奴隷にとってご主人様に「依存する」というのはどういうことだと思いますか。 依存する、というからにはご主人様に頼るということですよね。 主従関係なのですから何かの形で依存していることは間違いないのですから、奴隷がご主 人様を頼りにするのは当たり前のことだと思います。 対等な立場ではない主従関係であるからこそ、奴隷は依存することを許され、そしてご主 人様はそれを受け入れることになるわけです。 もちろん信頼し尊敬できる存在だからこそ頼りにできるわけですが、ご主人様と奴隷の思 っている「依存」という意味がくい違っていたのでは困りますよね。 そこで奴隷の方はご自分のことを考えてみてください。 どのようにご主人様に依存しているのかを。 そしてご主人様の方も考えてみてください。 奴隷がどのように自分に依存しているのか、またどんな依存をさせようとしているのかを。 頼るというのはご主人様の存在があるからこそできることではありますが、だからといっ て何もかも頼り切ってべったりと甘えることではけしてありません。 ご主人様がいなければひとりで立っていられないような、そんな情けない奴隷にはなって いただきたくありませんし、そんな育て方をしていただきたくないと思うのです。 しっかりと自分で立っていられないからご主人様に支えていただいています♪ というの では奴隷にとってご主人様はたんなる添え木としての存在でしかないのです。 誤解しないでいただきたいのですが、「ひとりで立っていられるようになる」ということ は「私はひとりっきりでも大丈夫!」ということではありません。 女として奴隷として、何かの形で自分の存在価値を見いだしていくということなのです。 なにも大袈裟なことをいっているのではありません。 たとえば日常でもなかなか自信が持てなかったり勇気のでないことにチャレンジする時に ご主人様の奴隷として恥ずかしくないようにという気持ちで頑張れる自分を見いだすこと。 そしてそれをご主人様が見守っていてくれていること。 それだけでもじゅうぶんにシアワセじゃないですか (*^^*) ご主人様がいなくても生きていけるのではなく、ご主人様がいなければ何もできないので もなく、ご主人様がいるからこそ自分が自分らしく生きていくことができるということな のです。 M女性がご主人様に奴隷としてお仕えすることを自分の意志で決められたのですから、何 も自分で決められないおこちゃまなわけではありませんよね。 だからとりあえずは自分で立っていられる一本の「樹」だと思ってみてください。 中にはご主人様と出会う前にできた枝や葉っぱに誇りを持っている方もいらっしゃるかも しれませんが、グラグラしてなんとなく頼りなくて誰かに支えて欲しかったのではありま せんか? なぜかといえば、樹の大きさにみあうだけのしっかりとした根を張っていなかったからな のです。 だからといってご主人様の存在というのは、不安定な樹がぐらつかないように支えている 添え木ではないのです。 いつも添え木に寄りかかったままでいてはダメなんですよ。 ご主人様の存在というのは、たとえ嵐が来てもしっかりと立っていられるように根を張る ための大地という「土台」なのです。 ご主人様という土台の上に根を張ってしっかりと育っていくことが奴隷の役目だとすれば 奴隷という樹が大きく育ち葉を茂らせ美しい花を咲かせるためにしっかりとした土台にな ることがご主人様の役目であるわけです。 ご主人様もたんなる添え木にならないようにしっかりとした土台でいるための努力を怠り なく続けていかなければなりません。 そして・・・ 信頼できる大きな土台の上で育っていけることに最大限の感謝をして、それに恥ずかしく ない人間に成長していこうと努力することが「服従」であるということになるのです。 いままで自分だけで構成していたあなた自身という存在が、ご主人様というしっかりした 土台の上でいろいろな意味で安心して暮らせるようになっていくのが「支配と服従」の姿 なのだと思います。 くれぐれも、砂の上に根を張らないようにご注意を! |