よしもとばななのこと
2006年2月5日
 ここ2週間ばかり、よしもとばななの中毒になっている。日に1冊、いや2冊のことも。毎日毎日よしもとばななばかり読んでいる。読みだすとやめられない、まさにかっぱえびせん状態だ。勤め先の図書館にあるよしもとばななは全部読んでしまった。まだ書架に並べる前の、購入したばかりのものも、生徒達には悪いが先につまみ食いしてしまった(「王国」その3)。

 速読技術などない僕でも、彼女の本は2,3時間もあれば読み切れるから、仕事の合間や暇々にちょっと集中すれば、2日で3冊程度のペースなら可能だ。

 だいたい僕は流行を追いかけることを生理的に好まず、と言うよりあえて避ける気持ちがあって、過去の長い読書生活を振り返ると、たいていはカビが生えたような古典ばかりを読んでいた気がする。

 その方が安心感があるのだ。「電車男」みたいに、大騒ぎをして、われ先にみなが飛びつく本なんて、僕はちょっと手にする気にならない。

 読んでおかないと話題に乗れない、取り残される、なんだか遅れた気分になる。そんなこともあるのだろう。

 話題の本、はやりの本というのは、一種の集団的ヒステリー、もっといえば精神的ファシズムのようなものに見える。調子を合わせない人をあたかも非国民であるかのごとくおとしめる。良し悪しの判断などよりも、心の安定、安全を選ぶ、つまり、催眠に引き込まれる方を選ぶ。それで心が落ち着くのなら、催眠の陶酔を選んだ方が楽だ。我を張って対極にいるのは愚かな話だ。そんな気にさせる。

 僕がなぜはやりものをあえて頑なに手にしなかったのか、心の底には、集団的催眠には乗らないぞという気位のようなものがあったと思う。よしもとばななが「TUGUMI」の中で書いている、「気が弱く、それでいて気位だけは高く」という主人公の父親程度の、ほとんど無価値な気位なのだが、僕はそれを「自由」という言葉と同義語だと信じ込んで、過去の半生の背骨にしてきたように思う。

 よしもとばななも実は、20年ほど前だろうか、出始めて一気に人気作家となり、どんどん書き始めた。書けば書くだけ売れる作家になった。僕の気位からすると、これは当然避けるべき対象であった。

 どうして今頃になってよしもとばななを手にしたのだろう。きっかけは綿矢りさだった。綿矢りさなど、僕の気位からすれば真っ先に拒絶すべき対象だ。そして実際、17歳で衝撃的にデビューして以来の4,5年間、拒絶し続けてきたのだが、あれだけ評判なのだからちょっと覗いてみようかと、まるで不倫をするような興味で読んでみた。「インストール」と「You can keep it.」だった。

 唖然とした。これはすごい。たしかに高い評価を得ただけのことはある。天才だ、とまで思った。ぽっと出のアイドルとは明らかに違う。そしてその本の巻末の解説に、よしもとばななとの比較めいたことが書かれていた。これはよしもとばななを読まないわけにはいかない。

 こうしてこの2週間、よしもとばなな漬けになってしまったのだった。

 綿矢りさにはまだ天才が実証されるだけの実績がない。今後を見ないといけない。よしもとばななはもう立派に天才だ。僕の読後感である。

 先日書いた原稿を、今日封筒詰めして送った。いつものことだが、送り出すと寂しくなる。わが子を手放すみたいに。そして不思議なことに、活字になったときにはもう二度と読んでみようと思わなくなる。勘当した息子みたい、というのは少し違う。照れくさいというのか、それも違う。手元で温めながら書いたり読み返したりしているうちは自分のものだが、いったん手放すと、あとはもう巣立った鳥みたいに、二度と自分の元に帰ってくることはない、そんな気持ちかもしれない。

 今日やったことがもう一つある。

 勉強しよう、学びたい、だけど独学では限界がすぐやってくるから誰かについて学ばねば。そんな思いを実現させるべく、秋から準備していた。そのための種々の手続きを、逡巡と戸惑いの長い日々を経た末、ついに今日終えたのだ。獅子がわが子を谷に突き落とすように、わが身を谷に突き落とした。もう後戻りはできないために。ちょっと大げさすぎたかな、…。

春のめぐり
2006年2月11日
 今朝、起きて表に出てハッとした。空気がぬるんでいる。冬の間中待ち望んでいた春の兆し、いや春そのものだ。

 一面のっぺりした薄雲が視界をおおう。雲間から淡く白い光が垂れ下がる。遠い山々が影絵のように遠近のない一色となって、ぼんやり空に溶けている。動かない空気が、ほわっとあたたかい。

