ぼくの毎日(後期高齢者の日記)
2023年1月23日より
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2023年3月8日(水)
後期高齢者保険証。春近し。

 ついに後期高齢者保険証を使い始める。先日75歳を迎えてしまったのだ。人生、来るところまできたかという感じ。
 ただし、県病院でこれを使うと、保険証番号が難病受給者証に記されているものと一致していないから料金計算できませんと言われ、二ヶ月間の支払猶予となった。その間に、保健所に連絡して、難病受給者証を変更してもらってくださいとのこと。
 保険証は市の担当、難病支援は県の担当、両者がまったく機動的につながっていないのだ。AI化、AI化と言いながら、これはなんと不便なことか。

 このごろ、朝は寒くても、昼間はポカポカ陽気の日が多い。昼をすぎて散歩していると、膝くらいまで伸びてきた麦が、明るい日ざしと心地よい風を受けて、光の渦だ。
 沈丁花がいい香り。ちょうど散歩コースに植わっていて、低い塀から顔をのぞかせている。前を通るたび、鼻をくっつける。スーッと息を吸う。生き返る。

 しだれ梅もいかにも春の淡い色調で、目を楽しませてくれる。散歩道に2,3ヶ所植わっている。名前は知らない。

 紅梅もいいけど、白梅の清楚な姿はすがすがしい。思わず立ち止まって見上げてしまう。

 金柑もいい。たわわに実った金柑は、思わず手を伸ばして食べたくなるほど。いやいや、ダメダメ、人の家の金柑だ。昔は我が家に金柑があって、好きなだけ食べられたのになあ。残念。



2023年2月23日(木)
県病院で定期検査と診察

 先日、県病院で毎月の定期検査と診察。
 検査結果はまずまず良好。多少の上下はあるものの、それは誤差の範囲。どの数値もほぼ横ばいだ。
 クレアチニンは4.35。前回が4.09だったから、やや上がった(悪くなった)。といっても、ここ1年の中では、前回に次ぐ低い値だ。腎臓の主治医にいつも言われる、「腎臓は一度悪くなりはじめると、元に戻ることなく悪化を続ける」ことを、ある意味、くつがえしているとも言える変動だ。
 もちろん長い目で見れば、人工透析に向かって着々と進んでいるのではあろうが……。
 全身性アミロイドーシス関連の血液の数値は、どれも標準の範囲に納まっている。やはり完全寛解に入ってきたと言えそうな気がする。
 ほっと安心。
 ひと月ほど前の事故による胸の痛みもほとんど治まってきた。事故の後遺症で残るのは、むち打ちによる首の凝りだけ。これも大したことはない。うんとよくなった。
 すべては健康体に近い。強いて言えば、歳相応に全体のレベルが落ちてきたこと。それくらいか。かつてのようには、もちろん走れないだろうし、歩きの速度も落ちている。頭の回転も、おそらく鈍っているだろう。これはなかなか自覚はできないが……。記憶力や思い出す力は、確実に落ちている。これはもうしかたない。受け入れるしかない。
 歩きの姿勢は、妻が言うには、しゃんとしてきたらしい。意識して背中や腰をまっすぐに立ててきたのが、習性になったようだ。
 全体として健康。これが総括のひと言である。

 そうそう、県病院に行ったのが後期高齢者になって3日目だった。うぶで新米の後期高齢者なのだ。
 さっそく、市役所から届いたばかりの後期高齢者用健康保険証を出す。それともちろん難病の受給者証も。
 いつものようにスルッと受け付けを通過するかと思っていると、なにやら手間取っている。新しい保険証番号と受給者証に記されている保険証番号が一致していないので、正式な受付ができませんと言うことだ。
 もちろん診察はいつも通りにやってくれたのだが、お金の支払いができないのだという。2ヶ月間の支払い猶予という処置になった。その間に、保健所に連絡して受給者証を変更してもらってくださいとのこと。
 自分で連絡して手続きしないと、保健所が自動的に変更してくれたりはしないらしい。健康保険証は市の管轄、難病の管理は県の管轄、互いの事務処理が連結していないのだ。
 ちょっと不便を感じたが、まあ大したことはない。さっそく県の難病対策室に電話して、手続を教えてもらい、必要書類をダウンロードした。それに記入して、新保険証のコピーと住民票を添えて保健所に郵送すればよい。それだけだ。
 ただし、新しい受給者証が送られてくるまでにひと月かかるという。なんでそんなにかかるのだと言いたくなるが、これがお役所仕事というものか。あちこちの部署の承認とハンコが必要なのか。
 肝心の仕事は末端の者がやり、その上にいる重層的な上役連は、ハンコ押しが仕事。こんな古い縦割り構造がいまだに続いているのか(間違ってたらごめんなさい)。


