2年間にわたる事実上の休職に続き,復職したとはいえ,どことなくぎこちない自分におどおどしつつ過ごしてきたこの一年。傍目にはいかにも不安げに映ったことでしょうが,私の内部はけっこう活気に満ちていました。 コツコツせっせと短歌を作ったこと,プログラミングに本腰を入れたこと,この二点だけでも,日々の暮らしの中にときめきと,寸暇を惜しむ心をもたらすに十分でした。 短歌の方はまだ,手帳に雑然たる言葉の藪が茂っているにすぎませんが,プログラミングの方は何とか一応の成果を得るところまでこぎ着けました。Vectorというソフトウエアの展示・即売HPに2つのソフトを載せています。坊ちゃんだよりの裏側にも,つい最近,Bochan System という,ソフトウエア工房のHPを作りました。よろしければ覗いてみてください。 春ですね。ふたたびめぐってきた春。「早春」という言葉が私は,その内実と響きの両面から好きです。この言葉を思い浮かべるたびに私の心は芯から引き締まって震えるのです。暖かさなど微塵もないはずの2月初旬,冷え切った水と空気にほんの一瞬温(ヌル)みが感じらたそのとき,それが私にとっての早春です。事実はまだこれからが寒さの本番というとき,寒風吹きすさぶ中にもふっと明るい日差しが降りかかり,よく見ると桜の枝がぷつっと赤い芽吹きの腫れ物をつけています。 そしてやがて,梅がぽつりぽつりと花びらを開き始め,殺伐とした冬の光景に彩りの波紋が広がり始めます。そうした「春は名のみ」の早春賦の時期,私は毎日散歩で春を楽しみました。 気づくともう今,梅の木に花びらはありません。桜とちがって梅は,花びらを落とすと再び元の裸木に戻ります。しかしよく見ると,裸は裸でも少し色づいています。みずみずしい薄緑の細い枝が伸び始めているのです。葉よりも先に枝が伸びるのです。 いま田園を埋め尽くしているのは,真っ黄色な菜の花です。田の畦や休閑地はまさに黄色の絨毯と化し,独特の臭みをともなったほの甘い香りが充満しています。 そして黄砂。今日も付近の山々は黄砂に霞み,山水画のような光景が広がっていました。夕刻の太陽の妖艶さ。黄砂の霞に落ちてゆく太陽は,光彩を失った,したたるどす黒い血液です。天空にくり抜かれた完膚無きまでに丸い穴です。そのかなたに太陽という実在がひかえているとはとても思えません。匠の手で狂いなくくり抜かれた深淵の穴,無です。 さてこうして,坊ちゃんだよりが再び店を開けました。これまで書き続けていた「老人たちの死」は,私の心を揺さぶったいくつかの事件の記録であったのですが,あまりに長い中断の間に,強烈な印象が少し薄れかけています。後日続きを書くこともあろうことを期待して,今はとりあえず中止にします。 |