濡れそぼって毛が逆巻く犬
1997年5月14日
 今日の雨にはリズムと強弱がある。しとしとだらだらの梅雨ではない。か細い春雨でもない。激しい夕立でもない。さっと強く降ったかと思うと、すぐにやむ。やむと子供たちはもう傘を手放している。だが、安心しているとまたいきなり降りつける。

 誰だろう、こんな日に犬を道ばたにくくりつけたままにしている。犬は哀れな目をして通行人を見やる。濡れそぼって毛が逆巻いているではないか。身を横にして休むこともできない。立ったまま、いつ果てるともない苦痛に耐え、諦念の極みを見せつける。

 この春から、高校編入生の1クラスと中学1年の授業をもっている。数学の場合、高校編入生の進度は異常に速い。1年間で2年分を終えるのだから大変だ。昨日と今日と明後日の3時間で、「数学A」の幾何を終えてしまうことにしている。突風のような授業だ。「数と式」の部分にたっぷりと時間をかけてしまったツケが回ってきているのでもある。

 大学入試で幾何(特に証明問題など)を出題すると、採点官は気が狂うような思いで答案と格闘することになりますヨ。それを思って、どうか幾何を大上段から出題するような愚は避けて下さい。そんな願いを込めた今日の授業ではあった。

 今、内職がてら、受験用の問題集作りをしている。この五月は特に大忙しだ。今日も授業の合間を縫って、原稿書きに追われた。この仕事が毎日結構な分量になるので、ホームページの充実は、気持ちだけでちっとも進まない。

 それを補う気分も手伝って、今日から毎日、日記代わりに「今日の坊ちゃん」を書くことにした。

授業は生身の受け答えで成立する
1997年5月15日
 久しぶりに雨が上がり、蒸し暑い曇天がわが世界を覆う。

 愛光は今日、定期健康診断。授業はなく、一日かけて、生徒たちの健康状態をくまなくチェックする。

 坊ちゃんの今日の役割は、視力検査。もう何年も、健康診断と言えばこればかり。因習を継ぐのが学校というところらしく、特に問題なければ「慣例に従って」ですべてが終わる。教師の配置に工夫のあとが見られない。まあ、どうでもいいことだが。

 何日ぶりかの雨なしデーなので、なまっていた体にカツをいれるべく、夕方重信川の土手をジョギング。川の様子がこの間の雨ですっかり変わっていた。重信川は天井川で、普段は伏流水となって水が流れている。つまり、川の流れが直接目に見えることは滅多にないのだ。石ころだらけの河原がどでんと広がっているのが、重信川の常態である。

 雨のあとだけ、川の上を「これでも川なのです」と誇らしげに水が流れる。そして、時折豪雨があると、激しい流れが土手を越えんばかりになることもある。普段水を流していない川は案外もろい。

 重信川は昔から、暴れ川として有名だった。今、土手を水が越えることはほとんどないが、巾4,500メートルはあると思われる結構な大河は、その中に幾筋もの小さい流れを有している。その流れが大雨のたびに大きく変わるのだ。ときには、不思議なことに、本来の川の流れと直角な方向に水が流れることもある。河の中の川が、河と直角に流れている。滔々とした流れで。もちろん、豪雨の直後だけだが。信じられない光景である。

 今日の流れは美しかった。水草をたたえたたっぷりの水が、さわさわと音を立てながら流れている。幾筋もできた流れのうちの一本がそうなのだ。そんなのを見ると心の奥がキュンとくる。

 昨日の幾何の授業の最後の最後に、「これは大事な定理だけど、証明は簡単だから省略する」とさりげなく流したものを、今朝、一人の生徒から質問された。猛烈に突っ走った授業の最後、それもチャイムが鳴ったあとで付け足しのように話した内容だ。誰の頭にも引っかかっていないだろうと思っていたのに、「先生は簡単に証明できると言われたけど、後で考えてみて、わかりませんでした」と言う。

 嬉しくなってしまう、こういう質問があると。しかも、その生徒は朝早く来て、職員室の前で、私が入ってくるのを待っていたのだ。

 実を言うと、私もその証明を本気で考えてはいなかった。質問されて、うっとつまりながら、何とかその場で妙案を発見した。火事場の馬鹿力である。明日の授業で、それを説明するつもりでいる。授業というのは、こうやって生身の受け答えの中で成立してゆくもののようだ。有名予備校講師の「サテライト講義」なるものが、地方の中小予備校で大流行だが、少々考えもののような気がする。

