仮 面 の 下
1997年1月28日
 巣立ってゆく39期高三E組の皆さん、この卒業文集の編集は私が君たちにしてあげられる最後の仕事です。私は教室では数学教師に徹し、裸の姿を君たちに見せることはあえて避けてきました。教室において、50分を目いっぱい数学の授業に当てることをモットーとしてやってきました。これでいいのだと自分に言い聞かせながらやってきました。

 実は私にはいろいろな顔があり、これが自分だと、鏡を見ながらみずから納得する顔は、学校で君たちに見せる顔ではないのです。内面に向いた私の素顔をできるだけ外には見せないようにと、ここ数年要らぬ努力をしてきたようにも思います。ただ、このままで君たちと別れてしまうのも芸がなく、私の素顔の一端を、落ちる寸前の線香花火のようなかすかな光の筋で照らしてみたのが、12月と1月に出した「クラスだより」でした。

 そこではニーチェを取り上げましたが、私が安心して自己を委ねることのできる世界は、そうした哲学の世界です。それに文芸を追加するべきかもしれません。詩・短歌およびヨーロッパ文学です。評論の趣味はないし、重箱の隅をつつくような文芸研究も私の本性に合わない。私にとっての哲学、文芸は、みずからが生きる道としての、闘いとる創作です。あるいは生きた人間の発する熱い思いと洞察への共鳴です。つまり生そのものです。そのことを強く自覚するようになればなるほど、それを無闇には外に出さないというガードの志向が習性となってきたように思います。沈潜したこの思いが、私の真の顔を構成しているのです。

 私は昔から走ることが好きで、若い頃は、真夏の炎天下や雪の舞い降る中をも、毎日走り続けていました。十数年前に腸の持病を抱え込んでからは、無理はできなくなったのですが、調子のいいときは今でもよく走ります。ここ半年くらいは不思議に体調がよく、二学期以降はほとんど毎日重信川の土手や小野谷の畑中を走っています。走っているとさまざまな思いが立ち昇ってきます。自己を鍛えることが自然との一体化の道であることを感じ、特に夕空を眺めながら土手を走っているときなど、存在の根源に触れる一瞬をもつこともあります。この走ることも、私の顔の一つです。

 私は中三のとき囲碁を習い覚え、それから囲碁は私の体の一部分になりました。囲碁人口は将棋ほどには多くなく、それだけにやる人の入れ込みは将棋よりも根強いものがあります。ゲームとしての奥の深さも、将棋やチェスの比でなく、人類が作り出した知的ゲームの中の第一級のものだと思っています。私はこの囲碁から「構える」という思想を学びました。囲碁用語を使えば、手厚く構えて相手の出方をうかがう、という構造です。剣道の構えなどと、発想は似ていると思います。こちらからは動かず、相手の出方に応じるべく構えて待つわけです。岡本君の釣りの哲学にも通じるものがあります。また、囲碁における変化は弁証法的です。状況は常に生成・消滅・流転・旋回をくり返しており、しかも、相反する白・黒の石が互いの立場を主張しながら止揚された統一体を構成して、一つの局面が出来上がってゆきます。ある局面において最大価値を持っていた石が、次の局面では葬り去られるべき無価値の石になることもしばしばです。一つの方針、一つの価値観に執着することは、囲碁の大敵です。頭の柔軟な切り替えのための人間トレーニングとして私は囲碁をとらえています。一局の碁は人生そのものです。誕生してからの幼・少年期、これが布石。ここで将来の骨格が決まり、その後の波瀾万丈の青・壮年期、これが中盤。そして、少々我欲の強いやっかみじいさんとしての老年期、それが仕上げの終盤。

 こんな世界を闊歩して碁盤という無限空間に挑むのも、私の一つの顔です。ただこの顔は、時間的ゆとりがないため、近頃ではめったに表に出ることがなくなりました。七、八年前に世界アマチュア選手権という大会の県代表となって日本代表決定戦に出たのを花道にして、それ以後はその種の大会に出ることも途絶えたままです。