2023年2月17日(金)
いよいよ後期高齢者

 今日は誕生日。75歳。いよいよ後期高齢者だ。
 後期高齢者、なんといやな言葉だろう。人生の残りがないぞ、それを如実に示す言葉ではないか。いかにも官僚らしい造語だ。いたわりも慰めの情もありはしない。ただわかりやすく分類した。それだけだ。
 それはともかく、人生の最終コーナーにさしかかったことだけはわかる。
 75年間、よくもまあ生きながらえてきたもの。命の危機は何度もあった。
 ●6年生のとき、石鎚山で足を滑らせ滑落した。一緒に登っていた父が、咄嗟に追いかけるように崖に飛び込み、奇跡的に助かった。
 ●二十歳のとき、琵琶湖で溺れて、半死状態になった。たまたま気づいた友人が、猛然と近づいてきて、意識のないぼくを引き上げてくれ、岸まで泳ぎ戻ってくれたのだった。泳ぎ達者な友人が近くにいなかったなら、今ごろこうして「後期高齢者か」などとのんきなことを言っているぼくはいなかったのである。
 ●50歳のとき、持病の潰瘍性大腸炎と敗血症の合併症状で、生死の縁をさまよった。自分でも生きているのか死んでいるのかわからない状態になった。主治医が妻に、「もうダメかもしれないので、東京の娘さんに早く知らせて、来てもらった方がいいですよ」とまで言ったらしい。ベッドで高熱にうなされ、うんうん唸っていたとき、突然目の前に娘が立ち、幽霊が現れたのかと驚いたのだった。
 この三つが、ぼくの命の三大危機とでもいうものだ。
 もう一つ挙げるなら、68歳のとき、全身性アミロイドーシスという難病と診断され、2,3年の命と宣告されたにもかかわらず、造血幹細胞の自家移植という、歳の割には限界に近い苛烈な処置を受け、それが功を奏して、7年経った今も元気で生きていること。
 これらを乗り越え、ここまで生きてきた。
 ああ、75歳か。残る人生がぐんぐん短くなっていくなあ。それをつくづく実感し、生かされていることに感謝しながら、今を生きているぼくである。


2023年2月14日(火)
孫娘、中学からいきなり大学生に

 おととい、散歩を再開した。事故以来だから、3週間ぶりくらいか。
 胸の痛みは着実に治ってきた。ところがだ、胸の痛みが治まるのと軌を一にして、首から肩のあたりがどうも変な感じになってきた。どうやら事故の際のむち打ちの気がする。事故直後にはなんともなかったはずなのに、むち打ちは遅れて出てくるらしい。妙に凝ってきた。それが頭にも響いてくる。いやな感じだ。