同和教育に変化のきざし
1997年5月16日
 高校編入クラスの幾何を今日で終えた。今日の内容は軌跡。アポロニウスの円、線分を見込む角が一定となる点の軌跡、など。今日までの授業をふまえて、来週から中間試験が始まる。平均点が8割を越えてくれることを期待しよう。

 中1の幾何も今日で一区切り。こちらは、今日までの3回の授業で演習をやった。基本的な作図、点の集合(軌跡)、図形の移動(平行移動、回転移動、対称移動)など。中1生の中には入学早々落後しかかっているものがいる。気がかりだ。

 放課後、教員を対象とした同和講習会があった。なんだかこれまでと少し様子が変わってきたなとの印象だ。

 一つには、同和問題が以前ほど深刻なものでなくなってきたという、社会的背景があるようだ。結婚相手の7割が地区外の人、との報告もあった。なし崩し的にこの問題は解消されつつあるのか。

 こうした事情を背景にしているのだろうが、部落差別の起源についての見解が変わりつつあるようだ。これまで学校教育の中での公式見解だった、いわゆる「政治起源説」(農工商を支配するために、徳川幕府が意識的にそれよりも下層の階級を作ったとする説)が見直されつつあるという。

 「これまでのは間違っていました、今後はこうです。」お上の見解に揺れ動く現場の哀れを思う。

 なんだか、敗戦を境にして学校教育が180度転換したときのようだ。あのときはもちろんそれが正しかったのだが…。判断が個人のレベルを超えて、どこか遠くから「こう考えなさい」と半強制的な声が聞こえてくるのは悲しいことだ。

 いわゆる狭い意味の「同和」問題に限定せず、もっと広い「人権教育」の立場に立とうとする姿勢が見えてきたようでもある。これなら私は大賛成。しばらくは様子見だ。

教育に王道も、常道もない
1997年5月17日
 久しぶりに青空を見た。空が光に満ちている。照りつける真夏の空よりも明るい。黄砂だ。山々が乳色に霞み、それがきらきらと輝いている。太陽系創生期の星雲ガスを見ているようだ。
 中1生にとって初めての中間試験が来週から始まる。今日はa,b組の演習。みんなよく勉強してきているのに驚いた。試験前の緊張感が漂っていて、すがすがしい。授業が終わったあとも、質問が後を絶たない。乗り遅れの生徒とのコントラストがますます強くなる。

 演習での説明のとき、「答だけじゃダメだぞ。理由を書くんだぞ」と何度も言うのだが、中1生にはそれが遠い彼岸の話であることが、顔つきを見ていてわかる。12歳の子供に論理性を求めるのは無理なのだ。

 無理とわかっていても、「本当の答案はこう書くんだ」と、生徒たちが黒板に書いた不完全な答案を一つ一つ添削しながら、書き足してゆく。もちろん「ゆえに、…」などとはやらず、中1生の言葉で書く。鉛筆を動かしもせず、ぼんやり眺めているだけの生徒を見つけると、「何やっている。赤鉛筆で書き写しておくんだ」などと、虚しいような、悲しいような叫びまで上げる。

 教育に王道も、常道もない。やれる手をすべて打ってみるだけだ。全員の気分が乗ってきたなと思えば少々無理気味にでも突っ走り、あえいできたなと思えば、立ち止まって、寄り道や反芻をしながら待ってあげる。長年教師をやっていると、こうした呼吸も少しわかりかけてきた。

 個人的な仕事のレベルでは、毎日少しずつ書いている原稿に何とかめどが立ってきた。追いつめられてせっぱ詰まった気分からは解放されつつある。

 今日、少し風邪気味。暑くなって、真夏のような格好で寝たのがいけないらしい。咳が出て、頭が痛む。仕事が次々と出てきて、布団をかぶって寝ていられないのが辛い。

土手と河原は百花繚乱
1997年5月18日
 風邪を治そうと、昨夜、薬を飲む。どんな薬でもいいのだ。とにかくぐっすり寝られればいいのだからと、催眠系の薬が入っておりそうな、何ヶ月か前に耳鼻科でもらった薬を飲んだ。