 私は元来コンピューターを専門とし、大学においても、そして卒業後の NEC 時代においても、コンピューターの世界で遊んできました。その方面にも私は一つの顔を持っています。ただし、専門だったものが今では単なる趣味と化していますが…。それでもまだ技術的には若い者に負けない自負を持っています。つい先日も、大学で3次元画像処理システムを研究しているある卒業生がやってきて、「数式処理のいいソフトはないでしょうか」と言う。聞いてみると、数年前に私が自分用に開発したソフトで間に合いそうである。任意の数式を自在に処理して計算結果を得る、つまり、どんな複雑な数式で表された方程式をも任意の精度で解くソフトです。これでいいのなら、というような話になりました。

 コンピューターに関しては、私は今、知識データベースに取り組んでいます。動機は、私の過去および将来の知的歩みをすべてダイナミックなデータベースとして記録しておきたいということです。ダイナミックという意味は、およそ考えられるあらゆる方式での高速検索(思い出し)を可能にするということです。記憶は、自由に思い出すルートがあってはじめて記憶なのだから。単に蓄えることは容易なのですが、それを自由に引き出して使えるシステムを作りたいのです。私は書くことが好きだから、これまでにずいぶん書き溜めたものがあります。手書きでノートや原稿用紙に書いたものはもう仕方ないのですが、コンピューター処理の可能な形で書き溜めたものだけでもずいぶんな量になっています。今後ますます増えるでしょう。それを統一的な方式で処理するソフトを作ろうというわけです。もちろん、インターネット等を通じて他から入手したデータも対象となります。すでに八割方できていて、日々実用に供しています。それが発揮する威力に我ながら驚いているところです。

 こんな具合に私はいろんな顔を持っています。もちろん愛光教師としての顔、これが公式の表の顔です。この顔を私はあまり好きではないのですが…。早くこの仮面を脱いでしまいたい、そう思わない日はここ二十年、一日としてなかったように思います。霞を食って生きてゆけるのなら、私はすぐにでもこの仮面を脱ぐでしょう。

☆   ☆   ☆

 文集の編集後記に移ります。

 並び順。これは無作為です。人間を出席順に並べるなど、私の好むところでないからです。週番長や教室当番の年間予定を四月当初にすべて決定してしまうのが愛光の習いらしいのだが、私のクラスではあえて毎週その都度ジャンケンで決めているのも、理由は同じです。些細なことのようでもこれは重要だと、私は考えています。「おれはこの1年、週番長になることはないんだな」などと、自分の将来が見通されているのは、考えただけでもぞっとします。事務的に事を運ぶと、合理的にうまくいくようでも、人間のもっとも人間らしい側面である「ときめき」がなくなるのです。私のもっとも嫌うところです。「自由」は私と同体物なのです。個人の判断に上意下達を優先させたり、「……する決まりですから、従って下さい」などと言われるのは、私にとって死ねと言われるのと同義につらいことです。クラスだより第二号で「ツァラトゥストラ」や「虫愛づる姫君」を例に引いて自由の意味を述べたのは、君たちへのメッセージの形象をとった、私自身への言い含めでした。普段は無理をして塞き止めている私の内部マグマの思わぬ横溢でした。

 君たちの文章を入力しながら思ったこと。その一つは感性のレベルの個人差です。ものを見る目の個性です。卒業を間近にして何を思うか、その違いがいくつもの階層となって読み取れます。端的に言えば、何も思わない人、感動のない人。そういう人もいます。その上層に、心に沁みてくる何かを内部に感じてはいるのだが、それをうまく表現できない人がいる。うまく表現できないとは、使い古された慣用的表現に自分の感慨を押し込んでしまう以外に表現手段を持たないこと。そのさらに上層に、よく考えて、テーマを決め、それを自らの言葉で語る人がいる。上にゆくほど指数関数的に人数が減ってきます。

