大腸ファイバー検査、インドの風に吹かれて
2005年12月4日
 大腸ファイバー検査がこんなに楽なものとは知らなかった。潰瘍性大腸炎を患ってもう20年になる。6,7年前には一度とことん悪くなってしまい、1年間休職して入院生活を送ることになった。そんなわけで、この病気とはもうずいぶん長くつき合っている。この間何度受けたかしれないこれまでの検査は、いつも痛くて痛くてとても耐えられないものだった。

 それに引き換え、昨日の検査は本当に楽だった。目の前に置かれたモニターで自分の腸をリアルタイムで見ながら、トンネルの中の冒険旅行のような感覚で、大腸の一番奥までたどり着く。そしてゆっくり抜きながら、要所要所で写真を撮り、説明を聞く。小さなポリープがあり、それを摘み取ったり、かつての潰瘍の跡が白くアザのようになっているのを確認したり、赤く腫れて良好でない箇所があってそれを知らされたりと、自分の体内でありながら、どこか他人事のような客観性でモニターを凝視し続ける。

 結果は、ほぼ良好で「おおむね緩解期」にあるとの診断だった。この病気は決して治ることのないもので、一生つき合っていかねばならないのだが、その途中に、比較的落ち着いた緩解期と、悪くなる時期がある。悪くなるのにも、軽症から重症、さらには激症まで、いろいろある。原因がわからないから治し方もわからないやっかいな病気で、難病の一つとされている。

 緩解期をいかに長く維持するかが、健康な生活を送るための要点なのだ。

 長くつき合っているうちに病気の特徴を熟知し、悪化のわずかな兆候をも敏感に察知することができるようになった。そのため、退院後のこの6年ほどの間は、悪くなっても、いつも軽症程度ですんでいる。しかし、大きな波、小さな波と、いつも揺れ動いている感じで、この病気のことを本当に忘れて過ごすことのできる期間は一年のうちに半分もないと思う。

 今日は期末休暇の最終日だった。朝起きると庭がしっとり湿っていて、夜のうちに雨が降ったらしい。でも、朝の天気は穏やか。気持ちいい日差しが庭の湿りを見る間に乾かす。ところが、昼前から様子が違ってきた。教会の礼拝堂にいたのだが、いっとき霰が降ったように思う。パラパラと屋根を打つ音が聞こえた。

 その後も空気が冷たく、時雨模様が夜まで続いた。

 今日は「地球星の旅人〜インドの風に吹かれて〜」を読む。韓国の詩人が書いたインド旅行のエッセイ集だ。生きていく上での価値観の違いをくっきりと描き出した、みごとなエッセイだと思う。

 韓国は日本同様、画一的かつ商業的なグローバル化の波(とりもなおさずアメリカ流の波)にどっぷりつかった社会だ。作られた流行と外から与えられた価値観が、民衆(こんな言い方はもう古いのかもしれない、「人々」とでも言わないと「個」が埋没した現代の状況にふさわしくない)の共通の価値観として自然に浸透してしまう社会が、われわれの社会だ。一人一人に自発的な価値観が育っていないから、外からの価値観が簡単に浸透し、それを異常とも感じない。

 「反テロ」と言われれば簡単に全員がそちらを向いてしまう。ことの真相を自分の頭で考えるより先に、世間が一般に受入れていると思われる考えにまず順応してしまう。だから、「小泉チルドレン」をかっこいいと言われると、みんなそう感じてしまう。先の解散総選挙で自民党が圧勝したのも、そんな現代社会の特徴を小泉さんが熟知し、巧みに操作したことによるのだと思う。

 インドはそうではないと、著者のリュ・シファさんは言う。作られた流行によってころころ変わる即時的な価値観はインドにはないのだと。悠久の価値観がいまだに民衆(インドではこの言葉がしっくり来る)に根づいている。悠久どころか、前世から来世にまたがる無限の時間をつらぬく価値観がインドにはある。

 そのことを、形而上的な論理によらず、人との出会いを通じた具体的な語り口で、実に楽しく描き出している。やや誇張した、眉唾の部分もないではないのだが、一冊を読む中で、百回も感嘆させられる、よくできたエッセイだ。

