現象とは無限階層構造の一断面
1998年3月2日
 「1月は行く、2月は逃げる」の言い習わし通り、あっと言う間に3月を迎えた。空気がぬるんできた。満開になった白梅・紅梅が色鮮やかな色彩で春を告げている。桜の固い枝からは、花芽がみずみずしく膨らんできた。自然の哲理の神秘に打たれる。

 自然の哲理の神秘?

 考えてみると、人間は現象を見て、神秘を感じ、心を躍らせる。現象とは、我々人間の五感を刺激するもののことだ。「精神現象」と呼ばれるものも、それが万人に認知されるためには、人の五感を通した感知と「語りかけ」を必要とする。言語も五感を抜きには語れない。

 原子や素粒子、あるいは大宇宙の構造といった我々の五感を直接は刺激することのできない「現象」も、実は、何らかの装置、何らかの理論(モデル)によって、我々の五感をくすぐるものに置換し直さない限り、我々はそれを知り味わうことはできない。我々は最終的には、「そこにあるがごときもの」しか、認知することができない。

 実在として「そこにある」かどうか、あるいはそもそも「ある」とはどういうことか、そうしたことを我々は最終的に知る立場にない。数式で語られる素粒子の、そもそもの実体が何なのか、物理学者といえどもおそらく知る人はいないであろう。その数式をモデルとすることで、当座発見されている諸事象を何とか無難に、近似的に説明できる。はっきりしているのはそれだけだろう。

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 私はよく次のようなことを考える。今はだいぶきめが細かくなったけれど、新聞の写真がある。目を凝らして見れば小さい点の集まりである。たとえば美女の写真を虫眼鏡で拡大して一部だけを見ると、そこには全体像とはまったく別の原理で成り立つ粒子世界がある。その拡大像をいくら眺めても、元の美女は浮かんでこない。あるいはさらに、その粒子世界を顕微鏡で拡大すれば、また別次元の構造体が浮き出てくるだろう。

 逆に、新聞紙1枚を1粒子とするような巨大な貼り絵を運動場に描くこともできる。それを遠くから見ればそこに描かれた絵は一つの構造体である。だけど新聞紙の写真に目を落としている人にその全体の貼り絵構造は見えない。こうしたことを次々と拡張すれば、太陽系を1粒子としたところの銀河構造体にも行きつく。さらにもっと上位の構造体もある。

 我々が何かを見て、それを「他と区別されたあるもの」と認知し、その構造美を鑑賞するなどは、そうした無限階層的構造の一つの段階を指した出来事だといわざるを得ない。その真の実体は、そうした認知現象からは計り知ることのできないものであろう。

 「現象」を「人間感覚から離れた真の客観的実在」と見ることくらい危険なことはない。我々ははっきり言って、色眼鏡で世界を見ているのだから。それは100%断言できることである。ただその色眼鏡は故意の歪曲のためにあるのではなく、人間存在の必然であり、宿命であるところのものである。

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 神父にこうしたことを伺ってみると、「世界をどう見るかは自由だが、最後は善をなすための世界観か、それを忘れた世界観かの問題です」ということだった。神父にとっては哲学も倫理である。

人の最後の沈殿物、最後の所有物
1998年3月8日
 愛光学園のグラウンドの隅に彼岸桜が数本植わっている。先日来、それらが色鮮やかなピンクの花を満面につけ、春の到来を言祝いでいる。今日は風が出て、早くも桜吹雪となった。ソメイヨシノに比べると花びらが小ぶりで、ミニチュアのような可憐な花吹雪である。

 ジョギングをしていると、あちこちで梅と彼岸桜の競演を見かける。冷たい雪解け水を連想させる「早春」はもうとっくに過ぎた。ときはすでに「春爛漫」である。冬をいろどった山茶花、早春をいろどった椿、こうした花たちはすでに盛りを過ぎた。厚ぼったくて威厳のあるこれら冬の花からバトンを受け、ほんのりとあったかい春の花が目を楽しませるようになった。