 去年の9月からドイツにバレエ留学していた孫娘が、冬学期の成績がよかったからというので、その上への進学が決まった。今のバレエスクールからつながっているバレエ大学らしい。
 日本なら今が中3。4月から高校生という歳なのだが、いきなり大学というので驚いた。大学というのは名称だけで、最初のうちはやはり日本でいう高校だろうか。よくわからない。
 いずれにしても、年度の区切りは夏だろうから、夏休み明けの9月から大学生になる。
 学校ではバレエの実技だけでなく、通常の学科の授業もある。授業はおそらくドイツ語だろうし、試験もドイツ語で書かれていて、ドイツ語で答えるのだろう。短期間でそれに対応できるドイツ語をマスターしたことになる。感心してしまう。これが若さか。
 向こうの学期の区切りはよくわからない。ともかく今は、9月から始まった冬学期が終わり、冬休み中のようだ。たぶん3月から夏学期が始まり、それが6月末か7月半ばまでなのだろう。2学期制なのだ。
 調べてみると、学期の区切りは統一されていず、州ごとにずれているとのこと。休みが重なって、休暇地に学生や家族が集中しないための処置である。
 日本と違って、ドイツでは休暇はたっぷりしたバカンスなのだ。海や山に行って、ゆったりと自由を満喫する。あくせく塾に通ったりはしない。これはドイツに限らず、ヨーロッパのたいていの国でそうだ。
 夏のバカンスは、学生に限らず、社会人でもひと月くらいは取る。これが当たり前である。夏の習俗、行事なのである。
 さてさて、中学生からいきなり大学生になる孫娘、いったいどういうことになるのだろう。
 ありがたいのは、学校は州立だから、これまでもこれからも、授業料はすべて無料であること。留学生でも、そうらしい。ホントかいなと、最初、娘に聞いたとき思ったが、本当らしい。
 孫娘はバレエを生きがいにしてレッスンに励んでいるが、ウクライナの悲惨を思うとき、複雑な気持ちにもなる。


2023年2月11日(土)
久しぶりに孫と再会

 娘夫婦と孫が、昨夜、東京から着き、今日、我が家にやってきた。上の孫はバレエ留学でドレスデンにいるから、やってきたのは下の孫。上の孫とは、LINEで「来てるよ」と言うだけ。
 コロナで長く会えなかった。日記を調べると、前回会ったのは2019年8月。なんと3年半ぶりだ。下の孫はそのとき2年生。それが今は5年生。もうすぐ6年生だ。背もうんと伸び、腰あたりだったはずの身長が、首あたりになっている。驚いてしまう。もうすぐ追い抜かされそう。
 妻が作ったいなり寿司をたらふく食べ、トランプをする。ババ抜き。これもまた何年ぶりだろう。実に楽しかった。
 妻と二人だけの生活が、久しぶりにきらめいた。何という幸せ。
 まだコロナ感染が怖いので、彼らは道後のホテルに泊まり、明日東京に戻る。
 慌ただしい2泊3日だ。うれしい喜びをもたらしてくれた2泊3日だ。


2023年2月7日(火)
鼻をかむと胸が痛む。晴れたら少し歩いてみるか。散髪をする。

  胸の痛み、なかなか完治し切らないのがつらい。くしゃみくらいならなんとか我慢できるが、鼻をかむと胸がぷくっと膨らんで、これが意外に痛い。チクチクと刺す。まあすべては日にち薬だ。待つしかない。
 朝晩の寝起きは楽になった。これがいっとき大変だった。横になった瞬間、あるいは起き上がった瞬間、胸が激しく痛んだものだ。うーんと痛みをこらえるのが習慣なりかかった。
 これはきっと胸の奥が深刻な状況になっているからだ。日にち薬で待っても無意味では。県病院の血液内科の主治医を訪ねて、外科か整形外科を紹介してもらおうと、本気で考えていた。
 それが実は、昨日の予定だった。しかし、少しよくなった気がしたので、行くのはやめた。再び日にち薬に頼ることにした。
 県病院の飛び入りは手続きが面倒で、しかも初診料が意外に高い。だけどそれは一般論だ。全身性アミロイデーシスという難病に罹っているから、ほかのどんな病気が心配されても、遠慮なく受診して良いと、前の主治医に言われていた。いったんは血液内科で診た後に、適当な診察科を紹介してくれるらしい。申し訳ない気がして、何でもかでもというのは遠慮しているが、今回のような事故なら大手を振って診てもらう資格がありそうに思う。遠慮は損慮だ。妻の大胆を見習うべし。 なかなか治らないようなら行ってみよう。
 行くか、行かずに済ますか、今はぎりぎりのところにいる。

