86歳の父の石鎚遭難
1998年8月23日
 春から夏にかけての長い入院生活に加えて,7月末には父が山で遭難するというアクシデントが発生し,体力の回復と精神面での平安を取り戻すのにずいぶん長い期間を要してしまった。

 学校の方はいよいよ新学期に向けて,昨日から高校1年の補習開始である。私にとっても昨日は4ヶ月ぶりの登校であった。事実上病欠状態になっていたホームページも,これを機に,今日から蘇生させることにする。

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 まず,父の遭難のことを簡単に記しておこう。父は86歳という高齢にもかかわらず,外見および体力面では歳より10歳以上若い。四国の最高峰であり,同時に西日本の最高峰でもある石鎚山には,これまで数え切れないほど登ってきた。この夏もいつものように出かけた。普段なら何人かの連れと一緒に登るのだが,今回は連れがなかったらしい。

 しかも,悪いことに,最近では人がほとんど歩かなくなったコースを選んでしまった。去年来たとき,笹が生い茂っていてそのコースを断念したのだという。今年は草が刈り取られて,いかにも人を招く様子だったものだから,ついついその危険なコースに入り込んでしまった。

 そこで崩落した崖から滑り落ちたのだ。下の谷底まで落ちていたら命は瞬時に絶たれていたはずである。ところが幸い,崖の途中に一本だけ横たわっていた朽ち木に引っかかり,一命を取り留めた。崖の中腹に鳥がとまるようにしてひっかかった父は,全身を強く打って動けないため,一昼夜,そのまま眠ることもできず木に止まっていた。

 翌日,決死の覚悟でその木を離れて崖を下り,谷底にたどり着いた。こうして救助を待ったのだが,発見されたのは,父にとっては遭難した4日目,捜索が始まってからだと3日目のことだった。その間,食料もなく,谷の水だけをたよりに生き延びた。

 私たち家族は,捜索が長引くに連れ,最悪のケースを想定せざるを得なくなっていた。九割がたあきらめつつ山の麓に待機していた私たちの所に発見の報が届いたのは,昼前だった。「見つかりました。元気ですよ」との知らせに,一瞬にして体の緊張が弛緩し,夢かうつつかわからないほど目の前がぼやけてしまった。第一報の電話を受けた私は,「ありがとうございました」と言いたいのだが,声がつまって言葉にならなかった。

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 生きては会えないとあきらめていた父が,こうして再び私たちの目の前に現れた。ヘリコプターにつり上げられ,病院に運ばれた。想像以上に元気だった。想像をはるかに越えた父の体力を,今更のように思い知らされた。

 父の救出が新聞やテレビで報道された翌日,一通の手紙が父宛に届いた。ある老人グループの代表かららしいのだが,「お前なんか老人の風上にも置けない。死ね,死ね」という,過激な内容である。私としては,父が悪いことをしたとは思わない。九十歳近い老人が山に登っていけないという法はない。老人は安気に庭いじりでもしておるべきだという通念が,人知れず体力を温存する努力を続けてきた老人までもを縛るものとは思わない。

 その手紙に特段の反論をする気はないのだが,老人が老人を「死ね」という極言をもって非難することに,異様な悲しみを感じざるを得なかった。
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