 重信川や小野川の河原では、名もない草が鮮やかな白や黄色の花を咲かせ、見渡す限り春の彩りの絨毯である。枯れ草色だった土手も、いつの間にやら草々の緑が萌え上がり、みずみずしい生命力が太陽を恋い焦がれている。

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 さて、人間はどうか。若者にとっては卒業、入学、就職のシーズン。未来を(無知故に)バラ色に染め上げた青年たちが、わが世の春を謳歌して、跋扈し始める季節である。もっとも、私を含め誰もがみんな、この同じ道を通ってトウの立った大人になったのだが…。

 春のバラ色や初夏の新緑が、やがて真夏の濃い緑に変わり、さらにはしっとりと落ち着いた秋の紅葉に変化するように、人間の希望溢れるバラ色も、ほどなく、ある一定の落ち着きに向かうならいである。つまり、人というのは、いやでもとうが立ち、みずみずしさを失っていくのだ。

 就職のシーズンは同時に、退職のシーズンでもある。愛光学園でも、30数年を勤め上げた教師が退職される。退職時には例外なく誰の口からも、「過ぎてみればあっと言う間の30数年でした」の言葉が漏れる。「この学校に勤めるようになった当初は、はるか彼方、視界の届きようもない先に霞んでいた定年退職のときが、唖然とするような速さで眼前に迫ってきました」と。

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 人の価値は何によって決まるのか。退職によって、それまで勲章としてきた肩書きが取り払われる時を迎えると、「さてわが価値は?」と、誰もが考えるのではなかろうか。退職の挨拶では語られることはないのかもしれないが、退職の夜、一人もの思いに耽ったとき、休むことを知らずひた走ってきた青壮年期が自分にどれだけの真の価値を付加したのかと、感慨と慚愧の入り交じった気持ちで、誰もが振り返るのではなかろうか。

 肩書きは実は、人が真の価値を培い収穫するのにはマイナスの効果しか発揮しないと、私は常々考えている。裸で生まれて、やがてまた裸で死ぬときに、天国に持ってゆけるものは肩書きからは得られない。社会的地位からも得られない。自由をどれだけわがものとし得たか、それがその人の最後の沈殿物、最後の所有物を創り出すはずである。

 そう私は信念している。

「無」と「有」の連結
1998年3月12日
 空気がぬるんできた。夕暮れ時の土手のジョギングで,軍手がいらない。風に向かって走っているのに,風を感じない。冬の間はまるで氷のように鋭角に肌を刺した風が,いつの間にか質量を失った。軽くなり,透明になった。

 風が体を包み込み,そのまま内部を透けてゆく。透明になったのは風ばかりでない。我が身そのものが透明である。まるで白魚のよう。春は身を宇宙に合一させるのか。

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 量子論と相対性理論が20世紀を吹き抜けた。吹き抜けつつそれは,当初は見えなかった本性を露わにしてきた。アインシュタインやボーアが抱いたイメージも,今やまた新しいペンキで塗り替えられようとしている。

 一番の変化は,時空のとらえ方だろうか。アインシュタインの天才的ひらめきが,ニュートンの絶対時間。絶対空間の虚像を転覆させたとはいえ,アインシュタインにもボーアにもまだ,ニュートンの影が張り付いていた。素粒子を実在とし,時空構造をそれを入れる入れ物と見る見方がその影である。

 今はそうした古典的視点は切り崩されている。時間や空間は,実在物が飛び交う世界のバックグラウンドではなく,それ自体が物理的実体であるとみなされるようになった。素粒子が生成・消滅を繰り返すように,時間や空間も生成し,消滅する。ビッグバンによって宇宙が作られるより前がどうなっていたのかと,私を含め誰もが一度は抱く素直な疑問に,「時間はビッグバンによって創り出された実体なのだから,『その前』という時間は実在しない」と,今の物理学は答えているようである。

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 そんなことを考えていると,「無」こそが世界の真の姿ではないかと,恐怖とともに思えてくる。と同時に,「世界がたしかに存在している」ことをも私は痛切に感じる。その実在感覚の決定的要因は,そんなことを考えているこの自分が今ここにいるということである。この「わが実在」を非現実と考えることは難しい。