 今日は朝から雨。うっとうしい。昼過ぎまでは降りそうだ。燃焼ゴミ。妻の車で捨てに行った。これくらいなら何ということはない。
 それにしても、いったいいつから散歩に出られるようになるだろう。もう大丈夫な気がする。
 明日あたり、晴れたら少し歩いてみるか。妻に叱られそうだが……。


 午後、妻が散髪してくれる。調べると、前回、散髪に行ったのは去年の3月22日。なんと10ヶ月半も行っていなかったことになる。もう我慢できないまでに伸びていた。
 シャキシャキと切ってくれ、散髪に行ったのと変わらないくらいいい感じになった。いつもは4,5ヶ月に一度くらいの割合で行っていた。となると、3300円の2倍で、6600円の節約だ。
 何もかも値上がりの今。これはちょっとうれしい。
 それにしても、4,5ヶ月に一度でさえ、たいていの人はびっくりだろう。
 現役のころは1,2ヶ月に一度は散髪していた。リタイアすると、それがいつの間にやら、ずるずる伸びたのだ。ついには10ヶ月半という、とんでもないことになったのだった。

2023年2月6日(月)
有為転変こそ人の世

 昨日、久しぶりに車の遠乗りをした。遠乗りといっても、片道45分ほど。
 だが、事故のあとだけに、トラウマがあった。ちょっとビクビクだった。

 事情はこうだ。
 ぼくは小さな小さなマンションを持っているが、その駐車場で居住者の方が財布を拾って、届けてくれた。中をあければ、誰が落としたのか一目でわかるはずだが、それはいけない気がして、居住者の方々に聞いて回った。そして最後に、この人だろうと目星をつけた。
 電話すると、やはりそうだった。仕事中で、職場は片道45分ほどの病院である。
 本人は向こうに着いてから気づいたようで、財布に入れている免許証がないままの「免許証不携帯」であった。行きは、知らぬが仏で運転したのだ。
 財布があったことを告げると、仕事を抜け出してタクシーで取りに帰るとか、いろいろ言われる。
 そんなことなら、届けてあげましょうということになり、妻の車を運転して、行ったのである。
 途中の40分ほどは、かつて勤めていた学校に毎日通った道だ。土地勘はあるし、なつかしくもある。親切そうに「届けてあげましょう」と言った理由の一つは、実はそれだった。
 下心という言い方は良くないが、単純な親切心だけでもなかったのである。もう10年ほども、学校には行っていない。入るつもりはないが、そばだけでも通ってみたい。そんな思いがあった。
 というわけで、学校を丘の上に見て通り過ぎ、5分ほど走ると、その病院はあった。
 財布を届け、仕事は終わった。
 驚いたのは、びっくりするほど大きな病院だったこと。しかも、現役時代にはなかった病院だ。
 あのあたり、ジョギングを趣味にしていたころ、授業の合間によく走った。港まで、長いコースをとると往復10キロ、最短で走ると7キロ。それを、夏の暑い日盛りだろうが、雪の中だろうが、走ったものだ。
 そのころ、病院はなかった。昨日行ったところは、住宅街か、近くの学校のテニスコートかグラウンドか、はっきりとは覚えていないが、そんな感じだった。
 それが驚くほど巨大な病院になっていた。
 あらゆるものが、こうして気づかぬうちに変わっていくのか。有為転変こそ人の世なのか。
 つくづく思った。

