生かされてある
2002年2月28日
 ここひと月余り,依頼された大きな原稿に掛かり切りになっていたため,坊ちゃんだよりは事実上休止状態でした。数日前それがやっと完了し,ほっと一息ついたところです。

 気がつくと,いつの間にやら2月も終わろうとしています。春はもうそこです。というよりも,今まさに春です。早春です。2月の春,3月の春,4月の春,5月の春,それぞれに情趣の違う春が私たちを待ってくれています。それぞれに人を幸せにする何かが地の底から発散してくるのを覚えます。生きている幸せをこの時期ほど痛切に感じることはありません。

 三年ほど前,自分の人生がこの先なおも続くものだということを,自分自身まったく信じることができなくなるような,とてつもない苦しみの一瞬一瞬を強いられた私には,今こうして生かされているありがたさが,誰よりも強く感じられます。

 「元気に快復したから話すんですが」,と主治医の先生に最近になって打ち明けられました。「実はあの頃,もうこれはダメだろうと,何度も匙を投げかけたんですよ。どんな手を使っても,一向に快復する気配がなく,高熱が連日続いて,半死半生の状態でしたからね」と。人が味わう一日分の苦痛を,一秒一秒に濃縮して休むことなく味わわされているような毎日でした。生きているのか死んでいるのか自分でもわからない状態にありながら,かといって意識が失せているわけでもない。意識はあるのだが,あまりの苦しさの連続に,耐え忍ぶ力はとっくに限界に来ていた,そんな日々の連続でした。

 息をして生きているというそのことが,私には耐えがたく苦しいことでした。身を縮め,歯を食いしばって,一瞬一瞬の苦しさを,ただただ必死に耐えていたのです。

 それがちょうど3年前の今の時期でした。1月下旬から3月初めにかけての約40日間,生と死の境を彷徨い続けました。キリストが悪魔の誘惑に悩まされつつ荒れ野で断食した40日間にたとえて,やっと出口が見えてきたころの私に,見舞いに来てくださった牧師さんが祈り,励ましてくださったものでした。

 最悪のあの時期をはさんだ,前後合わせて2年間ほどが,私の闘病生活だったわけですが,この時節が来ると,どうしても3年前のあの日々を思い出してしまいます。そして,生かされている幸せに涙するのです。

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 いつごろからか定かではないのですが,自然を視覚でとらえるだけではもったいない気がして,嗅覚で,味覚で,触覚で,自然の花々や木々をとらえる習慣ができています。散歩しながら,今の時期だと,梅やスイセンや菜の花や,その他いろいろな花や木々を,触り,匂いをかぎ,ときには口に含んで味わってみるのです。梅のかすかな甘酸っぱい香りは,胸一杯吸うと,天に昇るような心地にさせてくれます。スイセンの芳香は王家のものです。菜の花の臭みのある独特の香りは,私の生命が自然の生命と連続した,共通の一つの世界の中にあることを,瞬時にして体現させてくれる不思議な力をもっています。

 風もまた不思議な生き物です。実在のない実在。日の隙間を貫いて走り去る。虚の中の虚。風には今がないのです。頬をかすめて吹きすぎ,その感触を楽しもうとしたときには,すでにそれはない。あるのはただ過去の残映と,未来からのいたずらな含み笑いだけ。だけど風は,私のすべてをつかみ,すべてを知って,届かぬ彼方に今あるのです。

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