 黄砂か水蒸気か、よくはわからない。あたたかな春の霞が世界を包んでいる。

 懐かしい巡りだ。回帰だ。思わず僕は花梨に目をやる。玄関先に植わっている。青と黄色の斑の木肌が淡い光を浴びている。いかにも硬そうな肌。枝先に新芽を探す。

 視線が幹を這って空に向かう。梢の先に落ちそこなった小さな実が一つポツンととりついている。熟したころの芳香はなく、つやつやした黄色味もない。といって茶色に枯れてもおらず、シミのついた老人の肌のような色合いで空に浮かんでいる。冬枯れのとがった枝先に小さく丸く、不協和音のように刺さっている。

 やがて可憐なピンクの花が咲き、緑のつやつやした葉っぱが芽吹くとき、死に損ないのこの実はどういう姿をさらすのだろう。前世の亡骸のようにそれでも空に突き刺さっているのだろうか。新しい生命の中で、生まれ変わりの夢を見続けるのだろうか。

 齟齬、限りない齟齬。醜いな、僕は一瞬思った。

 今日のような空気のぬるんだ日には、新芽がぷつっと硬い皮をはじいているのだろう。目をこらしてそれを探す。なかった。花梨はまだ眠りの中だ。

 午後、春の訪れのように税理士が来た。青色申告の書類作りをお願いしている。昨年「青色申告ソフト」というのを買いはしたが、税務知識皆無の僕にはとても無理。手数料を払っても税理士に頼まないと書類が作れない。分厚い書類を持ってきて、「これこれこうなって、納税額は…となります」「はあそうですか」。説明してもらうと一応わかった気になる。払うものは払わないと。

 夕方から雨になった。あたたかな霧雨だ。春雨と言いたい。心地よく濡れながら犬を散歩させる。

それぞれに真実…
2006年2月12日
 昨日、曇り空の下で僕は花梨の新芽を見つけることができなかった。枝陰の暗みにまぎれこんでいたらしい。今朝、ぱあーっと明るい朝日に照らされると、なんとここにもあそこにも芽が吹き出しているのが見える。落ちずに残った一つだけの実すら、きらきら輝く朝日を受ければ、たったいま熟したばかりと言わんばかりに、つやつやと真っ黄色な光沢を放って誇らしげだ。シミだらけの老人の顔? 失礼な。いったい誰がそんなこと言ったのだ。

 包みこむ空気、飛び交う光、わずかな気温のずれ、湿度の違い、風の具合、そんなもので僕らの目はいくらでも周囲に違った世界を見てしまう。その瞬間瞬間、僕らはそれを真実だと信じ、それのみが世界の正しい表現だと、疑うこともせず受け入れる。

 真実は僕らの前では蜃気楼かなにかだ。僕らの感性に合わせて姿を変え、感覚が向かうところへ、向かうがままに変幻自在に姿を現わす。

 真実とは、僕らが作る僕らの信念、安心の土台、そんなものかもしれない。その瞬間の僕らのありようがその真実によって裏づけられれば、それは実在の土台、すなわち真実となる。僕らのありようにそぐわなければ、それは僕らにとっての真実ではない。明日の真実とはなり得ても、今日の真実とはなり得ない。

 僕は今朝、花梨を見たとき、ふとそんなことを思った。昨日の花梨は、あれはたしかに昨日の真実だった。そして今朝の花梨は今朝の真実。それぞれに真実…。

 僕らが見ている世界が、そのまま見たままの姿でそこにあるのだと誰が保証できよう。煌々と一つの生命体のように輝いている銀河。宇宙にはそういう銀河が無数にある。僕らも一つの銀河の中にある。だのに僕らの目に僕らの銀河はちっとも激しい光を放っていない。真空だらけのすかすかの空間が広がるばかりだ。まばらに小さく星が瞬き、隣の星にすら僕らは到達できない。

 同じ銀河が、どうしてこんなにも違って見えるのだろう。

 僕はいま、三十年も前に読んだスチュワートの「ガロア理論」を再び手にしている。この本を一冊の本として僕は手にし、印刷されたページから深遠な数論を読み解こうと試みている。ここには僕の感性と感覚に適合した情報があふれるように盛り込まれている。

 だけどこの深遠な数論がこの「ガロア理論」とタイトルされた物体の真実だと、僕に言いきる自信はない。僕にとっての真実は、僕の感覚器官がとらえた内面のイメージ、それが織りなすパターンにすぎない。この本が秘めた他の真実、無数のバラエティーをもって彩られているであろう無数の真実を、僕は知らない。わずかにその一つの姿を僕はとらえているにすぎない。

 この本を大宇宙に比肩しうるまでに拡大したとき、いやその中に深く深く潜り込んだとき、この本がもはや「ガロア理論」を語るものでなくなることは、火葬場の煙がその人の生命在りし日の言葉を語らないよりももっとたしかなことであろう。

