それまで自分を乗せて進んできた古い年が、その瞬間から過去のものとして置き去りにされ、しかもそれが単に川向こうに置き去りにされたといった単純なものではなく、この世界から永劫に消えてなくなったという厳粛な事実。その事実を、私を取り巻く空間の微妙な緊張感から読みとったときのすさまじい恐怖は、青年だった頃の私には耐えられない逼迫感をともなっていた。 時間の神秘と、「無」の実在の直覚。これを最も峻厳に味わうのが、大晦日の午後12時であった。 今回はどうであったろう。40代最後の大晦日であり、新年であったわりには、感慨が他人事であった。通り一遍の新年しか迎えられなかった。例年なら、除夜の鐘を遠くに聞きながら、一人机に向かって思いに耽り、日記を書くのが常であった。今年はそうではなかった。 何をやっていたんだろう。家内や娘が階下でテレビを見ていたとき、私はたしかに机に向かっていた。一人だった。そう、思い出した。プログラミングに熱中していて、気がついたらすでに新年に入ってしまっていたのだ。思いに耽る間もなく、すでに我が身は古い年を捨てていたのだ。 「知識データベース」と仮に名づけているソフトの細部を詰めているうちに、年が明けてしまったのだ。 私は一年に2,3ヶ月、プログラミングに熱中するくせがある。ふっと思い立ってやり始めると、まさに寝食を忘れてしまう。その間、頭は完全に散文型である。自己を見つめて思いにひたったり、読書を通じて別世界に遊ぶといったことは、その間だけは私から遠のいてしまう。 正月をまたがった期間、それが続いた。昨日まで続いた。やっと昨日、細部のバグを除去し、一応の完成を見た。普段なら自分が使うためだけのソフトだからと、そんなに細部のバグや使い勝手の悪さを気にすることはないのだが、今回のは場合によって、フリーウエアないしはシェアウエアとして人に使ってもらうことを念頭においていた。だからいつもよりも余計細部に気を使った。 自分としては自信作である。文章と画像をセットにして総合管理できるデータベースソフトである。一応の完成を見てほっとし、やっといつもの自分が戻ってきた。長い期間、頭の半分だけで仕事をしてきた。 自然を味わい、その神秘を探り、同じ目で自分の内部を見つめる。これが本来の私だ。しびれていた部分が元に戻る快感が、いま私を包んでいる。冬休みは終わった。さあ、新しい精神生活を始めよう。 |
昨日はことさら寒かった。しかも暗かった。雨だった。いやな初日の幕開けであった。 朝の7時は暗いのだ。この事実に気づいたのはもう古い。冬至を過ぎてからも夜明けはまだまだ遅くなる。冬至の朝7時はこんなに暗くはなかった。「冬至とは、夜が一番長いとき」とかつて習ったはず。だのに、冬至を過ぎてもなお夜明けはずんずん遅くなる! この矛盾に気づいたのはずいぶん昔のことだ。 よく見ると、その分、夕暮れが急速に後ろに後退してゆく。冬至の頃は、夕方5時にはもう暗い。だのに今は、5時といえば十分昼の明かるさを残している。そういえば、どの本を見ても「冬至とは、夜明けが一番遅いとき」とは書かれていない。用心深く「夜の長さが一番長い」とだけ書かれている。 これが何を意味するのか、本気で考えてみたのは10年くらい前だったか。私の推論が正しいとすれば、それは地球の公転軌道が楕円であることに起因する。ケプラーの第2法則が示すように、地球が太陽に近づいたときには公転角速度が大きくなる。自転速度に変化はないから、公転角速度が大きくなれば、そのぶん一日の長さ(夜明けから翌日の夜明けまで)が長くなる。理の当然である。 これだ! 今、少なくとも私が生を受けている今、地球の楕円軌道は、北半球の冬場に地球が太陽に近づく軌道となっているはずだ(確かめてはいないが、演繹的推論からそのはずである)。そのため、1日が24時間ではなく、もう少し長い。長い分だけ、夜明けも日の暮れも後ろにずれてゆくのである。夜はやっぱり冬至のときが一番長いのである。にもかかわらず、夜明けはさらに後ろに後退してゆく。理由はこれである。 つけ加えれば、夏至の頃には地球は太陽から遠いから現象は逆になる。夏至の頃は一日が短いのだ。だから、夜明けは夏至を過ぎてからもますます早まり、その分、日の暮れは輪をかけて早くなる。夏至の頃には、夜の8時を過ぎてもまだ明かりがほんのり残っているが、そんな現象は数日のこと。すぐに夕闇が襲うようになる。 この現象は、少なくとも私がこれに気づいて以来2,30年は変化していない。だけど、公転軌道の歳差運動によって徐々にずれてゆくのはたしかであろう。ある時間スケールを周期として、冬至と夏至のこうした現象は逆転しているはずである。 以上が、10年ばかり前に私が得た結論である。正否は知らない。間違ってたら、誰か教えて下さい。 |
