コスモス草原
2002年10月26日
 秋ふかし、わたしは何をする人ぞ。

 温暖な瀬戸内の小都市・松山も朝晩はさすがに冷え冷えしてきました。町を歩くと,金木犀のまっ黄色な花びらが固まりになって落ちているのを見かけます。塀から歩道に突き出た部分から落ちた花びらだけでもびっくりする分量です。掃き寄せられたように金色の花びらが丸く地面を埋めています。金木犀は,花びらは小さいけれどぼってりしていて,少々の風では飛ばないのです。

 アベリアの白も見事です。アベリアは1メートルほどの低木で,生垣や街路樹としてどこにでも見られます。日本名はハナツクバネ。開花期間は驚くほど長く,初夏から初冬まで,一年の半分を,純白の花の衣装に包まれてすごしています。白い小さな花です。実をなさない悲しい花です。盛りの時期というものがないアベリアですが,彩りの際立つのはやはり今でしょう。やわらかい秋の光にしっとり溶け込んで,清楚な輝きを放っています。

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 コスモスの神秘のあでやかさは言うを待ちません。庭先や道端に群れ咲くコスモスの風情もたまりませんが,コスモスがコスモスらしく,宇宙を映しとって咲くのは,ゆったりした起伏の丘陵です。私の家から1キロほどのところに,コスモスが乱れ咲くそうした草原があります。紅,赤,ピンク,白,…,とりどりに彩られた無数のコスモスが,たえず揺らめき,波打ち,渦をなし,瞬時もとどまることをしません。妖艶な衣装に身を震わせる天女の乱舞です。

 立ち止まって眺めていると,コスモスの原を,さあっと遠くから秩序ある風紋が押し寄せることがあります。ハッと目を見張った次の瞬間,風紋は砕け,たちまちカオスの支配下に落ち,無秩序なゆらめきが一輪一輪の花びらを脈絡なくゆすります。しかしその無秩序も長くは続かず,ランダムな振動の中からやがて,共鳴しあったかすかな律動が生じ,神秘の秩序が芽生え,成長し,輪となり,渦となり,統合されたもろもろが右に左に揺れ動きます。だがしばらくすると,その輪も渦もふたたび活力を失い,緩んだ一本の紐のようになって,遠く流され消えてしまいます。そしてまた一瞬のしじまの奥から風紋が押し寄せ,見る間に崩れてカオスとなり,カオスから秩序が芽生え,…。こうして,永遠にとどまることのない宇宙の有為転変が,コスモスの原に繰り返されるのです。

 眺めているこの私までもが巨大な力のもとに一となり,カオスと秩序の永遠の繰り返しの中に溶け込んでしまいそうです。渦の芯から魔性の美女の手が伸びてきて,狂い果てたそこは異世界。夢とも現ともつかない不思議な世界に,醒めているのか夢なのか,それすらわからず,なんとも不思議な気分に浸されているのです

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 有為転変の世界にただ一つ確かなもの,確かだと思えるもの,それは自分の人生です。生まれ,育ち,歩んできた一本の道,そこには迷いがあり,挫折があり,偶然があり,必然の帰結があり,出会いがあり,別れがあり,諦念があり,喜びがあり,そして永遠の自己非容認があります。容認を夢見つつも容認し得ざる道,この道の一方の末端に私という自己があり,自己に対する動かざる実在認識こそがよろずの実在認識の根源的確証であるとすれば,この一本の道をたしかな実在だと見ない論理はありません。

 確かなものとして実在しているはずの自分の人生。過ぎ去り,流され,今は無と化した過去の夢物語ではなく,たしかな実在として現存しているこの人生。それを一本の道として見通すことができるのはこの私だけかもしれないけれど,にもかかわらず,厳として実在する道。これを,世にあって初めて見た暁光のように,朽ちることのない額縁に留め置きたい。そんな思いが近頃とみに強くなってきました。亡くなった義父の手帳とスケッチをまとめる仕事とあわせ,余暇をそれに当てるに十分な価値ある仕事だと思われてきました。これは決して後ろ向きの仕事ではない。そう自分に言い聞かせつつやってみようと思うこのごろです。

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