 「ガロア理論」を語り得ないことによってこの本は真実を失うだろうか。それはない。きっとそこには新しい真実がいくらでも、無数に、あぶり出しの絵のように見えてくるのだと思う。深く深く潜り込めば、その深さの度合いに応じて、新しい真実の映像が、3D画像にふっと焦点があったときのような鮮やかさで見えてくるのだと思う。

 今朝の花梨を僕は限りなく愛おしく感じた。

 季節の変化、空気の変化を敏感に、ありのままに感じとって、ぷつっと新芽を膨らませる。

 僕がここに在ることとぴったり重なる波長。

 僕が生きていることをまるで証しするように、「そう、その真実こそが僕らの土台なんだよ」と、花梨は僕に語ってくれる。

ホログラフィック理論!?
2006年2月19日
 今日は曇り。曇るとなぜだかあたたかい。昨日は晴れ渡って、寒かった。ぴりっとした辛子みたいだった。

 寒さを突いて、校内マラソン大会があった。走る生徒たちに狂ったようにカメラを向けた。60枚ほど撮る。

 パソコンに取りこんで眺めながら、ぐぐっと感傷的になった。

 数年前までそう言えば僕も走っていたんだよな。20年以上も走り続けたんだよな。

 あの日を思い出す。走るきっかけになったあの瞬間が鮮明に思い出される。あの日から、僕はジョギング漬けになった。人生半ばの20数年を走り続けることになった。

 府中でNECに勤めていた二十代後半のことだ。

 仕事が終った夕方、同期のW君とロッカールームで帰り支度をしていた。当時は(今もそうかもしれない)会社から支給された制服というか、作業着があった。仕事中は部長も課長もヒラも、みんなあれを着ていた。それを脱ぐ。ブレザーに着替える。

 そして、何でだろう、僕とW君は並んで靴下を履いた(仕事用の靴下などあったはずはないから、どうしてだかわからない)。二人とも立ったまま、同じ姿勢で靴下を履いた。そのときだ。足に靴下をはめようとして、申し合わせたように、二人は同時にぐらっときた。鏡に映った実像と虚像みたいに。

 腹についた贅肉ゆえに、足を持ち上げたつもりがイメージ通りに上がらず、「あれれれっ」と言いながら、重心が崩れてぴょんぴょん跳びはねた。僕の方はそれでも何とか持ちこたえたが、W君はロッカーの扉にぶつかり、尻餅をついてしまった。

 そして同時に声を上げて笑った。

 「立ったまま靴下が履けなくなったらもう中年よな」

 彼も言った、僕も言った。その言葉がこだまのように今なお頭の中を駆けめぐっている。よほど衝撃だったのだ。

 その日、帰りにスポーツ店に寄ってジョギングシューズとウエアを買った。翌日会社にもっていき、昼休みに走ってみた。会社をぐるっと取り巻く道がちょうど2キロだった。大勢走っていることは知っていた。その日から僕も仲間になった。走りなれた人は昼のわずかな時間でも、楽に2周とか3周とか走る。

 僕は1周が限界。終えると、ハーハー、ゼーゼー。それがジョギング生活の始まりだった。

 翌朝、足がぱんぱんに張ってどうにもならない。筋肉がじんじん痛む。

 一日限りでやめようかと思うくらい痛かった。

 あの痛みこそがジョギング中毒の引金だった。何ともなかったらやめたかもしれない。

 「たった2キロ走ってこんなに?」

 新世界の発見だった。好奇心と征服欲が津波のように体の底から押し寄せてきた。

 こうして書きながら、最近たまたま概説を読んだ「ホログラフィック理論」とどこか通じるものを感じてしまった。征服欲は内部から押し寄せて外部に至る。津波は外から押し寄せて、内部に衝撃をもたらす。働きも現われも異なるが、実は両者は一つなのかもしれない。

 ホログラフィック理論は、空間内部のできごとが、その周縁の境界面上で起こるできごとと同値だと主張する。次元を一つ減らした境界面上の物理学(重力を仮定しない物理学)によって、空間内部の重力が説明されるという。現代の物理学では説明困難な重力が、ホログラフィック理論で説明つくのかもしれないという(一般相対性理論で重力問題にケリがついたというのは、巨視的な重力のことで、微視的な量子重力理論はいまだに成功していない)。ホログラフィック理論が正しいなら、重力は幻、つまり境界面上で起こっている実体に対する影にすぎないのかも知れない(難しい計算は僕にはわからない。理論のイメージを僕なりに描いたにすぎない)。

 それだけではない。僕ら自身を含め、僕らの身の回りを埋め尽くしている素粒子一つ一つには、それに対応して境界面上に何らかの粒子が存在するという。何とも奇妙だが、あっても不思議はないような気もする。

 まあこれは、生まれたばかりの仮説だ。しかし妄想ではなく、れっきとした物理学だ。

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