行ったのは家から車で5分もかからないところにあるレストラン。ときどき気分転換に出かける店だ。この激しい風雨だから客はいないだろうと思ったのだが、案に相違して、店は満杯。ごった返していた。正月明けの日曜日だからか。普段は日曜日でも、この店がこんなに混むことはない。店のオーナーもびっくり顔である。 そういえば、正月2日にも別の和風レストランに行った。そこも入り口で待つ人が出るほどの盛況であった。用意した材料があっという間に底をつき、昼過ぎには店を閉めようと思うと、オーナーがあきれ顔で話していた。「正月早々こんなにお客が来るとは思いもよらなかった」と、朴訥とした正直者のオーナーは、半分照れたような笑顔で話した。 こういうのを見ていると、不況ってどこにあるんだろうと思ってしまう。 このところの不況は、庶民の不況ではない。得体の知れない不況だ。濡れ手に泡でもうけていた連中が、いわゆるバブルがはじけたという現象の余波にのたうち回っている。その2次的あおりが庶民の暮らしを不安に陥れている。 だから、あらゆる出来事が庶民には実に不透明だ。庶民のあずかり知らぬところで生じた火事は、庶民のあずかり知らぬところで消してしまうのが筋。儲けるときにはその儲けを庶民に裾分けする気などない連中が、どうにもならなくなった今、庶民の台所から一律いくらで義捐金を出してくれと叫んでいる。そんな印象すら受ける。 本当に不況なんだろうかと、疑心暗鬼に陥ることも多い。不況を口実に、誰かがどこかにため込んでいるのではと、そんな気にすらなる。ほとぼりが冷めて皆の意気が消沈した頃に、やおら立ち上がって経済界を独占する。そんなことをもくろむ影の実力者がいるのでは? と、そんなことすら考える。 経済ど素人の偏見でしょうが…。 |
今回の降りようはおそらくあの比ではないのだろう。 娘が神奈川におり、成人となった。だのに成人式には出ないで、春休みの海外旅行のためにアルバイトをするのだといっていた。この天気を押して振り袖で出席する新成人をテレビで見ていると、娘がちょっとかわいそうになった。 ただ、出席率が低かったと聞くと、今度は少し気持ちが安まる。親心の微妙な綾だ。 松山は雨。昨夜は猛烈な風をともなった。季節はずれの低気圧が通過したのだ。この低気圧が今日、関東に雪をもたらしたらしい。 大雪というと、暖冬予想に反する現象のようにも思えるが、どうやらそうではないらしい。逆に暖冬を象徴する現象だという。大陸の高気圧の張り出しが弱いのだ。例年なら、この大陸高気圧によって、今頃の日本(太平洋側)は晴れて寒いはず。ところがそれが弱いものだから、まるで春先のように太平洋の低気圧が日本付近を通過するのだ。太平洋から大量に供給される水蒸気が上空で冷やされて大雪をもたらすことになる。 四国に住んでいると、太平洋のなま暖かくて湿っぽい空気と、大陸からやってきた乾ききった寒気とを、皮膚ではっきりと識別することができるようになる。今回のは明らかに太平洋の臭いがする。 雨で犬に散歩をさせてやれず、勝手に庭を走らせておく。その間、人間は家で逼塞していた。虚子の俳句を味わった。作品を通して、百年という時の経過が日本の自然や風俗を変えてしまったことを痛感した。だが半面、生をもつ人間の一瞬一瞬の感性には何の変化もないことを知り、信じられないような嬉しさを味わいもした。 |
監督をしながら、佐藤春夫の「田園の憂鬱」を読んだ。詩人の文章である。自然の微妙な綾が感性豊かに描かれている。百年前の、武蔵野はずれの田園風景。 茅葺き屋根の古びた家を、「目眩しいそわそわした夏の朝の光の中で、鈍色にどっしりと或る落ち着きをもって光っている」と形容できる主体に、私ははるかなあこがれを感じ、同時にこの百年の文明の毒を忌まわしく感じた。 人間は自然に対してとどまることなくオブラートをかぶせ続け、薄皮で塗り込め、自然とのなまの接触を忌避する暮らしをシステム化してきた。そのシステムを文明と呼び、都市化と呼び、「便利で機能的」だとありがたがるのである。 人はこうして自らを人造化し、人以外の自然物を「汚れ」と感じる感性を養ってきた。かつては、裸の尻を地面にぺたりとつけて座り込み、火を囲んで肉を手づかみにほうばる暮らしを続けてきた人間である。岩影で星の輝きを仰ぎ見つつ眠った人間である。 ふと思った。今自分が飲もうとしている水は、長い地球史の中で逃げも隠れもせず、生命を宿し続けてきた水だと。この同じ水、同じ水分子を、何千年、何万年、何億年の昔の生命が、我々と同様、喉を潤し、命をはぐくむのに使ってきたのだと。 |