 意外でした。高校三年・十八歳という年齢を私は少し買いかぶりすぎていたのかもしれません。あるいは一昔前に比べて今という時代が、若者の精神的成長を遅らせるているのでしょうか。残念なことに、君たちの原稿を読んでいて、かつての高三生にあったような本質を射抜く鋭い視線に多くは出会えなかったのです。日常の枠を越えて、もう少し遠くを見る視線も必要ではないか。遠くを見ると自己の内部も見えてきます。これまで私が卒業させた先輩たちの文集と比べてそのことを強く思いました。おそらく原因は、書いてもらった時期にあるのでしょう。センター試験の直前というのがまずかった。冷静に気息を整えて自分自身を見つめるゆとりなどありようもない時期だったと思います。事実、提出期限を度外視して出してくれた原稿には目を見張る作品があります。

 この文集が、一人一人にとって、人生の分岐点である「今」を永久保存するカプセルになるのは確かでしょう。文集の価値は十年後、二十年後が決定してくれるはずです。過去の自分の精神活動を振り返って顔を赤らめるのは成長の必須条件です。この文集は必ずそのための鏡の役割をも果たしてくれることでしょう。

 「今」という瞬間の人間を将来のために記録する手段はいろいろあります。写真、絵画、彫像、音楽、文章等々。そのうちで人間の精神活動の内実を正確に記録することができるのは、唯一文章だけです。これは言葉の特権です。それ以外は、人間の瞬間の感性、あるいはその発露としての表情を記録するにすぎないのです。文章(言葉)は、精神活動の論理的外壁を記録するにとどまらず、さらにその内部の微妙な感情の揺らぎをも精巧に記録することができます。もちろん言葉になり得ない混沌とした感情の熱い高まりを、音楽や絵画が表現することもあります。初期ニーチェの表現を借りれば、言葉は人間存在のアポロ的側面を、音楽はディオニュソス的側面を表現する手段です。

 「俺はその頃いったい何を考えていたのか」ということを記録から紐解く手段は、やはり言葉をおいてないのです。音楽や絵画にそれを期待するのは無理です。この文集が君たち一人一人にとって、1997年1月13日午後1時30分の精神活動を記録する手段になっていることを期待します。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 読んでいて、ショッキングな大発見がありました。M君による秋山仁氏の引用です。並べられた多くのアフォリズムの中に目を覚まさせられるものがある、それも事実です。しかし、それよりも驚いたのは、その大部分があまりに陳腐なことです。言い古され、使い古され、ぼろぼろになったような、しかしそれなりに年代の重みを持っている、古色蒼然たる受験生へのメッセージがそこにあります。これを受験生が感動をもって受け止める。その事実に目を覚まさせられました。秋山氏の偉大さを思いました。氏の教育者としての卓抜さを思いました。

 いかに陳腐で言い古された命題であっても、それが陳腐なのは老人に対してだけなのだ! 真っ白でうぶな若者には、すべてが新奇で、感動の材料になるのだ! その事実を知らされた私は、ショックのあまり卒倒しそうでした。秋山氏はその真理を実によく見抜いている。これぞ教育者だと思いました。

 そして、私は教育者にはなれないと、少なくともこれまで教育者ではなかったと、つくづく思いました。

 「こんなことは今更言ってもしようがない。先人がとっくに発見し、語り尽くしてきたことなんだから。」

 この思いが私の口をこれまで何度閉ざしてきたことか。

 「それを言う自分を許せない、自ら発見した原理でないのだから。」

 こんな風にも。

 教育者は厚顔であらねばならないらしい。受け止める被教育者は何も知らないのだ。いかに黴の生えた思想であれ、黴の部分を少し振るい落とせば、被教育者の栄養になるのだ。「こんな腐ったものを」と後ろめたさに駆られながらでも、教育者はそれを与えねばならないのだ、摘んできたばかりの野菜を食卓にのせるようにして。それはごまかしでも、詐欺でもない。教育なのだ。必要な教育なのだ。

 これをM君の文章で私は悟らされました。
 だからこれからは教育者になろう、と考えているわけでは必ずしもないのですが…。その生き方は私にはやっぱり少し抵抗があるのです。


生きていく日々 メニューへ
坊っちゃんだより トップへ