2023年2月3日(金)
廃車手続き終える。車のない生活に。

 昨日ついに、事故を起こした車の廃車手続きを終えた。あちこちに提出する書類は、いつも修理を頼んでいるIカーセンターが、すべて代理でやってくれることになっている。
 無残な姿になってしまった日産ノートと最後の別れ。
 新しい車はもう買わないつもりだから、自分の車を持たない身になった。思えば、50年、毎日のように車に乗り続けてきた。車は完全に我が手足だった。
 今後は、必要なら妻の車に乗るというスタンスで行く。だから、免許だけは持っておく。
 さっそく今日、不便なことが起こった。朝、妻が大学病院の受診に出かけてしまった。予約の日だったから。いつもなら何ということもないのだが、気がつくと、家に車がない。ところが、今日は燃焼物のゴミ捨ての日だ。これは長年ぼくがやってきた仕事。先送りするとたまってしまうから、捨てに行かざるをえない。だのに車がない。
 仕方ないから、ゴミ袋を抱えて、歩いて捨てに行くことにした。別に遠くはない。300メートルほど。とはいえ、いつもは車でさっとやっていたことを、歩いてトボトボというのはちょっと情けない。それに事故後の身。まだ体に痛みが残っている。抱えていくのはしんどい。
 ああ、車がないと、こういう小さな不便が今後もいろいろ出てきそうだな。文明の利器になじんだ人間の弱さ露呈だ。
 昔は車なんてないのが当たり前だった。インターネットももちろんなかった。その分、自然界と距離近く暮らしていた。今は自然界から遊離して、身を包む利器を奪われると、もう生きていけない(不便で仕方ない)
。なんと人間は弱くなったことか。

2023年1月31日(火)
胸の痛み、和らぐ。余命のこと。

 痛いときに患部をぬくめるのは良くないかと思い、整形外科でもらった冷湿布だけにして、風呂はあえて避けていた。
 ところが、痛みが少し和らいだ気がして、昨夜風呂に入ってみた。これが意外に効果的だった。入浴後は、痛みがずいぶん減ってきた。0とは言わないが、10だったのが1か2くらいには落ちてきた。寝たり起きたりの際、「あいたた、あいたた」と激痛に耐えねばならなかったのが嘘のよう。
 胸を手で押してみる。それまでのようなズキンズキン、チクッチクッがほとんどない。

 1週間のうちには治ると、自分で思っていたのが少し早まった気がする。大工さんが「3週間はかかりますよ」と言ってくれたのは、単なる儀礼か、想像にすぎなかったのだろう。整形の先生は、はっきり言いはしなかったが、心の内では「1週間ほど」とみていたのかもしれない
 まあ、見立てを短く言うのは悪いことではない。ガンの場合など、「2,3ヶ月の命」と告げられながら、たいていは1年くらい生きるもの。3,4年も生きることさえある。宣告よりも長く生きたからと言って、誰も見立て違いなどと、文句は言わない。宣告よりも早く死んでしまうと、見立て違いが問題になる。だから医者は極力短い宣告をするのだ。
 それに、短く宣告すれば、患者は最後の生を輝かせようと、必死に努力するだろう。結果、生が引き伸ばされることもあるだろう。
 いたずらに余命を長く告げるのは、患者のためであるように見えて、実はその逆なのだ。
 ぼくの場合も、全身性アミロイドーシスと告げられた際、主治医から冷徹にも「余命2,3年」と告げられた。いや、言葉ではっきり告げられはしなかったが、余命の統計表やグラフを見せられた。そこから勝手に、2,3年と読み取った。家に帰ってネットで調べた。案の定、「余命2,3年」とか「予後不良」とか、おぞましい言葉が次々に現れた。「予後不良」とは、ちゃんと処置をしたとしても、その後の経過は良くないという意味。

 これはもう絶望しか意味していない。その夜、机に向かっておいおい泣いた。
 であるにもかかわらず、不思議なことに、いっこうに死なずに6年半(正しくは6年8ヶ月)ほど経った。状況はどうやら完全寛解期に落ち着いたらしい。ありがたいことだ。
 血液内科の主治医(1年あまり前に交代したため、二人の主治医)が施してくれた熱心な処置のおかげであろう。
 腎臓については、腎臓内科の主治医が、「ここまで来たらもう悪化の一途。絶対に良くはなりませんよ」と、冗談半分、本気半分で、常々、透析に向かう道を示されるのに対して、妻とぼくが必死に抵抗し、その抵抗を先生も後押ししてくれたことで、最悪の事態に至らずに済んでいる。
 すべてが、医師の熱意と、妻とぼくの努力と、目には見えない運命の支えとによる。この三者のどれが欠けても、今のぼくはいなかっただろう。同じ病気で「あと2年」と宣告され、そのままホントに2年で死んでしまったアントニオ猪木のことを思うと、運命は馬鹿にならないとつくづく思う。

