平成葬式事情

父が亡くなり、いろいろな手続きに振り回された。 覚悟していたとはいえ、めったに経験できるものでもなく、 ご参考まで・・・ (ご参考になるような事態にならないことをお祈りしつつ)

第1幕:死亡診断

 私の父は、若い頃に患った結核が遠因で、肺の機能不全により徐々に衰え、 眠るように亡くなった。 父は合理的・科学的な人だったが、 身体的負担の大きな医療には疑問を持ち、 晩年は病院に不振を抱いていて、 万一の場合の延命措置も無用と厳命されていた。 そのため自宅療養を望み、 周囲の皆さんにご迷惑をかけたが、 訪問看護師の強い要請から往診医の先生をお願いした。

 しかし、いざ急変となって救急車を呼ぶ事態となったため、 往診医の診断書がもらえずに警察の検死を受けることになった。 つまり、はじめに往診医の先生に診てもらえば死亡診断書を書いてもらえたのだという。 救急車で移送された先の病院で昼には死亡が確認されたのに、 監察医の到着が結局翌日となり、それまでは「現状維持」として遺体は冷遇された。 一流のER病院なのに、そのせいか処置も不完全だった。 「警察沙汰」というのは訪問看護師がおそれていた状況だったが、 訪問医は到着に30分かかると言われていて、 非常事態に冷静にそれを待てというのが無理な話だ。

[教訓] 近くの往診医をお願いするか、入院するべし。 (ただし、本人の気持ちを考えると推薦はできない)

第2幕:霊安室

 病院の霊安室で控えながら、今後の手配を進めよう・・・と思っていたら、 地下で、ケータイが使えず、階段を行き来するハメとなった。 ここでは、父が献体を希望していたことが問題となった。 母が87年に亡くなったときは、まだドナー登録があまり知られていなかったが、 アイバンクと腎臓移植提供を登録していて、前者は願いがかなった。 そんなこともあり、父は献体を希望していて、一時入院したときも 自分の病状より献体登録のことばかり気にかけていた。 登録の書類は2ヶ月前に投函している。

 いざ亡くなって、本人の遺志を実現しようと協会に連絡したが、 登録カードがないと受け入れ先の大学病院が分からないと言われた。 献体すると最低1年は戻ってこないため、葬式も先の話になるから、 検死が済んで遺体が引き渡されるまでに、 白黒つけて行き先をはっきりさせる必要がある。 事態は切迫していたが、確かに電話で教えられることではあるまいと、 証明書でも何でも携えて直接協会まで出向くとまで申し出たのだが、 拒否された。 それとおぼしき大学病院に直接問合せたが、時間の空費となった。 最近は自分から献体を申し出るのは稀なようで、 「一流ER病院」の若い看護師も初めはピンとこないで ドナー(臓器移植)と混同していた。 父の広い心、医学への献身の志(文字通り)には頭が下がるが、 結局、長らく病身だったために登録できなかったのではないかということになり、 遺族には「人騒がせな一幕」ということで終わってしまった。

 生前、徴兵検査で戊種(甲種が工兵、乙種が歩兵、丙種が病人、丁種が身障者、 それ以下)だったと笑い話にしていたが、死んでまで拒否されたのは 悲しい。(あの世で、これも笑い話にしているかも) それにしても、個人情報保護だか知らないが、情報開示制限に振り回され、 あるいはせっかくの遺志が無駄にされたのではないかと危惧される。

[教訓] 何事も、申請しても安心せず、登録内容を家族にはっきりさせておくべし。

第3幕:葬儀の連絡

 検死・献体騒ぎを経て、葬式の日程が決まったところで知人への連絡。 父は準備万端で、体調を崩す前から早々と生前戒名を授かっていて、 自分の葬式を連絡すべき方々の名簿を作ってあった。 普通なら、遺族が名簿や年賀状を見ながら連絡すべき間柄かどうか頭を悩ますところなので、 父の作った名簿は大いに助かった。 ただし、連絡した先が(年も年なので)父と同じく病床にある場合はともかく、 すでに亡くなっていてこちらが恐縮することも多かった。

[教訓] 連絡名簿はこまめに更新すべし。

第4幕:葬儀

 仰々しいことが嫌いな父の意にそって、葬式は簡素にした。 町会なじみの葬儀屋に一任したところ「区民葬」という定型コースを教えられて、それに従った。 これには区役所でチケットをもらう必要があり、 葬式をあげる地元の区役所でもらうべきか、 故人の住民票がある区役所でもらうべきか迷って区役所に尋ねたが (多分共通とは思ったが)、 葬儀社が発行するものなので区役所でも確答がなかった。

 父の幼なじみで、父の葬儀委員長をやってやると言ってくれていた方がいたのだが、 早々と父より先に亡くなった。結局一人息子である私が喪主と葬儀委員長を兼任することになった。 ということは、方針を決めつつ、細かい手配もしなければならない。 かなり手落ちもあったように思うが、叔父に助けていただきながら、 通夜から告別式までの段取りは葬儀屋の指示に従った。 喪主として、各場面の心付けも用意していたのだが、これも葬儀屋が先回りしてくれていて、 ほとんど未使用で残った。