都会生活に倦み疲れた主人公(二十歳代半ばの佐藤春夫自身)が、元女優の妻と犬2匹と猫1匹とを連れて東京郊外の田舎に引っ越すところから始まる。村人の生活にとけ込むでもなく、かといってまったくの無縁をつらぬくわけでもなく、ほどほどの交わりを保ちながら、何一つ仕事をせず、ぶらぶらと不思議な精神世界をさまよう。 妻は彼に同情し、理解を示しつつも、意識の半ばは現実的な東京暮らしの方を向いている。 犬と猫のみが、狂気と紙一重の彼の崩壊を防いでいる。幻聴、幻視につきまとわれる彼にとって、二匹の犬(フラテとレオ)は、幻聴幻視の幻の世界の使者であると同時に、彼を救う現実世界の現実的存在そのものでもある。あるときは彼自身ともなり、またあるときは彼から離脱して浮遊する精神の担い手ともなる。 大正初期の作品とは思えない、斬新な精神世界が扱われている。 最後には、薔薇が、虫に食われ、炭に焼かれ、灰にまみれた「病める薔薇」が、彼の崩壊を救う予兆となって、何度も何度も「おお、薔薇、汝病めり」と繰り返される。再生の予兆と見ることができる。 何とも不思議な作品であった。一貫する物語性はどこにもない。だけどこれは小説である。それ以外に入れるべき範疇は考えられない。随筆、哲学的散文、散文詩、そんなものではない。十分に構想され、練り上げられた小説である。私小説などと、安易に括ってしまうこともできない。 作品を容れる物理的空間は、引っ越した古い茅葺き屋根の家。そして語られている真の空間は、彼の精神的内面。そこでは従って、脈絡をもって語られるべき話の論理的整合性などは、そもそも意味も持たない。 読み終えたときの不思議な不安と安堵、さらには、自分の精神のよりどころを再確認したい気持ち。読者の心を微妙に揺り動かすこうした力は、この作品の時を越えたエネルギーを証明している。 |
25日は中学入試,そして26日が高校入試。どちらもその日のうちに採点を終え,27日に選考会議と事務的な後処理を済ませた上で,合格発表は28日。発表はすべてレタックスによる。掲示板による発表は数年前から中止した。掲示板前での悲喜こもごもの顔が,今は家庭の中の小規模な喜びと悲しみに変わった。 入学試験は人を選別するためにある。「試み験す」のは選別のためである。学内での平常の試験とは少し意味が違う。たった1回の,わずか数時間の頭の働きが,その後の人生を左右する。採点結果の数値テーブルに,冷然たる厳しい合否の境界線が引かれ,テーブルが,いや人間が,二つのグループにふるい分けられる。 入学試験で人間的な要素が含まれる場面は,採点現場である。数値がはじかれてしまった後には,もはや人間的要素は残されていない。 採点していていつも思う。同じ答を出しているのに,得点が違ってくる場合がある。採点基準のゆらぎではない。答案の書き方の問題である。 採点者(たとえば私)に解答の意図するところがスッと伝わってくる答案には,一目見たとたんに(つまり一字一句読まなくても)満点が与えられる。それに反して,どこをどう読んでも解答の筋道のわからない答案がときにある。答は合っているのに…。 あるいはその受験者は,私などよりうんと頭が良くて,素早いひらめきで途中の筋道を吹っ飛ばしているのかもしれない。だけど,不運というべきか,私を説得させられない答案は,容赦なく減点される。そういう場合,その1枚の答案に5分も10分も時間を使うことになる。 その時間が,実に人間的な戦いの場面なのだ。1枚の答案用紙を前にして,受験者と採点者とが激しい応酬をする。「この数値の出てくる理由を答案のどこにでもいい,一言書いていてくれさえすれば,満点をあげるのに」,「いや,そんなのは僕の頭にとっては当たり前すぎることですヨ。ほら,チョチョイのチョイ。暗算で終わってしまうではないですか」,「悲しいかな,私にそれは理解できない。超論理というやつだ。…,いや待てよ,ひょっしたら私が知らないだけで,世間には公然と認められている論理があるのかな」 こうして,しばらくは悩まされる。場合によっては,数学科の教員全員が寄り集まって,受験者の意図するところを探り出す努力をする。そのうち「あっ」と誰かが叫んで,その論理を解読してくれるものが出てくれば,受験者の勝利である。 誰にも解読不可能な場合には(あるいはそれが意味するところは,数学科の教員全員の無能力なのかもしれないのだが),結果は「ダメだ」となる。つまり減点である。その線引きは,ときに「運・不運」としか言いようのない場合がある。 そのわずかな減点が,結果として合否の線引きに絡んでくる場合もある。これまた「運」である。 |