過去、現在、未来の区別は幻想にすぎない
1998年4月10日
 愛光学園は、あわただしく新学期に突入した。8日が入学式、9日が始業式、そして10日は実力試験。明日11日からは平常授業の開始である。振り返ってみると、私にとって結構長く充実した春休みだった。

 車の免許を取ったばかりの帰省中の娘に、助手席から実地の訓練をしてやれた。春への季節の移りゆきを心ゆくまで堪能することもできた。新しく書き始めていた原稿を仕上げることもできた。プログラミングにも熱中した。読書も、あまりはかばかしくはないもののある程度進捗した。

 家内と娘がタイを旅行していた間は、何と、自炊の訓練までやった。これまで私にできる手料理は、肉野菜炒め、卵焼き、それとみそ汁くらいのものだった。そのレパートリーがわずかながらも広がったのだ。焼きめしやハンバーグを作った。ほかにまだ何か作ったように思うのだが、不思議なことに思い出せない。

 フライパンを片手に持って中身をひっくり返す技術も、試みに練習してみた。これまで0点だったものが、20点程度にまで上達したように思う。些細なことでも、「やればできるじゃないか」という自信を得ることは、実に嬉しいものだし、大きな意味をもつものである。「成長」、「進歩」から遠のいていた私にとって、フライパン返しはえらく新鮮な喜びとなった。

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 時間の流れが一様でないことは、アインシュタインの天才的頭脳が、数学を手段として演繹的に導き出したものであるが、その理論が指し示す現象が地球上の実験によって目の前にまざまざと検証され始めたことには、驚きと感動を禁じ得ない。重力場が時間を遅らせることは、これまでのように宇宙空間の特異な場所での検証に待たなくても、地球表面のわずか数十メートルの高度差の2地点(つまりほんのわずか重力場に違いがある2地点)で時間の経過にズレが出てくることが、実験で確かめられた。

 こうしたことを考えていると、「過去、現在、未来」という我々が通常何の不思議もなく受け入れている概念が、物理的にはいかに根拠のないものであるかがわかってくる。宇宙空間という時空間に、まるで押し寄せてくる津波の最前線のような,「今」と呼ぶべき一様なラインを引くことはできないと思われる。時が一様に、過去から今へ、そして今から未来へと、流れていると考えることには無理がある。現に、「光」という、宇宙の根元的存在者にとっては、その内部に時間は流れていないと思われる。光が1万光年の距離を1万年かかって到達すると見るのは地球観測系からであって、光自体の観測系の中では1万光年の距離を時間ゼロで到達している。これは明白なことである。

 光速度にきわめて近い速さで飛ぶ粒子は、半減期数十秒の短寿命の粒子でありながら、何万光年も離れた場所から死に絶えもせず地球にやすやすと到達している。つまり、その粒子の座標系においては、何万光年もの距離を伝わる間に経過する時間は数十秒なのである。人間が仮にその粒子に乗って飛べば,うーんと背伸びをし,さて煙草でも吸おうかとポケットをまさぐってライターに火をつける,それだけの時間で彼は数万光年の彼方に到達しているのである。これはSFでも何でもない,現実の物理現象である。

 アインシュタインの言葉、「過去、現在、未来の区別は幻想にすぎない。だけどそれは頑強な幻想である」を、私はじっくりと味わってみたい。

潰瘍性大腸炎、深刻化の予兆
1998年4月18日
 愛光学園の新年度が始動して1週間になる。今年の私の担当は高校1年の数学。実は、昨年度1年間は私が愛光に勤めるようになって、最も気楽な年だった。クラス担任を免除されていたから。今年からは再び担任復活である。1年間だけとはいえ、楽な生活になじんだ身には、生徒を預かるクラス担任の仕事は結構きつい。

 早速、「腹が痛い」「熱がある」と、登校を渋る生徒が出てきた。担任の出番である。まず母親と話をし、家庭内の様子や中学時代(といっても同じ愛光学園だが)の様子を伺う。さらに旧担任にも話を聞く。その上で本人と面談。その結果、最初の数日を休んだだけであとは何とか登校できるようになった。危ない橋を渡っているには違いないが、ひとまず安堵の息をつく。

 一人が片づくともう一人、同じような事例が出てきた。やっぱり大忙しである。

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 今、体調はよくない。持病の腸の病気が出てきた。緩解期と激甚期を繰り返す病気で、持病を抱えた当初(10数年前)は、決まって冬の寒い時期に激甚期を迎えていた。それが徐々に治まって緩解期が長くなり、最近は数年に一度の激甚期ですむようになった。今度のは2年半振りである。

 立って仕事をするのが苦しい。暇さえあれば寝て過ごす。だから、家に帰るとすぐダウン。1ヶ月程度はこんな状態が続くのだろう。

 それにしても、春は着々と深まってゆく。この時期の解放感と安堵感はたとえようもない。再生の仕事に没頭している自然、その自然と身を一つにしている感覚は、生きている喜びそのものである。思わず深呼吸し、歓喜の歌を高々と歌い上げたい。身をさいなまれているときだけに、よけいにこの喜びは大きい。

 激甚期の最も激しいときには、いつも死と隣り合わせの自分を覚悟する。今回もそうだ。「ついにそのときがきたか」といつも思う。今回はさらに、遺言状を書いておこうと思い立った。こんなことはこれまでになかった。日常の暮らしに流されていると、人生の本質にかかわる話ができなくなる。だから、娘や家内に、普段は話題にすることのない僕の内面を書き残しておこう、そんな思いがふっとわき上がった。

 偶然ふっと頭に浮かぶことは、論理的必然性だけで判断したのでは何の帰結も得られないにしろ、必ず何かの予兆になっていると、私は信じる。その意味で、これまでまったく考えたこともなかった「遺言」という一言に、私は重大な決意を覚えざるを得ない。

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