最近のこと
2003年11月24日
 父のこと、母のこと、いろいろ書きたいことはあるのですが、思いが先だってなかなか言葉になりません。しばらくは波紋の静まるのを待つしかない、そんな心境です。

 また、たとえそれが言葉になり得たとしても、今の私が書くことはあまりに私的な思い入れに過ぎず、客観的な視点を探すことはとても不可能です。

 というわけで、話題を変えて、さまざまな思いを綴ってゆくことにします。「幼い日々」の続きにもなるはずですが、その場合でも、一つ一つは読み切りのエッセーとして書き続けたいと思います。

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 まずは最近読んだ本から。成山堂書店から「気象ブックス」という100冊シリーズが出ています。今はまだ10冊ほどが出版されているだけです。その第1号「気象の遠近法」を読みました。著者は、京大名誉教授で、現在、日本気象学会理事長をされている廣田勇氏です。知的好奇心をくすぐられる実におもしろい本でした。

 地球大気のグローバル循環をテーマにしたものです。私はこれによって、地球に対する全く新しい目を開かれた思いがしています。気象を専門にしている人達にとっては何でもない常識なのでしょうが、少なくとも私には、驚きの連続でした。

 たとえば、われわれは夏と冬を肌で実感し、気温その他で、その違いは歴然としているものと信じています。日々気象が激しく変化する対流圏(地表から10キロ程度の高さまで)の最下層に住んでいる私達には、春夏秋冬の移り変わりはあまりにも明瞭です。

 ところが実は、この対流圏には夏と冬の明瞭な違いはないのだと、この本は語っています。たとえば、北半球では真冬、南半球では真夏であるはずの1月、対流圏の全地球的気温分布を見ると、信じがたいことに、北半球と南半球は見事に対称的です。赤道をはさんで、夏側と冬側とが対称なのです。これは私達の常識を根底から打ち破っています。

 夏と冬の違いが気温分布にはっきり現れるのは、40キロ程度上空の中間圏からだといいます。そのあたりから、夏側と冬側の対称性が崩れてきます。これは気温分布だけでなく、風向きの分布にも言えることだそうです。

 だとすると、地表に住んでいる我々が季節の変化を感じているのは、目の錯覚・肌の錯覚ということになるのでしょうか。いや必ずしもそういうわけではありません。グローバルな分布の対称性とは、分布の山の大局的な対称性のことで、夏側と冬側とでたしかに緯度にして10度程度のずれはあるのです。しかし、それは大局的には些細な違いであって、グローバルな目で見れば、分布はたしかに見事に対称的です。

 中間圏まで行くと、気温分布は夏側と冬側とでまるで違ったものとなります。

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 あるいはまた、地球の自転に伴うコリオリの力(自転軸から遠いほど回転の実速度が増すことから来る見かけの力)によって、日本などの中緯度地帯では西風が必然的に卓越風となり、赤道付近では東風が卓越風になるのですが、赤道上空の成層圏の風をよく調べると、28ヶ月周期という奇妙な周期で、西風と東風が交替しているといいます。恒常的であるべき卓越風が交替すること自体不思議だし、しかもそれが季節変化の基をなしている「1年」に同期しない周期をもつというのはあまりに奇妙です。

 地球的規模の大気震動が、そのスケールに応じた共鳴周期として、28ヶ月という周期をもたらしているのかも知れません。この大気震動というのはそもそも、地表の凹凸に起因する風の震動が上空に立ち上ってゆくもののようです。川底の小石が川の表面に波紋を作っているようなものです。

 また、中・高緯度地帯の成層圏で、秒速数十メートルから、ときには百メートルにもなるというジェット気流がなぜ恒常的に吹いているのか。しかもそれが揺らぎつつ蛇行しているのはなぜか。勉強不足だった私の頭を衝撃的に焼き直すほど明快に、この本はこうした疑問に答えてくれています。発生原因は、地球の重力(気温の変化を気圧の変化に置き換える働きをする)と地球の自転(コリオリの力)にあると、私なりに解釈しました。地球の重力の故に、冷たい北極上空は常に低気圧域になっているのです。そこに吹き込む風は、もし地球が自転していなければ、北極点に向かう南風ばかりとなるはずですが、現実には自転に伴うコリオリの力が働いているため、低気圧域を取り囲んで回る強い西風となるのです。蛇行の原因は、北半球の複雑な地形と、そこに発生する温帯低気圧の波、ということでしょうか。

 なお、前線上に発達する温帯低気圧が、冷たい空気と熱い空気の熱交換器の役目を果たして、地表の温度分布を安定化させているといったことも、私には全く新しい視座でした。

 南極上空のオゾンホール、二酸化炭素の温室効果による気温上昇など、いかにもマスコミ受けする諸現象についても、マスコミの論調とはひと味違う切り口で、気象科学者による緻密で冷静な解釈が与えられています。南極のオゾンホールは今に始まるものではなく、昔から定常的にあったもの、と廣田氏は言われます。科学の断片をマスコミや政治家がついばんで誇張することの危険が、廣田氏の言外ににじんでいます。

 「坊ちゃんだより」の読者のみなさん、一度「気象の遠近法」をお読みになってはいかがでしょうか。目から鱗が落ちること必定です。

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 ブッシュ大統領がアフガニスタン侵攻を始めたとき、そしてまたイラク戦争を始めたとき、これは一時的にはアメリカの軍事的勝利をもたらすだろうが、百年単位の長いスパンで見れば、「21世紀はアメリカ覇権の崩壊とともに始まった」と歴史書に書かれる結果をもたらすだろうと、私はこの坊ちゃんだよりで書いたことがあります。今まさにその流れが現実のものになりつつあるのを感じます。

 もちろん私はテロを容認するものではないけれど、アメリカがアフガニスタンやイラクに撃ち込んだあの「戦慄と恐怖」のミサイル攻撃が許されて、今行われているテロの暴力が許されないと言い切る自信は私にはありません。理にかなわない戦争を仕掛けたのは明らかにブッシュ大統領の方であって、それへの抵抗を彼が「悪」呼ばわりする道理はありません。

 「鏡よ鏡、世界の平和にとって今いちばん危険な人物は誰?」 「はい、それはブッシュ大統領です」

 これは寓話でも何でもない、現実です。この危険な人物に犬のように忠実であろうとする日本の首相もまた、危険な道を歩む可能性を秘めています。

 どちらかが壊滅するまでとことん意地を通すか、あるいは過去のなりゆきは水に流して矛をおさめる勇気を持つか、今ならまだ選択の余地がありそうです。その選択の責任は明らかにアメリカの側にあります。受けて立っている側にはありません。

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