授業、補習、アンケートの集計作業
2005年12月8日
 忙しくて目が回る。今日は、いっときの休みもなく、朝から晩まで働き続けた。この長い一日を振り返ってみる。

 まず朝の1時間目、著作権に関するメモ程度の報告レポートを作る。メモとは言っても、まあ一応いくつかの資料を調べて書かねばならない。全教員に読んでもらうためのものだ。

 2時間目、数学科の会。

 3時間目から6時間目までは、4時間連続の授業。途中、昼休みには図書館日直の仕事。弁当を食べていた15分ほどが、休息のための唯一の時間だった。

 放課後は、毎週木曜日にやっている補習。とはいえ、補習だけにかかりきりにもなれない。同時並行で、「読書アンケート」の集計作業をやっていたのだ。このアンケート、1ヶ月ほど前に全校生徒を対象に行ったもの。アンケートはとったものの、期末試験や、それに続く5連休があったりしたものだから、集計できないまま積み置かれていた。昨日からようやく、図書委員の有志に手伝ってもらって集計を始めたのだ。

 集計の様子を見ながらの補習。補習の教室と集計をやっている図書館2階とを行きつ戻りつする。

 補習が終ったのが4時35分。直ちに図書館へ。図書館日直の仕事の一つである閉館作業には間に合わず、司書がすでにやってくれていた。2階の集計会場へ。6,7人の生徒が熱心にやってくれている。昨日と今日とでまだ終らない。大変な作業である。

 「仕上がったら、ご苦労様の打ち上げパーティーでも開こう」

 そんな話になる。「とりあえず今日のところはここまで」、と皆を帰したのが5時すぎ。

 そのあと、一人図書館に残って、朝作ったレポートの仕上げ。校門を出たのは6時すぎ。

 だが、これで今日の仕事が終ったわけではない。帰宅すると、犬どもが熱烈な愛の表現で、僕を待っている。一休みして、散歩に連れ出す。4匹いるから、一度にはできず、いつも2ラウンドすることになっている。この犬の散歩中は、いろいろものを考えたり、星空を見上げたりと、自分を取り戻す至福のひとときである。

 2ラウンドで1時間。これで一日の仕事がやっと終る。働きづめの12時間であった。

 過労気味の毎日だが、へばりはしない。先日の大腸ファイバー検査以降、実に体調がいいのだ。検査をすると調子がよくなるのはいつものこと。胃と腸を完全に空っぽにするのが身体にいいのだ。

ありがとう、金星
2005年12月13日
 金星は9日、最大光度を迎えた。残念ながらその日、松山は曇り空。きらめく金星は姿を見せなかった。でも昨日と一昨日は雲の隙間から姿を顕わした。まるで夕空に灯る電灯のように、巨大で神々しい光を空にまき散らした。キラ星とはまさに金星を指す言葉だ。

 見つめていると、すうっと光が減衰していくことがある。手前を雲が流れているのだ。ほんの1,2秒、白熱灯が切れたときのような減衰の過渡期を経て金星は姿を隠す。しばらくは暗黒だ。やがて雲が去り、先とは逆の静かな過渡現象を経て、巨大な金星が音もなく姿を現わす。だがこれも長くは続かない。次の雲がやってくる。こうして何度も何度も、くり返しくり返しするうちに、ついには金星は西に沈んでしまう。

 じっと見上げていると、宙に浮く金星が近しい友に見えてくる。「ああ、そこにいる、そこにいる、君がそこにいる」。ついつい独り言を言って話しかけてしまう。金星に向かって話しかけてしまう。

 何を言っているのか定かではない。

 「ありがとう、ありがとう」

 感謝の思いかもしれない。ひたすら母なる太陽を慕って回り続ける金星のけなげさに、なぜか「ありがとう」と感謝する。

 今まさにそこにいる。その肉薄する実在感に感謝する。

 金星はいま、日をおって太陽に近づいている。近づくにつれ、やせ細り、三日月状からやがては髪の毛の新月状になる。そのとき、金星は日没後のほんの一瞬間、姿を見せるだけとなる。そして内合のときを迎える。もはや姿はない。それが1月中旬。

 もうしばらく、夕空に巨大な金星を楽しむことができる。寒くなった。今日など、手がかじかむ。今宵もまた、犬と一緒に星空を見上げることにする。

 さあ散歩に出かけよう。そう、今日は早く帰宅したのだ。空が明るいうちに帰宅したのだ。過労気味の体を休めて、今から散歩だ。

生きていく日々 メニューへ
坊っちゃんだより トップへ