 今朝、その効果がてきめんに現れているのを知った。とにかくいつまで寝ても眠い。起きたつもりでも、頭の奥が眠っている。コーヒーを飲んでも効き目がない。ボーッと霞んだような頭で一日を過ごす羽目になった。

 午後、中1と高校編入クラスの試験問題を作った。こんな頭で大丈夫かなと自分でも思うが、しかたない。あれこれ考えているうちに結構時間を食い、結局、試験作りで半日つぶれた。

 夕方、家内と犬の散歩。今、家には犬が四匹いる。うち一匹は、長年飼ってきた15歳のシェルティー。高齢のため足が弱り、散歩は無理。いつも留守番だ。

 あとはみんな一歳にも満たない元気盛り。やんちゃ盛りと言うべきか。一番最近うちに来たのが、ラブラドール・レトリバーという種類。娘が「リョウ」と名づけた。盲導犬や介助犬になる犬だ。まだ生後2ヶ月ほどだが、大型犬になる兆候を早くも見せている。

 重信川の土手につれてゆき、自然を満喫させる。

 夕方の気持ちいい時間帯、ジョギングの人も多いし、老夫婦の散歩も多く見かける。頭がこんなでなかったら、さっそうとジョギングするのに…。残念!

 土手と河原は今、百花繚乱というところ。名前は知らないが、菊のような黄色い花、ピンクの清楚な花、白い花。色とりどり。種類も豊富だ。人が植えたのでは? と、家内は言うが、そんなはずはない。でも、そう考えたくなるほど、満面の見事なお花畑が続く。あるところは黄色の絨毯、あるところはピンクの毛氈。息をするのも忘れる。

 さてまた、明日から仕事だ。

教職員囲碁大会
1997年5月19日
 今日から、わが愛光学園は中間試験。坊ちゃんは、十何年ぶりかで今年はクラス担任をしていない。毎日の負担は感激的に軽量だ。しかし、その分、試験のときの監督時間が長い。そうそううまくばかりはできていない。でも、試験監督なんて、本でも読んでたらすぐに終わってしまう。

 試験中、恒例の教職員の囲碁大会。初戦の今日は、化学のS先生と当たる。彼は初段だから、5子。少しずつ寄りついて、勝ちが見えてきたところで、最後にしのぎの勝負所を迎える。S氏が間違えずに打っていたら、ひょっとするとこちらの大石に生きがなかったかもしれない。難しい手どころでよくはわからないのだが、実戦はS氏の大ポカで、あっけなく終わった。

 こういう場合、S氏はたいてい碁盤を蹴飛ばして立ち上がるのがならいである。今日もそうするかと見ていると、彼は投了と同時に一言の感想もなく、石を崩して片づけ始めた。そして「アホらし!」の一言を残して、去って行った。隣で打っていた生物のs先生が「怒らせてしもうたぞ」と言う。たしかに、一石一石に悔しさを塗り込めるような丁寧な石の「片づけ」であった。いつそのうちの一つが坊ちゃんめがけて飛んできてもおかしくないように思われた。

 体調は今日もよくない。微熱が続き、喉よりも奥、気管支をやられている。薬のせいもあろうが、頭は相変わらずぼんやりしている。

自責の思いで苦い茶を飲む
1997年5月20日
 試験2日目。今日は、坊ちゃんの中1幾何の試験。

 朝、試験監督の先生の机上に問題用紙を配り終えたとき、中1生が一人職員室にやってきた。「今日の試験で分度器は必要ですか」と聞く。何を思ったか私は、彼を叱りつけてしまった。

 「何度も言っているじゃないか。使うのは定規とコンパスだけ。分度器はいらない!」

 「すみません」と頭を下げて帰ってゆく彼の後ろ姿を見て、悲しくなった。何とばかげた物言いをしてしまったんだ。自責の思いで苦い茶を飲んだ。

 囲碁大会、今日が2日目。2回戦の相手は音楽のK先生。五段。手合いは彼の「先」である。今日の碁は、危ない場面もなく、うまく打てた。結果は9目勝ち。

 頭はまだぼんやりしているのだが、昨日ほどではない。集中力が戻ってきた。風邪はいっこうに治っていない。声を出すのが辛い。試験中のため、授業がないのが幸いである。

 最年長の犬のメリーがずいぶん弱ってきた。食欲がなく、寝たきりである。熱もあるらしい。元気に走り回っていた頃の姿を思い出すと、時の流れの無情を感じてしまう。

富士のシルエット
1997年5月21日
 今日は試験の中休み。生徒たちにとっては、自宅学習日。教師にとっては骨休みの日。土曜が休日でない代わりの、雀の涙のような休日だ。

