若者がいる、蝶ネクタイの紳士がいる、老人がいる。そして命がある。今は尽きた命。夢だ。遠い遠い夢だ。 百年後、僕はこうして心象の一風景となる。おそらくこの絵に棲むだろう。思い起こしてくれる人とてない絵。貼りついて動かぬ郷愁となる。 生きる者には思いも及ばぬ時の流れがある。命あるかぎりは、届かぬ先だ。 画家が画家を描いた絵に、僕は僕の夢を見る。 |