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 事故による胸の痛みが和らいでくると、少しは外に出たくなってくる。今日はフジに行って、炭酸水と緑茶を買ってこようと思っている。どちらも切れかかっている。もちろんコロナには十分警戒をして……。

 新聞のお悔やみ欄を見ていると、80台90台の人が圧倒的に多い。だが、60代70代の人も少なくはない。3分の1はいる。彼らには負けないぞ。あと10年、いや20年は生きるぞ。お悔やみ欄を見ていると、かえって勇気凜々、奮い立ってくる。

2023年1月30日(月)
ついに後期高齢者か

 数日前、市役所から封筒が届いた。入っていたのは後期高齢者用の保険証。2月17日からはこれを使ってくださいとのこと。ついに来るものが来たかという感じ。
 説明用の冊子も入っていた。年間保険料の計算方法だとか、窓口での自己負担割合だとか、月々の限度額などが書かれている。だが計算が面倒で、自分が実際どうなるのかがなかなかわからない。適用されてみればわかることだが、前もって自分で知るのは難しい。
 これは年金額の計算と似ているなと思った。計算式が猛烈に面倒で、事前に年金額を自分で計算してみることがなかなかできなかった。もらって初めて自分の年金額がわかるシステムだと知った。

 というわけで、後期高齢者になったことによって医療費がどう変わるのかとか、払い込む保険料がいくらになるのかなどは、実際に適用されるまではわからない。
 それにしても、後期高齢者か! なんという歳になったものだろう。はるばる遠い地まで歩んできた。思い返せば長い人生だった。いや、「だった」ではないぞ。まだ途中だ。この先の人生も、決して腐ってはいない。少しは輝いているかも。たぶん、たぶんだけどね。そうありたいね。そこに波乱や昂揚感がないと、誰に言えよう。

2023年1月29日(日)
雪が舞う

 今朝は猛烈に冷えた。松山では珍しく雪が舞う。といっても長くは続かない。せいぜい2,30分。
 それにしても、大粒の雪が激しく吹きつける光景は、まるで北国だ。
 裏のマンションの駐車場が、たちまち真っ白になった。


 
 我が家の庭も真っ白だ。久しぶりに見る光景だった。
2023年1月28日(土)
確定申告の準備、完了。運転免許のこと。

 確定申告の諸作業、今日で完了。あとはe-Taxで送るだけ。
 紙書類を作成して、毎年税務署に持参していたころが懐かしい。e-Taxに切り替えて今年が3年目。パソコンで簡単にできるようになったのはいいが、年に一度しかやらない処理だ。なかなか慣れるというわけにはいかない。でもなんとかなるだろう。

 ああ、それにしても胸が痛いなあ。恋の悩みならともかくとして、胸の骨骼が芯から痛む。これは苦しい。外に出る気になれない。
 ポキッと折れていないことだけは、体内感覚でわかる。心配はしていない。1週間もすれば治ってくるだろう。日にち薬だ。待つしかない。
 日産ノート、廃車になどしないで、修理して乗れば良いと、妻が盛んに言っていたが、預けている修理屋に今日行ってみて、前部が大破した惨状を知ると、これなら廃車しかないと、ようやく納得したようだ。
 それにしても、よくも胸の打撲程度で済んだもの。死ななかったのが不思議。車が死んで、人が生きた。車が身代わりになってくれた。思えばぞっとする。

 もう新しいのは買わない。
 これを機に免許証を返納しようと考えていた。だけど、それは事故直後の一時的感情にすぎなかったようだ。冷静に考えると、やはり、運転免許はあった方がよい。だけど、日々の生活は電車や自転車にし(生活の大半は付近の散歩だけだけど)、どうしても必要なとき、妻の車に乗る。その程度にしようと思う。

 とりあえず、来年の2月が次の更新だ。それが75歳が終わろうとするとき。後期高齢者になるとゴールド免許でも有効期間は5年ではなく3年になる。だから、その次は78歳。さらに次は81歳。そこらへんまでは更新し続けるか。つまり84歳までは運転するということ。
 大丈夫だろう。自信はある。
 おやじは90歳まで運転した。やれると思うが、まあ84歳くらいが妥当なところか。