 よく晴れたが、気温は上がらない。4月中旬並の気温だとか。

 試験の採点を抱えている。しかし、すぐにはその気にもなれず、今日は終日原稿を書いた。義務感に追い立てられての仕事とも言えず、楽しみでもある。結構はかどった。

 夕方、重信の土手へ。まだ風邪が治りきっていないので、長いジョギングは無理。犬と一緒に走る。土手から眺める松山平野がすばらしい。紅の空をバックに山々が浮き立っている。夕空を背景にした遠い山々のシルエットが私は好きだ。心の底が洗われる。すべてを忘れて無心になれる。

 昔、府中のNECの屋上から見た富士山を思い出した。夕方になると仕事を離れて毎日屋上に上がり、丹沢の山塊の向こうに浮かぶ富士のシルエットの美しさに見とれた。

 青春まっただ中だった当時と、干からびてとうが立ち始めた今と、それがまるで昨日と今日のことのように、今日もまた、静かな夕光を受けた山々を見つめ、吸い込まれるような感慨に浸る。

 人間の20年の成長など、自然は屁とも思わず吹き飛ばしてしまうもの。自然の前には、人の一生などなきがごとしだ。

TOKYOソロイスツの演奏を聴く
1997年5月22日
 松山平野を煙がおおう。空は晴れても太陽は見えない。鼻炎のもとだと煙たがる人もいる。心地よく鼻をくすぐってくれると歓迎する人もいる。酸っぱいような、喉と鼻にキュンとくる匂い。
 平野一帯を埋め尽くす大たき火、一斉の麦焼きだ。松山平野の風物詩。今日から始まった。
 パチパチと音を立てて、赤い火が麦秋の畑を彩る。昼間の赤い火は悪魔の舌を思わせる。夕暮れ時の赤い火は狼の喉。気持ちいいものではない。

 夜、市民コンサートにでかけた。TOKYOソロイスツの演奏。ピアノ、バイオリン、チェロの三重奏団だ。すばらしいでき。

 一人一人の個人技がしっかりしている上に、息がぴったり合っている。紅一点、チェロの向山佳絵子さんは、二十歳代後半の伸び盛り。多くのコンクールで優勝あるいは上位入賞を果たしたのち、1990年、ガスパール・カサド国際チェロ・コンクールで1位になったと、経歴書にある。

 曲目は、シューベルトとベートーベンのピアノ三重奏曲。いつものことだが、演奏会では目をつぶって聴く。演奏を見ると、音空間の広がりが消えるから。目をつぶれば、すべての音を自分の体内空間に呼び入れ、踊らせることができる。

 やがて、3D絵画に焦点が合うように、突然音空間と波長が合い、体全体が共鳴のしびれに呑み込まれる。そうなった瞬間、音楽は異様な輝きをもった渦となり波となって、私めがけて押し寄せる。心地よいリズムと強弱が、まるで生き物のように、私を恍惚の境に誘い込む。

 音楽の根源は、リズム、すなわち繰り返しのような気がする。風であり、波である。寄せては返す単調な響きの無限の繰り返し。人間はこれに弱い。すぐにしびれる。特に私はそうだ。

 中1幾何の採点を終えた。平均点はちょうど80点。まずまずか。でも、20点、30点、40点といったあたりに数名いる。これが気がかりである。

空間のイメージ
1997年5月23日
 中間試験の最終日。ただ、中学1,2年は今日から授業。坊ちゃんにとっても中1の授業が2時間。

 答案を返し、簡単に説明。そして、新しい単元「空間図形」に入った。「平面の決定」を考えさせたのだが、「同一直線上にない3点で平面が決まる」ということが、イメージとしてよく理解できないと答えた生徒が意外に多いのに驚いた。

