キンモクセイの二度咲き
2001年10月31日
 キンモクセイの甘い香りが空間にみなぎっています。金色の花びらが葉っぱの間から吹きこぼれんばかりです。

 私の記憶では,キンモクセイが咲き始めるのは例年9月末から。そして,10月の第一週あたりがその盛り。松山で言えば,秋祭りの時期に重なります。今年もその時期,たしかにキンモクセイは盛んに香り,花をつけていました。

 ところが盛りをとっくに過ぎたはずの今,再びキンモクセイが勢いを盛り返しています。10月初旬の恥じらいがちなあのほのかな香りから,今は一転,むせかえるような強い香りを放って,彼らは町々にあふれています。

 キンモクセイというのは,毎年こうだったのでしょうか。不思議です。思い返すと昨年も,キンモクセイは二度咲きをしたように思います。日記をめくると,1995年もそうでした。定例の現象というわけではなく,年々の気象の具合がそうさせるのだと思います。

 彼岸花の律儀さは,咲き始める時期を数日と違えることはないのですが,キンモクセイはむらっけの性分のようです。

 ふと思ったのですが,このむらっけをキンモクセイのルーズさに結びつけるのは酷なのかもしれません。たまたまキンモクセイの咲く時期が,秋から冬に向かう気象の変化の停留点に当たっているのかもしれません。変化の微分係数が一瞬ゼロになるとき,それがキンモクセイの咲く時期だとしたら,咲き出す時期の決定に迷う姿や,その末の二度咲き,狂い咲き現象に,妥当な解釈がつきます。

 不運な時期に咲くキンモクセイと違い,彼岸花は,夏の余波から静謐の秋へと季節が慌ただしくなだれ落ちていくときに咲きます。花開くべきタイミングを尖鋭に感知できる環境下に開化を迎える,それが彼岸花の律儀の実体なのかもしれません。

 仮説とも呼べない,単なる私の思いつき,断想のくだりでした。チョン,チョン。

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 それはそうと,久しぶりにゴルバチョフの名前を目にしました。彼がいまも政治にかかわっているのか,それとも悠々自適の日々を送っているのか,それは知りません。アフガニスタン問題に対する彼のコメントが,新聞に載っていました。

 「アフガニスタンに関する私の経験から、米国に一刻も早くアフガンから退去するよう忠告する」。

 さらにブッシュ大統領に,「戦争はテロに対するものであって,アフガニスタンの民間人に対するものではない」ことを念頭に置くよう求め、「アフガンでの戦争は狂気の沙汰。何十年も続く可能性がある」などと指摘したとのこと。

 事実,最近のマスコミの報道を見ると,アメリカのアフガン攻撃が,当初予想されていたような短期決戦による電撃的な勝利をもたらすものではなくなりつつあるように思われます。泥沼化の様相を徐々に示しつつあるのが実状のようです。

 パキスタンで1万人の義勇兵がタリバン支援に立ち上がったとも言います。タリバンはそれを,「今は必要ないから待機していてくれ」と断る余裕すら示しています。アメリカの思惑通りにことが運んでいないことを匂わせる事実です。

 仕返しという子供じみた発想に端を発した今回の戦争を,大人の目で冷静に見つめて抑制する政治家が今どうしても必要です。日本にそれを求めたいのですが,小泉政権にはとうてい無理です。

 人類はどこまで幼児化し,歴史を退行させるのでしょう。この戦争で利を得つつある人が誰なのか。それを考えれば,馬鹿げた破壊と殺戮,武器の大量消費に,「ノー」の声がわき上がってきても不思議はないと思うのですが…。 

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