スリッパとの遭遇
1998年9月2日
 関東から東北,北海道にかけての記録的な豪雨と,その被害状況をテレビ,新聞で見ていると,家や肉親を失った方々の悲しみを拝察すると同時に,日本の国土の延長線の長さに唖然とする。私の住む四国・愛媛県では,この間ほとんど雨らしい雨は降っていないのだから。

 この幾週間かほど日本が気象的に真っ二つに分断されたことは過去においても珍しいのではないか。真っ二つに分断されただけでなく,晴れの区域は晴れたまま,雨の区域は雨のままと,気象配置が幾日も固定されてしまった。本来,猫の目のように変わるところにこそ存在意義をもつはずの日々の天気が,こんなにも長く変動を見ないというのは,いかにも異常である。

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 4ヶ月ぶりに出勤した先日,職場の靴入れに私のスリッパとジョギングシューズがつい昨日まで使われていたかのような顔つきで収まっていたのも,私には異様かつ意外な驚きであった。私にとって,長い入院生活は,春と夏とを截然と断ち切る不連続線であった。死の淵からよみがえった感のある私にとっては,この世のすべてが新しい甦りを意味したし,そうあるべく期待された。

 だのに,登校するなり無意識にふたを開けた90番の番号をもつ私の靴箱には,あっけらかんとした顔でスリッパが収まっていた。あれはそう,4月18日の夕方だ。翌日から長く入院することになるとは夢にも思わず,いつものように靴と履き替えたスリッパを靴入れに差し入れた,そのときのままの姿で,真っ暗闇の中,それは私を待ち続けていた。少しゆがんで置いてしまう私の手の癖を,4ヶ月間,化石のように凍結して,それは時間の枠外に静止していた。

 蘇生した私の初出勤時のさりげない一瞬の出来事とはいえ,スリッパは私に強烈な衝撃をもたらした。

 「ソクラテスの弁明」の中で,死刑を宣告されたソクラテスが,「死は誰にとってもよくわからず,恐れるものではない。それよりも真実を探求する心を忘れることの方が恐い」といった意味のことを述べていたと思うのだが,私も,衰弱しきって死の淵に立たされたときには,そんな思いであった。そして,元気になって出勤したときの衝撃的なスリッパとの遭遇は,私にこの世界の真実を垣間見させてくれる契機となったようにも思われる。時間の不思議,生と死の不思議,連続と不連続の相対性,などなど。

 人間にとって,この自然界には,思索の材料は無限にちりばめられているものらしい。

創意は質だ、量ではない
1998年9月12日
 私が勤務している愛光学園は、今、生徒たちの楽園となっている。明日の文化祭に向けて、さまざまな催し物の準備に追われているのだ。普段は何の飾り気もない校内や各教室が、、何とも騒々しいバックミュージックと奇妙な演出の舞台と化し、私などにはなかなか理解しかねるエネルギーが各所に満ちあふれている。

 私は棋道部という囲碁・将棋のクラブの顧問をやっており、例年部員たちがなにがしかの創意と工夫で文化祭に参加している。ただ今年は,私がまるまる一学期間入院してしまったこともあってか、部のエネルギーに少々かげりが見え、文化祭準備にも手抜きの気味がある。

 小道具類は昨年のを流用。対局場に貼りつける懸賞詰め将棋の問題も、模造紙に書いた去年の将棋盤の枠をそのまま使うなど、新たな創造のほとんど見られないものになった。

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 でも、私は大いに満足している。その理由の一つは、準備に集まってくれた部員の数が予想以上に多かったこと。私は一学期間の空白によって部は事実上壊滅しているものと想像していた。事実、夏休み以後の部の日常活動はまさに少数精鋭。将来への広がりをまったく感じさせないものであった。

 ひょっとしたら部長と私とで泣きべそをかきながら細々と文化祭準備をしなければならないかと、そんな最悪の場面すら頭に浮かべていた。ところが、実際には、例年の半数以下とはいえ、十名ほどの部員が懸命に働いてくれ、それなりの創意を発揮した。

 満足の理由の第二は、その創意である。すぐ上に、「新たな創造がほとんど見られない」と書いたばかりではあるが、この言葉に矛盾はない。目に見える「物」という意味では、新規の創造は全くない。だがそれにもかかわらず、昨年の小道具をどこにどう飾るか、どうやって棋道部の一室をいかにも棋道部らしく見せるかといった、いわゆるソフトウエアの面では、彼らはよく創意を発揮した。

 創意の質と量は些細でも、私は彼らが頭を使い工夫する姿を見て、この上なくさわやかな思いをした。創意の大小なんて重要ではないのだ。そこに創意があるのかないのか、大事なのはそれだけである。

 結果として、部室の前の廊下には、発泡スチロールで作った将棋の駒が天井から細い糸で所狭しとつり下げられた。例年になくいい雰囲気である。それぞれの部署の準備に追われながら慌ただしく通り抜ける生徒たちの中には、「おっ、すごいな」と声をかけて行く者もいる。こうした一言が部員の心の中にどれだけ大きな喜びをもたらすことか。仕上がりを見守っている私には彼らの心の中の高揚感が筒抜けである。

八方破れの創造性は驚異
1998年9月25日
 今年は来ない来ないと言われていた台風が、今頃になって立て続けにやってくる。そのせいで愛光学園の運動会は1週間あまりも延び延びになり、やっと昨日実施された。本来行われるはずであった先週の15日は、開始早々の本降りの雨にあえなく頓挫。昨日はその続きの種目からの競技となった。

 愛光学園の運動会は、高校3年生のアトラクションが人気である。ずいぶん長い伝統になっていて、毎年彼らは受験勉強の合間を縫って練習を重ね(といってもせいぜい10日間ほどだが)、運動会での発表をいい思い出としている。

 広い運動場を舞台にして、小コント風のどたばた劇や、ダンスなど。大人の目で見ると馬鹿げた自己満足にすぎず、訴える主題も芸術性も今ひとつ。やっている本人たちが白けた視線を浴びてひたすら騒いでいるだけ。そんな見方もある。

 しかし、それはあまりに醒めた見方。同世代の下級生の目には、そのエネルギーのすさまじさと八方破れな創造性は驚異であり、羨望の的である。同時に、日常性をうち破って何かをなし得る最上級生というものへのはるかな憧憬が、「やがては自分たちも」という意識に転化してゆく。「伝統」の形成である。「伝統」というのは案外、こうした瞬間のインパクトで点火されるもののようである。

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 秋祭りなどの伝統行事が代々引き継がれてゆくのも、同様の精神作用によるのであろう。最初は、子供時代に受ける圧倒的エネルギーの衝撃である。神輿の鉢合わせや巡行のときの勇壮な掛け声と怒濤のようなリズム。これが子供の心を恐怖に近い衝撃波で襲う。

 意味するものや文化性、芸術性などというものは、そこではもはや何の力にもなり得ない。すべてはエネルギーとリズムである。その濛々とした渦の中に虚心に巻き込まれたものだけが、深い郷愁の念を残像させる。それが伝統である。

 昨日、時折小雨の降る中で行われた運動会を見ていて、私はそんなことを考えた。
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