 カメラの三脚の例など挙げて、あれこれ説明するのだが、それでもわからないと言い張る生徒が何人もいる。三本の指先と下敷きで実験をさせてみたりもする。全員が「わかった」と答えるまでに、10分以上かかってしまった。

 空間のイメージの構築は恐ろしく難しいものだということを、恐いまでの事実で知らされた。「わからない」と答える生徒本人よりも、それを聞く私の方が、「なぜ?何がわからないの?」と聞き返したくなる。まったく唖然としてしまった。

 再び暑さが戻る気配。それに歩調をとるように、風邪が治りかけてきた。忘れかかっていた「元気」がよみがえってくる。けだるくてぼんやりしたモヤモヤがやっと退散してくれた。本を読む意欲も復活し、授業の合間に「比較惑星学」を20ページほど読み進めることができた。

授業で扱わなかった問題を出題する意味
1997年5月24日
 数日晴れたかと思うと、また今日は雨。せっかく元気が戻ったのに、これではジョギングもできない。

 高校編入クラスの試験の採点が終わった。平均点は73点。授業で扱わなかった問題が、当然とはいえ、出来が悪い。2/m+3/n=1 を満たす整数 m, n を求めよ、というもの。どこにでもある問題だが、一度は体験しておかないとなかなかうまくは解けないらしい。

 私のよく使う手だ。習っていない問題を1題出し、「おや、こんな問題もあるのか」との印象だけ植えつけておく。そして、あとでじっくりそれを取り上げて説明する。一度試験の場で挑戦した問題には、なにかしら親しみがあるもの。その親近感を利用して、説明を効果的にする。まあ、かっこよく言えばそういうこと。

 ずいぶん前から取りかかっている原稿が、いよいよ大詰めを迎えている。来週一杯で仕上がる予定。来週は中1生が宿泊研修に出かけるため、留守番役の坊ちゃんは高校編入クラスだけの授業になる。その間隙を縫って仕事をはかどらせようとの作戦なのだ。

 見知らぬ方、昔の知り合い、教え子と、いろいろな方からメールが届く。心のこもったメールをいただくと嬉しくなる。日常生活ではあまり交際上手といえない坊ちゃんだが、メールはそれを補完してくれる。つくづくそれを思うこのごろである。

歳のせいで朝が早くなった
1997年5月25日
 近頃、歳のせいか朝が早くなった。休日は特に早い。やりたいことが一杯あって、のんびり寝ていられないという気分が潜在している。

 早朝、家内と一緒に犬を散歩させる。例によって重信川の土手。朝のすがすがしい光を正面から顔に受け、生気のみなぎりを感じる。写真を撮った。広々とした河原、朝の光にみずみずしく輝く草花、あどけない犬の表情、…。

 そういえばこの「坊ちゃんだより」は、読むとこばかりで写真がない。今後は少し、カラフルなイメージを挿入することにしよう。今日撮った写真も、そのうちどこかに使われるだろう。

 午前中から夕方まで、仕事に没頭した。たいていの人は、いわゆる「遊び」でリフレッシュするのだろう。坊ちゃんの場合、自分の仕事に没頭することが最大のリフレッシュである。思えば、それだけ日々の「生計のための仕事」が干からびているということか。

 疲れた頭をいやすために、夕方ジョギング。またまた重信川の土手だ。約6キロ。ゆっくり走る。今度は夕光を浴びて幸せを感じる。

ノラ部屋
1997年5月26日
 月曜日は坊ちゃんにとっての休養日、唯一授業のない日だ。

 午前中、教員用の書庫でゆっくり新聞を読む。「書庫」というのは名目で、実質は休養室。「ノラ部屋」などと、かつてあだ名されたこともあった。仕事のないノラがペチャペチャおしゃべりをしてゴロゴロしている所ということだ。一日忙しく走り回っていないと気のすまなかったある先生(すでに退職された)が、この部屋をそう呼んだのが始まりらしい。

 ノラ部屋には、応接セットと8畳ほどの畳の間がある。周囲は書架になっていて、そこに百科事典や国語辞典、教育関係の雑誌などが並べられている。一応「書庫」の名目も保っているのだ。また、主だった新聞と何種類かの週刊誌が置かれていて、コーヒーやお茶を飲みながら一服するのにちょうどいい。畳の間には碁盤が数面あって、いつでも碁会所に早変わりする。
 1時間ほどかけて新聞に目を通し、そのあと数学研究室に戻って自分の仕事。

