世界規模では,同時多発テロとそれに続く,Mr.Bushによる世界の政治指導者への踏み絵,さらには引き続くアフガニスタン戦争。 「戦争・科学・・繁栄・民族自立」の20世紀から,いかなる21世紀が生み出されようとしているのか,その行く手を占い,象徴するような激動の新世紀1年目であったように思います。 ただ,激動とはいえ,よくよく冷静に考えてみれば,アフガニスタンでの戦争は,アメリカの力瘤ばかりが目立ち,のれんに腕押しの感,なきにしもあらずです。確かにタリバン政権は崩壊しました。しかし,同時テロによる尊い命の犠牲を上回る罪なき人々の死がそれと引き替えになり,にもかかわらず,Mr.Bushの当初の目的はまったく果たされないままの状況にあります。 誰が勝ち,誰が負けたのか,一向に結果の見えない戦いにいらいらしているMr.Bushの深層心理が見えてくるような,現在の状況です。そもそもアフガニスタンの政権交代などが,Mr.Bushの目的でなかったのは明らかです。過去において,政治的,軍事的駆け引きの中で,アメリカはタリバンを支持したことすらあったのですから。タリバン打倒で「めでたし,めでたし」と幕が引かれそうになっている現状に,Mr.Bushは最高度の苛立ちを覚えていることでしょう。 彼の目的はただ一つ。「憎っくきオサマ・ビンラディンめに赤っ恥をかかせてやれ」。これだけのはずです。この一点からあふれ出したビッグバンのごとき力の奔流が,危険な戦争を生みだしたのです。「テロ撲滅」という大義名分がそれを飾り立て,さらには踏み絵を恐れる指導者,ないしはそれを利用する腹をもった指導者が,雪崩のようにその中に流れ込んでいった,その結果がアフガニスタン戦争でした。 とはいえ,不思議なことに,いや,冷静に考えれば当然のことでしょうが,世界を巻き込んだ戦争になる感すらあったこの戦争において,実際に血を流して戦ったのは,アフガニスタン国内の軍隊だけでした(義勇兵もいましたが)。アメリカは,自らは血を流さないですむ「空爆」という卑劣な手段で加わっているにすぎません。地上軍もいるにはいるようですが,戦いの前面には出てきません。イギリスその他の軍隊にいたっては,かけ声だけは意気盛んですが,実際には,タリバン後の治安維持程度の参戦だけです。 こう考えてくると,この戦争の本質が徐々に見えてきます。少なくともタリバンによるアフガニスタン国内での宗教的・人道的な抑圧から,アフガニスタン国民を救い出す,といった点にこの戦争の目的があったわけではありません。はっきり言って,そんなことはMr.Bushにはどうでもよいことでした(もし同時多発テロがなかったならば,彼はまったくこの問題に無関心であり続けたことでしょう)。しかし,結果はこの方向に流れました。Mr.Bushの思惑はずれの第一です。 第二の思惑はずれは,「テロ」の定義が不鮮明なまま,一時的興奮から泥縄式に作り上げた「反テロ統一戦線」のほころびです。戦争が少し収まってくれば,各国の思惑の違いが露呈してくるのは当然です。イスラエルは「反テロ」の流れを利用して,パレスチナへの強硬姿勢を正当化しています。それもこれも,子供じみた仕返しという発想を原点にもつMr.Bushのつけ刃の結果です。 ほころびの最大は,アフガニスタン新政権がいつまでもアメリカの空爆等による軍事的介入を支持しない,という点です。アメリカは振り上げた刀の下ろしどころを失いつつあります。新政権ができて,それまでの抑圧から解放されれば,もはやアフガニスタン国民にとって,ビンラディン氏を捕まえるなどという問題は,Mr.Bushのたわごと以上の何物でもなくなるのです。 ましてや,「ビンラディン捕獲」を名目に,戦争をさらに周辺国にまで拡大するとなれば,それはもはやアメリカの時代がかった妄想としか映らなくなることでしょう。とうてい国際的支持は得られないはずです。 となれば,Mr.Bushは,振り上げた刀をいったんは引き下ろすか,あるいは振り上げた構えだけを見せて,「5年かかろうが,10年かかろうが,ビンラディンを捕まえる」との豪語のもと,その実は,細々としたスパイ活動とゲリラ的テロを組織するしかなくなるでしょう。 ビンラディン氏のやせ細ったビデオ映像もさることながら,満面に自信の笑みを浮かべたMr.Bushの内面の焦燥の方が,私には哀れに思われます。大山鳴動してネズミ一匹獲れず,…。 |
創立当初と今とで大きく変化したことの一つに、女性の社会的進出があります。女性の社会的な仕事といえば、昔はせいぜい事務処理かお茶くみ、ないしは手仕事的な生産労働にすぎなかったのが、今では職種も広がり、その中で果たす役割もずいぶん向上してきました。その結果、結婚と仕事を両立させることが珍しいことではなくなり、中には結婚を望まない女性や、シングルマザーとして仕事と育児だけに精を出す女性も増えています。 必然、女性にとっての学びの目的と水準は、花嫁修業的な一般教養レベルから、人生を切り開いてゆくことができるだけの高度な専門性を必要とするものに変化してきました。女性の最終学歴も当然上昇してきました。逆に言えば、そのような高度な教育を受けた女性に対しては、卒業して数年で家庭の主婦に納まるといった不経済を、社会も本人も許さなくなってきたわけです。 創立50年の節目を期して、こうした時代の流れに対応した方向転換を計るのは、私の感覚では至極当然のことと映ります。評価の高い大学への進学を望む子どもたちが、男子と同じ数だけ女子の中にもいるということが、疑いなく期待できる状況になりつつあるわけですから、それをベースにしない学校教育は片肺飛行のように失速する危険性をすらもつことになりそうです。 ということで、18,19日、学校としては50年間で初めての体験となる女子の受験生をも交えた入学試験を行いました。 入学試験の朝、駐車場から校舎に向けて校庭を歩いていた私の目に、女子生徒の群れがいきなり飛び込んできたとき、正直言って少々戸惑いました。カルチャーショックとでもいうべき戸惑いでした。頭では容認していたつもりでも、いざ現実となってみると、来るべきものがついに来たのかという思いでした。 話は変わりますが、長く教師をしていて、ときどき無性に悲しくなることがあります。柱に頭をぶっつけて泣きたいくらいに悲しくなることがあります。「ときどき」というのは実は外向きの虚飾で、本当をいうと一瞬として悲しくないときがないのです。 何が悲しいのかといいますと、十年一日のごとく同じところに留まったまま進歩のない自分が悲しいのです。教師というのは、眼前を通り過ぎていく無数の生徒たちを迎えては見送る、停滞した存在です。ひととき自分を指差し眺めては去っていく見物人どもを、檻の中から悲しげな瞳で見つめている動物園の虎のようなものです。 今日、その悲しみを端的に表現してくれる文章に出会いました。山本有三随筆集にあったものです。引用させていただきます。 その昔、東国のある住職が、門徒を連れて京に上った。京の手前の追分け道のところへゆくと、大きな棒ぐいが立っていた。それを見ると、門徒の一人が尋ねた。こういう話です。何とも悲しい教師という職。 |