濃艶サトザクラ
2002年5月3日
 堪能しきらないうちに,春は私を残して風のように駆け抜け,気がつくと今日の私は半袖です。

 今年の桜は早く咲き,早く散ったとよく言われます。しかし,早いのは桜だけではありません。ツツジ,アヤメなど,今を盛りと咲く晩春の花々も,咲くのは例年よりもうんと早かったように思います。

 そして思うのが,遅咲きのサトザクラ類です。桜といえばヤマザクラ系のソメイヨシノが代表ですが,私にとっての桜はやはりサトザクラです。花の色も形もすべてが淡泊なソメイヨシノに比べると,サトザクラ類は重厚かつ濃艶です。カンザン,フゲンゾウ,イチヨウ,ショウゲツなど,周囲に見るサトザクラはみな見事な艶やかさで咲きます。(写真は,ショウゲツ 4/20)

 花弁が折り重なるようになった花を「八重咲き」と言いますが,カンザンなど八重どころの騒ぎではありません。数十枚,いや百枚近い花弁がひしめき合ってひとつの花を構成しているのです。そして微妙な濃淡に彩られた薄紅色が何とも魅力的です。

 サトザクラ類は,概して遅咲きで,例年ならゴールデンウイークの頃にもまだ十分見頃の花を楽しめるものですが,今年はやはり10日ほどは早く咲き,早く散りました。いっときの燃えるような艶やかさから,目立たぬ葉桜に移りゆく様は人生そのものです。今の時期,彼らは自然の背景となって緑の中に没しきり,そこでかつて異彩を放って輝いていたことを証しするものは何一つありません。

 東大講師時代,「吾輩は猫である」で文壇デビューした直後の漱石が,ある講演会で,

 「つまりこの本の中にあることをしゃべるのです。別にどうもえらい演説をする材料もありませず,そういう蓄えもないですから,ただこの本のことについて,ちょっとお話しします。しかも本のことをよく呑み込んでいれば,本を持ってこないで覚えているような顔をしてお話しをしますが,それもできませんから,つかえたら本を見るということにいたします。」

 こういって話し始めたというのですが,この謙虚さとそれを水面下で支える自信と力量とがあれば,時の移りゆきにもっと淡泊であれるのにと,私は自分に向かって布団の中で何度つぶやきかけたことでしょう。

なぜ私はこの肉体に終生一体なのか
2002年5月6日
 雨の連休最終日。今年から松山でもプロ野球公式戦が開催されるようになった。今夜の横浜・広島戦は雨で流れたらしいが……。まあそれは、私にとってはどうでもいい。

 この雨で勢いづいたものがある。ミカンの花だ。家の前にはミカン畑が広がる。無数の花びらから発せられる芳醇な香りが風に漂い,窓を開けると思わず深く息を吸い,吐くのをためらってしまう。

 そのミカンが,雨で一段と濃密さを増し,妖艶ともいえる香りを発するようになった。厚くぽってりとした小さな花びら。ひととき雨が上がり,雲が開くと,滴が純白の花びらをぶるぶるっと揺すって落ちる。全宇宙を宿した光の玉の行列。

 春はミカンばかりではない。厚くぽってりとした花びらをつけて芳香を放つ樹木によく出会う。家の近所には,今は花の候をすぎたが沈丁花。今盛んに香るのは,レンギョウ,ジャスミン。どれも花びらの形状はよく似ている。レンギョウは真っ黄色,ジャスミンやミカンは純白。色の違いはあれ,形はみなよく似ている。

 香る花と香らない花。それぞれに特性を生かして長い長い生存競争を生き抜いてきた。地球の生存環境の多様さを証明している。

 その中にあって,自己を意識するこの自分をつくづく不思議だと思う。なぜこの私はこの肉体に終生一体なのか。今日うたた寝をしながら,あまりの不思議に思わず跳ね起きてしまった。

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