2023年1月27日(金)
眼科の検診

 今日も寒い。底冷えがする。胸が痛く、まだ散歩は無理。
 夕方、眼科に。右目の裸眼が0.2と少し悪い。左は裸眼で0.7。片方が見えているから、ぎりぎり裸眼でも運転できる。実際、メガネをかけていないのをうっかりして、そのまま運転したことが何度もある。
 視力は、もちろん矯正すれば上がるけれども、右には限界がある気がする。
 先生が言われるには、
 「安定しています」
 とのこと。とりあえずそういうことだろう。そうとしか言いようがないのだろう。

 少なくとも、手術(3年前だけど)によって、元より悪くなったということはない。左の裸眼視力が上がったのは、まあ満足か。これが人工レンズの効能だ。手術前の左は0.1を切っていたのだ。
 右目は、黄斑変性が思うように治らなかったので、視力も期待ほどには上がっていない。これは手術の失敗なのか。先生はそうは言いたくないから、「安定しています」などという、どっちつかずの言葉を使ってしまうのだ。

 次回は5ヶ月後の6月。この延々たるサイクル、いつまで続くのか。
 青色申告の諸経費の入力や、誤りがないかどうかの最終確認はすでに終わっていたが(青色申告ソフトを使っている)、今日、最後の決算書を出すための処理。今夜で終わるだろうか。ああそうそう、医療費控除の処理がまだ終わっていない。今夜というのは無理か。明日になりそう。
 床張り工事の請求書が届く。思っていたより少し高め。建てて40年になる家だ。これくらいの修理費で済めば、まあよかったとしないと。
 人生の終盤が近づいている。あと何年生きて、何年住めるか、などと考えてしまう哀しさよ。

2023年1月26日(木)
大工仕事終わる

 今朝もまだ庭に雪が残っていた。昨日の事故で胸がズキズキ痛む。外に出る気になれない。窓からのぞいただけ。
 二階の床張りは今日の午前中で終わる。丁寧にやってくれた。大満足。これで二階に重いものを置くと時々キーキー鳴っていたのが直るだろう。
 ディックで板だけ買ってきて自分でやろうと思っていたのが、いかに無謀であったかがわかる。やはり大工のものだ。頼んでよかった。いくら請求されるかはわからないが、少々高くてもプロはプロ。素人仕事とは大違いだ。

2023年1月25日(水)
大災難に遭う

 大災難に遭う。
 きっかけは8時すぎ、Uクリニックに潰瘍性大腸炎の薬をもらいに出かけたこと。もっと遅くてもよかったのだが、薬はあと二日ほどでなくなるし、それに今朝も昨日に続いて、大工が床修理に来てくれることになっている。大工の朝は早い。だのに妻はまだ寝ている。そろそろ起こさないと。そう思って、出かけにちょっと頭をつついて起こすことにした。そのため少し早めに出たのだ。
 こうして車で出たが、外はこの冬一番の寒気。昨夜の雪がまだ道ばたにたまっている。道は氷のように滑りやすい。それでも車の流れのよいところは溶けている。短大前まではよかった。
 そこをすぎて道が少し狭くなったあたりで、ふらっと車が左に揺れた。揺れた気がした。スリップしたのか、一瞬の居眠りなのか、実際のところわからない。
 気づいたときには道の端の赤いポールにぶつかっていた。いったい何がどうなったのか、とっさにはわからない。夢から醒めたような感じ。だが、すぐに衝突だとわかる。それもまったく自分からの衝突だ。相手の車もいない。人もいない。それがまあ不幸中の幸いか。
 車がガリガリ言うのを我慢して、ともかくUクリニックまでは走る。着いて驚いた。車の前方が大破している。よくもそれで走ったもの。
 薬だけはもらって、JAFに電話。スマホを忘れていたので、病院の公衆電話で……。
 出払っているのか、電話番号が間違っているのか、いっこうに出ない。妻に電話し、いつも修理してもらっているIカーセンターに来てもらうことにする。しばらく待って、来てくれたのは東京海上のTさんだった。TさんがJAFに電話してくれ、レッカー車がやってきた。Iカーセンターまで引っぱっていってくれる。
 言うには、これは廃車にするしかないとのこと。それくらい、前方の壊れ方がひどい。
 腹が決まった。もう新しいのは買わないと。同時に、次の更新時に免許証を返納しようと。最近時々、返納しようと本気で考えたことがあったのだ。思いが実ったという言い方はおかしいが、これも運命だ。
 衝突した際、ハンドルで胸を強く打ったらしい。痛くてたまらない。近所の整形外科に行って診てもらう。レントゲンには何も映っていないという。肋骨ではなく、中心骨をまともに打ったようだ。だから、レントゲンにも映らない。湿布薬だけくれる。
 大工に言うと、3週間くらいは痛いですよとのこと。2年あまり前、脚立から落ちて肋骨にひびが入ったが、あれ以上だ。まあ、我慢するうちには日にち薬で治ってくるだろう。待つしかない。
 その間、散歩はできない。家でおとなしくしておくしかない。
 ひどいことになったものだ。