 午後は、高校文化連盟の囲碁専門部会に出席するため外出。6月に行われる高校囲碁選手権・愛媛県大会の日程などを決めた。ついでに各校の力量などについて探りを入れる。ここ何年も連続して我が校が優勝しているのだが、今年も勝てるものかどうか。ちょっと探りを入れてみる。感触は、「今年も大丈夫」だった。我が校の生徒の上をゆく生徒はいそうにない。

ヘール・ボップ彗星
1997年5月27日
 中1生が宿泊研修に出かけた。大洲青年の家という研修所。2泊3日の予定。訓練を名目に親睦を図ろうというのである。

 6年前、坊ちゃんも同行したことがある。カヌー、オリエンテーリング、キャンドルサービス、ドッジボール大会など。坊ちゃんはそのとき初めてカヌーに乗り、沈没して川の中で一回転した覚えがある。

 近頃は、オリエンテーリングの代わりに座禅がメニューに組まれているらしい。中1生だよ、12歳だよ。うん? 座禅? と坊ちゃんは思う。

 彼らがいなくなった分、今日の坊ちゃんは楽だ。授業がないのだから。1時間目に高校編入クラスの授業をやっただけ。あとはフリータイム。自分の仕事を堪能した。

 ヘール・ボップ彗星はもう遠のいたのだろうか。最近は見ることもなくなった。古巣への何千年もの帰途についたヘール・ボップよ、おまえの後ろ姿をもう一度仰ぎ見たいものだ。親父の家に天体望遠鏡がある。親父も最近はそれを引っぱり出すことがなくなった。もらってこようか。肉眼の視界を去ったおまえにもう一度最後の手を振るために。

インターネットがマスメディア化
1997年5月28日
 最近、インターネットに関する新聞記事を目にすることが多くなった。新聞、テレビ、ラジオといった旧来のマスメディアに加えて、インターネットが新しいマスメディアとしての仲間入りを果たしつつある証拠であろう。

 インターネットは、情報の送り手と受け手との二元論を捨てよと、主張している。送り手が同時に受け手になり、受け手が同時に送り手になる。そうした錯綜したクモの巣からこそ新しい価値が生み出されるというのだ。

 少数の送り手の構想が、多数の受け手の思考傾向を支配するという、従来のマスメディアの構図はここにはない。あまたの送り手とあまたの受け手によって織りなされるカオスの糸が、いかなる価値体系を紡ぎ出すのか。知るのはひとり天のみである。

 ただ、インターネットのクモの巣に乗る情報を見ていて、悲しくなることもある。情報って、知識の切れ端?

 「相対性理論を作り出したのは誰?」「ニュートンです」「ブー」「アインシュタインです」「ピンポーン」

 情報というのは何かその程度のもの、と感じられなくもない「情報」が行き交っていることが多い。

 一冊の本がインターネットで読めるかも。半年ばかり前、私がインターネットを始めた動機はそれだった。だが、残念なことに、それは夢に過ぎなかった。大半のホームページが、グラビア週刊誌を目指しているように、私には思えた。

 すみません、インターネットの「情報」をまだ十分に活用していない私の偏見なのでしょう。

 だけど、テレビが視聴率を気にするように、ホームページがアクセス数のみを気にすると、いわゆる「楽しけりゃ」主義が横行し始める。目先の奇抜さと人目を引く趣向のみが価値をもつ世界に、インターネットも捕縛されることになる。考えねば。

インターネットに期待するもの
1997年5月29日
 昨日の続き。

 アメリカでは国立国会図書館が蔵書の相当多数をデジタル化し、インターネットで閲覧できるサービスをするのだという。すでに実績を上げている上に、さらに大規模な実施計画を立てているという。何新聞だったか、今日の記事で見た。

 対して日本では、そのような計画は俎上にも上がっていないというから驚く。インターネットという媒体への評価が決定的に遅れている上に、「情報」に対する概念があまりにお粗末だ。

