彼らが一年かけて制作した絵画・陶芸・作文・ワープロ作品など、さまざまな展示が教室を飾る。けなげな日々の活動が彷彿される。 BASIC言語によるプログラムまであって驚いた。 文芸部の文集「風の旅人」からほんの一部を紹介しよう。 ぼくはあの時から くずはら先生のことがすきだった くずはら先生が いっしょにようくんしてくれた ぼくはあまりしゃべれなかった ぼくはおならをガマンした タオルたたみをした はしとはしをあわせるのはむずかしい ちょっとだけこつをおぼえた 私でもがんばってできるのかと思った ほんとうにがんばった あるけたらなあ… もし私があるけたら 外でずっと走りまわる うんどうがしたい 一日中あるきまわって いえになんかいない 手がうまくつかえたらなあ… ハンカチがおちたら さっとひろってあげる あらいものやせんたく お母さんの手つだいをしてあげる 私がかわってしてあげる ふと 夜空を見上げたとき すべての星が あなたに見えた 手を伸ばせばとどきそうなのに 遠くにいて ぼくには手が届かない あなたまでの距離は縮まらない それでもぼくはかまわない あなたが幸せならば だからぼくも必ず幸せをつかんで 輝いてみせる うみは、ぼくのなかをあらいだしてくれる うみ、それは、ぼくのめぐすりだ うみのもやがはれるように ぼくのこころもはれてゆく すっきりする ぼくはうみがすきだ、だいすきだ |
ちょうど授業参観の行われた時間帯、私は中1の教室で数学を教えていた。初歩的な幾何の証明に関する演習だった。開け放たれた廊下側の窓から、びっくりするほど多くの顔が教室を注視している。生徒に教えるというよりも、半分は参観者を意識した授業にならざるを得なかった。 「対頂角は等しい」というさりげない表現における、「仮定」と「結論」を示しなさいという問題があった。中1生には難問である。これを説明しようとすると、思考や表現の論理構造を明らかにする必要がある。言い方は中1生向けに易しくても、内容は少々哲学的な臭いをもった話にならざるをえない。廊下で立ち止まって聞いていた、特に父親や塾の先生とおぼしき人たちが、一緒になって問題に取り組んでいる状況が伝わってきた。やっている私もまた一体になって楽しむことができた。 小春日和のぽかぽか陽気に誘われ、午後は学校周辺を散歩した。散歩は私の楽しみの一つである。昨日行ったところは大宝寺という古刹。うば桜という桜の木が国宝になっている。小学校時代「郷土史」の時間に習ったことのある、ひとつの説話をはらんだ桜の木である。木々に囲まれた山の中腹にあり、情趣たっぷりのお寺である。 私の城下町[松山]のコーナーで、こうした話を少しずつ紹介してゆきたいと考えている。 |
かつてそこは、私の子供時代の思い出がぎっしり詰まった農事試験場であった。県民文化会館に足を運ぶときにはいつでも、この建物の下に埋められている子供時代の思い出を記憶の底から探り出し、時の無常に胸を詰まらせてしまう。 それはさておき、私が顧問をやっている囲碁・将棋部門は15日にあった。愛光からは、囲碁6名、将棋7名の計13名が参加した。将棋は予想以上に健闘し、ベスト8に2名が勝ち残った。囲碁の方は順当勝ちというべきか、ベスト3をすべて独占することができた。 この結果、来年8月の全国高校総合文化祭(鳥取大会)に今年同様、愛光から囲碁部門3名が出場することになった。 総合文化祭には、愛光から囲碁・将棋以外に写真部が参加した。写真部は一昨年の「写真甲子園」で全国1位になった実績を誇っている。しかし、残念なことに今年の文化祭では入賞できなかったようである。 |
ゲーム内容を楽しむというよりは、少年たちの元気いっぱいの熱気を吸うことで、迫り来る老化の兆しを少しは彼方に押しやることができるかと、そんな思いで彼らの試合を観戦した。予想に違わず、育ち盛りの少年たちが発するエネルギーが喧噪とともにグラウンドに充満していて、それを目と耳と呼吸と皮膚とで必死にかき集める私であった。 考えてみると、五十に手が届こうとする私のような歳のサラリーマンにとっては、ミドルティーンが発する鮮度たっぷりのエキスをじかに吸収することなど、思いもよらないことかもしれない。それどころか、そろそろ肩たたきによるリストラを気にし始めている人もいるのではないだろうか。そんなことを考えていると、普段は別にありがたいと思う筋合いではない中学・高校の教師生活を、こういう日だけは人生の特権と感じてしまう。 なお、写真の後方は松山市総合公園(大峰ヶ台)である。この写真では判然としないが、現在、愛光に隣接する西斜面の開発が進んでいる。急ピッチの造成とそれによって日々姿を変える山容とに唖然とする毎日である。 |
「昔神功皇后さまが三韓を征し給ひてお引上げの後、応神天皇さまをお産みあそばされて御東上のせつ、此の地に船を寄せられまして湯水を奉る。里人福水神社と申し上げる様になりました。…」と由来書にある。 滅多に人の訪れることのないこの神社の石段は、人の腸を思わせるほどくねくねと長い。その途中、ふと見ると、わきの藪の中へあるかなきかの細い小径が伸びている。何だろう。入ってみるのがちょっと恐いような、ひっそりと暗い小径である。身の締まる思いで小径をたどってみた。しばらく行くと奥に、狭いけれども開けた小空間が現れた。 幼児の背丈ほどの小さな石碑があって、「七夕やしろ」と彫られている。深い木立に囲まれて射し入る光も弱々しい。石碑のそばには、これがその七夕やしろだと思われる、雛祭りの内裏程度の大きさの祠があって、中に恵比寿様(?)が入っている。 唐突に目の前に現れた「七夕やしろ」のロマンチックな文字が私を撃った。何か一つの物語がこの「やしろ」の過去に秘められているはずである。分け入った小径の一歩一歩は、あるいは濃縮された時間の壁を抜けるトンネルであったのか。見てはならない神秘のヴェールをめくってしまったような、恐怖に近い思いに襲われた。 何か巨大な生き物の胎内にいるようで落ち着かない。ほうほうの体で小径を逃げ出し、再び明るい石段に出てきてほっと安堵した。それにしても、普段誰からも顧みられることのない藪の奥に小宇宙を発見してしまった私である。 |