2023年1月23日(月)
県病院に。結果はなかなか良し

 月に一度の診察日。県病院に。
 結果はなかなか良かった。ここ3ヶ月、びっくりするほどトントンと良くなっている。
 といっても、人並みの水準からはまだずいぶん悪いのだが……。間近に迫っていた人工透析からは遠のいた。良くなったと言っても、これだけのこと。
 クレアチニンは4.09。10月には5.09まで上がっていたのだから、それからちょうど1.0下がった。1年前の状況にまで戻った。それ以前は4を切っていたのだから、まだまだではある。
 今となっては、4を切っていたという事実が、信じられない。
 腎臓は一度悪くなり始めると、決して良くはなりませんよと、行くたび、腎臓の主治医に脅され続けてきた。もうすぐ透析だからと、なんだかうれしそうな顔で、透析準備の手術(シャントという)までやらされたのだった。良くなったことに、主治医も本気でびっくり顔。
 次はもっとびっくりさせてやるぞ。あるいは、急に悪化して、こっちがびっくりする番か。なんとも言えない。
 IgMは166。これはもう1年以上も前からほとんど変わらず、標準値内に納まっている。抗がん剤の効果だ。
 κ/λ比もここ数ヶ月、どんどん下がってきた。今回は1.44。もうほとんど基準値の1に近い。1年あまり前まで担当してくれていた、かつての血液内科の主治医は、比だけでなく、κとλの差も重視していた。それもどんどん縮まってきた。不思議なほどだ。
 血液のがんの一種と告げられたのが6年半前。余命2,3年と知らされて、一人泣いたものだった。それがようやく安定な寛解期(完全寛解という)に入ってきたということだろうか。ほっと一息。
 腎臓については、妻がいつも野菜をゆでてくれているのが効果を現してきたのかもしれない。それがカリウムを減らし、これは明らかに腎臓によい。
 それと、近ごろ毎日、緑茶を作って飲んでいる。緑茶に含まれるカテキンが、沈着しているアミロイドを溶かす働きをもつらしい。
 ぼくが罹っている全身性アミロイドーシスという難病は、全身のあちこちの臓器にアミロイドというやっかいなタンパク質を沈着させるのが特徴だ。これは水に溶けず、沈着すると臓器の働きを弱らせてしまう。あの頑健なアントニオ猪木でさえ、罹ってたぶん2年ほどで死んでしまった。アミロイドが心臓に沈着したのが原因だった。ぼくの場合、それが腎臓にきた。
 カテキンにはそれを溶かす効果があると、いつか何かで読んだ。それで意識してカテキンを、つまり緑茶を飲むようになった。ひょっとすると、数値が下がってきたのは、その効果なのかもしれない。本当かどうかはわからないが……。

 さまざまな数値が下がってくると、なぜだか急に元気になった気がする。不思議なものだ。
 あとひと月で75歳。後期高齢者である。
 90歳まであと30年か、などと考えていたのが、つい最近のようなのに、気がつくとあと15年になっている。こうやって着々と最終地点に近づいていくのか。悲しいかな。つらいかな。

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