 「情報」は、ハウツー的な実用性で評価するものではない。思索と技術という、人類の文化的蓄積の開示こそが真の情報である。旅行ガイド、チケット案内等の、そのときどきの実用に供する情報が情報のすべてではないのだ。

 しかも、文化的蓄積の深奥をデジタル化して手軽に利用可能にするには、それを実現し更新するための方式、手順、取捨選択の価値判断が重要になる。おそらくはそれ自身が一人前の科学となり、技術となり、産業となるほどの人知の傾注が必要であろう。安易な発想ではできないし、一人の力でできるものでもない。

 私がインターネットに期待していたものはまさにそのような、学びと研究と知的好奇心に答えてくれる「情報」であった。現段階では、期待はずれであり、失望感の方が大きい。
 えらそぶった言い方になり、再び謝らねばならない。私は言うだけで、何もできないのだから。実現してくれたらありがたいなと、ただ期待するだけである。

 高校編入生のクラスは、今日から2次関数に入った。グラフの平行移動、放物線の軸、頂点など、初歩の初歩をやる。小テストもやり、y=|x-1|+|2x-5| のグラフなども書かせる。解けない者が数名いる。明日少し特訓だ。

ふっくらとした豊穣の土色
1997年5月30日
 中1生が昨日、大洲から帰ってきた。聞くと、カヌーで沈没者が続出したらしい。最初はこわごわと慎重に乗るから大丈夫だが、慣れてくるとスピードを上げたり、ターンをしたり。それが沈没のもとだ。6年前の坊ちゃんも状況はまったく同じ。

 今日は疲れをとる意味で、午前中2時間だけの出校。9月中旬に開かれる文化祭に向けてのパート分けをやった。

 松山平野は、麦刈りと麦焼きを終え、今は田植えの準備であわただしい。ついこの間まで金色の穂が風に打たれていた麦畑も、今は一面、ふっくらとした豊穣の土色である。何かが起ころうとする予感が土色の田にみなぎっている。と同時に、この土の豊穣感は、一種の懐かしみを私にもたらす。

 個を超えた懐かしさだ。自然に一体化していた太古の人間の「生命」と「力」へのあこがれが、わがうちに甘やかに甦る。はるばると時を渡って、一人の男の祈りが低音の響きとなって私の体を包む。

 すでに水の張られた田もある。土と水は命の母、そのことを感じずにはおられない。

 中間試験中に終えるはずだった囲碁の決勝戦を今日やった。相手は生物のS氏。二段。4子だ。S氏は巷では三段で打っている強者。4子は結構きつく、いつも苦戦する。今日も、中盤の難しい戦いを終えた時点で少し足りない形勢。そのままヨセに入れば負けてしまう当方としては、紛れを求めるしかない。それにまんまとS氏はひっかかった。結果は、終盤間際のS氏の投了。苦しい戦いを制したと言っておこう。

高校総体
1997年5月31日
 土曜日の坊ちゃんの授業は、本来2時間。だのに今日はぶっ通しの4時間となる。中1の数学を折半してもっているT先生の分までやったのだ。授業の進度がクラスによってずれてきたのを調整したのではあるが、それにしても午前中ぶっ通しというのはしんどい。

 授業の中で中1生に聞くと、大洲での研修メニューの一つであった座禅はたったの5分間だったという。禅僧の講話が1時間半、そのあと座禅が5分間。何? と言葉も出ない。

 真っ青に晴れ上がった空を見るのは久しぶり。同時に暑気も戻ってきた。この夏空のもと、昨日から愛媛県高校総合体育大会(略して「総体」)が開かれている。我が校はサッカー会場。グラウンドに正規のコートを2面とれる学校というのは我が校しかないらしく、毎年会場になっている。

 朝からグラウンドは熱気と喧噪の渦だ。選手だけでなく、応援がにぎやか。普段通り授業もやっているのだが、外がにぎやかで落ち着かない。

 それにしてもサッカー人気は大変なもの。Jリーグができて拍車がかかった。応援の女子高生がとにかく多い。我が校は男子校だから、今日のように校内に女子高生があふれているのを見ると、何か異様に感ずる。選手の母親も大変だ。食事や飲み物の世話、ユニフォームの洗濯、それに大声を上げての応援。普段の練習試合でも常にそうだと言うから、これはこれで異常な世界だ。

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