 この絶対確定的に存在していると思われる自分の存在と,かつて絶対的に「無」だった宇宙(そこには時間も空間も物自体も一切合切すべてがなかった)との間に折り合いを見つけようとするとき,いつでも私はとてつもない恐怖に打ちのめされる。「時間も空間も何もない」という状態を思い浮かべる恐怖からはいつしか解放された。だけど,その「無」と今の自分という「有」との連結をはかる恐怖にはまだ勝てない。

時間の相対性のなぞ
1998年3月19日
 愛光学園は16日から春休みに入った。約3週間、冬休みとほぼ同じ長さの休暇だ。

 この3月16日という日は、私にとって奇妙に春の暖かさを象徴する日となっている。うんと昔、中学3年を終えようとしていたこの日、昔もやはりこの日が春休みの初日だったのだが、私は友人7,8人と一緒に、自転車で小旅行に出かけた。弁当を持って朝早く集合し、瀬戸内海の海を見ながら今治方面に向かった。潮風がすがすがしい。

 途中、景色のいい砂浜があると、自転車を止めて海を眺め、相撲やキャッチボールを楽しんだ。そしてまた、自転車をこぐ。こうして高縄半島西岸をぐんぐん北に進んだ。私たちにとってはまったく未知の世界の旅であった。

 そのときのさわやかな潮の香りと暖かい春の日差しは、いまだに3月16日を特別な日として私の脳裏に強く焼きつけている。

 3月16日が寒い日であることを私は許さない。私の意識の中では、3月16日は永遠に暖かな春の陽気の一日でなければならないのだ。幸い今年もそうだった。

 春休みになって3日が過ぎた。採点その他の事務処理は初日に終え、いくつか書きかけたままになっていた原稿を書き終え、発送し、昨日は久しぶりにのんびりと読書と昼寝で過ごすことができた。

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 「時間について」(ポール・デイヴィス)という本を読んでいる。アインシュタインの特殊相対性理論が示す「時間の伸び縮み」の意味を、この本で初めて正確に認識できた気がする。

 時間の相対性に対する潜在的な批判が、つい最近まで、物理学者の中からさえあったという。私もときに疑問を抱き続けてきた観点からの批判である。つまり、ある座標系Aから観察した場合、それに対して運動している系Bの時間経過が遅くなる。これはアインシュタインの示すところである。ところがそのとき、視点を変えて系Bから観察すると、今度は系Aが運動していることになり、系Aの方が時間の経過が遅くなるはずである。これは明らかに矛盾である。

 この一見矛盾と考えられる現象に対して、この本が「そうではない(つまり,矛盾は宿っていない)」ときちんと種を証してくれている。実はその種明かしは、アインシュタイン自身がすでに述べていたことらしい。地球を超高速で飛び出した宇宙船に乗っていた人が20年後に地球に帰還したときには、地球時間の20年がその人にとっては12年ということにもなりうる。その逆は起こらない。その種明かしが述べられている。私の長年の疑問に見事に答えてくれている。

 その本にはまた、時間の遅れを強引に計時した話も載っている。最近の原子時計ではナノ秒単位で時間を計れる。それを利用して、飛行機に原子時計を乗せて計時し、現実にアインシュタインの計算通りの時間の遅れがあることを証明したのだ。有無を言わせぬ証明である。喝采を送りたい。

吉備池廃寺は百済大寺であった
1998年3月26日
 いよいよ季節は春への移ろいを濃くしてきた。ソメイヨシノが開きかけている。早咲きの桜はもうとっくに葉桜である。

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 吉備池廃寺が百済大寺であったことがほぼ確定したと,昨日の新聞で見た。写真で見ると,池の堤防に奇妙な直角の出っ張りが二ヶ所あり,それが塔と金堂の基壇跡だという。後世の人たちも,突き固められた基壇跡の高まりを,それとは知らず,自然の地形に生かさざるを得なかったのだ。

 吉備池に金堂の基壇が発見され,それが巨大な廃寺跡であったことがわかったのは,ちょうど1年前のこの時期だったように記憶する。「吉備池廃寺」と名づけられたのはそのときである。それから1年かけた調査で,塔の基壇や回廊跡が発見され,出土した瓦の年代や伽藍配置,回廊の規模などから,百済大寺とほぼ断定されたのである。

 発掘後のこの1年間,それを百済大寺だと見る見方に,否定的な見解がたくさん出ていた。邪馬台国論争に象徴されるように,歴史の世界ではどんな場合でも決定的な証明は非常に難しく,そのため,一つの見解をまるで信仰のように崇め奉る人たちを大勢生む土壌をもっている。自分の見解にとっていかなる否定的な証拠があがっても,その人たちは絶対に自分を変えることをせず,ますますか細くなる糸にしがみつくための論点探しに汲々とする。この姿勢は見ていて哀れなほどである。

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 自然科学者はそんなことはしない。正しいことは正しいと認めることにやぶさかでない。アインシュタインが量子力学の正しさを認めることを長く拒んだ話は有名だが,彼とて,親友であり論敵でもあったボーアとの論争を,ただ意固地に繰り広げたわけではない。論争の中で,量子力学支持派が見ることのできなかった種々の問題点を敏感に探り出し,それを提起して,結果的には論争に破れて量子力学を認めざるをえなかったとはいえ,量子力学に分厚い肉付けをするきっかけを与える功績を担ったのである。

 それに比べると,素人目にそう映るだけかもしれないけれど,歴史学者の偏執には異様なものを感じることがある。自然科学的手法と,人文科学的手法とが入り乱れて格闘している世界だからこその現象なのだろうか。

非主流を貫くのもいい
1998年3月29日
 先日から我が家は私一人である。帰省していた長女が家内と一緒にタイに旅行に出かけ、障害者の次女は私一人では面倒見切れないため、この間だけ短期入院となり、4匹いる犬のうち一番大きなリョウ(ラブラドール)は、これまた訓練士の家に預かってもらい、今私と暮らしているのは世話の簡単な3匹の中・小型犬だけである。

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 夕方、犬を連れて近くの重信川の土手に出かけた。この土手は私のメインのジョギングコースであり、自然に抱かれて時を忘れることのできる最愛の場所、私の精神そのものと言っても大仰でない場所である。

 私がよく走るコースの一部が最近改修され、ずいぶん立派になった土手の上に、約1キロの細長い芝生敷きの公園ができた。犬を走らせるには絶好の場所で、毎日のように出かけては、犬とジョギングを楽しむ。

 改修が済んだあと、そこに桜の若木が植えられた。いや、木が植えられたのは知っていたが、それが桜だとは気づかなかった。長い土手の上に何百本もの若木である。それが花をつけた。桜だ。花を見て、桜だったと気がついた。

 見事な紅、その木たちが生まれて初めてつけた花だ。初々しくて瑞々しい。誇らしげでもあり、羞恥心をはらんでいるようでもある。まだまだ小さい木だから、花びらはそんなに多くない。空が透けて見える。しかし、それだけに一つ一つの花びらが新鮮に息づいていて、春の光を存分に浴びている。

 子供の頃、母が飾ってくれた雛壇を思い出した。南に面し、磨りガラスの窓から春の光がいっぱいに射し込む部屋だった。飾りつけた桜の何とも柔らかな薄紅が子供の心に「春」の印象を焼きつけた。その思いが、今日、初々しい桜を見てよみがえった。

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 また、よく見ると、ほとんどの桜がはかったように一斉に花開いた中で、幾本か、裸木のままのがいる。ピンク色に染まった木々に取り囲まれて、裸の梢を空に突き立てている姿は、異様でもあり、悲しげでもあり、逆に美しくもある。孤高の美が見える。

 桜の世界にも、個性があっていいではないか。並みから外れるのがいてもいいではないか。主流に呑まれず、非主流を貫くのがいてもいいではないか。何だか妙に、可憐で、けなげで、いとおしくなった。花咲いている桜よりも好きになった。

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