 喪主らしい出番は出棺の挨拶ぐらいで、これについては、父が母の告別式の挨拶を (父らしく)素っ気なく済ましていたこともあり、気合いを入れて考えた。 下書きを用意していたのだが、本番では位牌を持たされることが想定外で、 少々手間取った。そこまでのリハーサルはしてなかった。 かえって、下書きが位牌に隠れて、暗記していたように見えた人もいたようだ。

 葬式はプロに任せたというものの、下町ながらというべきか、町内のハバツがあることを知らされ、 また、江戸さながらの鳶の頭が出張って道路整理していただいたりと、 普段知ることのなかった「しきたり」を垣間見た。 葬式当日、会場と道路を隔てた公園でべったら市に向けてのテキヤ衆の集会が重なった。 路上駐車でこちらの葬儀に支障が出そうになったが、葬儀屋がテキヤの元締めにかけ合って 一瞬に解決。話を持ちかける相手の見極めが大事と感じた。

[教訓] 町会の協力をほどほどに活用すべし。事情通の情報がありがたい。

第5幕:届け出

 死亡届けの他、葬儀・埋葬や年金・保険・相続などの手続きで、 一々戸籍謄本などの「証明書類」が必要なのはわかっていたので、 必要な枚数をあらかじめ調べ上げ、一気に入手して片付ける・・・つもりが、 やはりそうはいかなかった。

 区役所でもらった「死亡時の必要な手続き」のパンフレットが参考になったが、 それだけでは足りず、Aの申請に必要なBの書類を申請するのにCが必要、などと、 後から後から必要なものが出てきた。 特に、故人が本籍地から住民票を移していたので、ややこしくなったほかに、 本籍地に出した死亡届が他方の区役所に届くまで2週間ほど待つように言われた (この時点で、忌引休暇中での解決は無理)。

[教訓] 手続きを考えると、住民票は移さない方がいい。 (というか、役所の方で、ITを使ってなんとかなりそうなのだが)

 諸手続きの中でも、納骨までと期限が迫っているのが墓地の使用手続きで、 父が持っていた墓地使用権を受け継ぐ必要があった。 墓地の利用に関しては、準備のよい父が、霊園管理事務所の使用の手引きを きちんと保管していたので戸惑わなかったが、実はこれがあだとなった。 手引きにある書類一式をそろえて管理事務所に向かったが、 手前で不足に気づいて取って返した。 準備万全で出直すと、書類が足りないという。不足しているのは、私が喪主であるという証明で、 これは父が取っておいた使用の手引きにはなく、最近付け足されたものだという。 長男が必ずしも喪主をしなくなったという事情によるものだそうで、 私が持っていた手引きは、管理事務所の人も珍しいからコピーをとらしてくれ、とのこと。 結局3往復してやっと墓利用の許可を終えた。

[教訓] マニュアルはあくまで参考で、その時点で担当者に必要書類を確認した上で行動すべし。

 もう一つ、釈然としなかったのが社会保険庁の国民年金の停止手続き。 年金手帳を返せばいいのかと思っていたら、そうはいかなかった。 本人の死亡と私が(給付精算の)相続人であることを証明するため、 戸籍除票や相続人の戸籍謄本は当然として、私が当人の世話をしていたということの、 「しかるべき」肩書きのある第三者(親戚不可)の証明やら、 新たな振込み先の通帳やらを用意して出直すように言われた。 勤めがある身には戸籍関係をそろえるのも面倒ながら、「しかるべき」肩書きの人にお願いに行くのも 週単位で延び延びになった。やっとそろえて出向いたら、 父が亡くなった月の分までの支給がちょうど振込み済みなので、金銭の授受はないとのこと。 「しかるべき」肩書きの人の証明やら、通帳やらは何だったのか。 (振込み済みなのは前回訪ねたときに判明していた) 提出した10枚ほどの書類が保管されるのを見て、 連日貯まるそうした書類の管理費用への血税もばかにならないだろうな ・・・などと思った(さすが話題の社保庁)。 行った先々で一々多数の書類を出して相続人であることを証明するより、 区のほうで相続人の証明のようなものを出してくれれば一発のような気がするのだが。

 届けで、忘れそうだったのが、確定申告。 3月までに準備すればいいと呑気に構えていたら、 亡くなった場合は死後4ヶ月以内に「準」確定申告というものをしなければならないと教わった。

 なお、故人の預貯金の口座は閉鎖される前に葬儀費として下しておくべし、 と言われて真っ先に預金をおろしたが、案外閉鎖されずにそのまま残っていた。 年金支給の振込みもあり、また引き落としなどの経過を見守ってから、 死亡届けを出した。 手数料ばかりとる銀行への皮肉というか、チップとして端数(3円)だけ残したら、 例の戸籍謄本等、相続人の証明セットを用意すれば相続人として使えるようになると説明された。 (その工数はいくらかかるやら。父が口座を開いた支店でないとだめなので、 平日に出向くだけでも一苦労。)

 銀行への死亡届けにあたっては、他の一連の手続きで用意していた証明書各種を持っていった。 意外だったのは、担当者が死亡診断書には目もくれず、戸籍の除籍謄本の写しを取られたこと。 戸籍簿に情報が集約されているからだろうと、その場では納得したが、 よく考えると、銀行は印鑑至上主義で、生身の人間より実印と取引していることの表れかもしれない。 息をしていようがいまいが、役所で印鑑登録して実印を持って来られる限り(幽霊でも?)OKということか。

第6幕:七七日(しじゅうくにち)

 告別式以降は葬儀屋のサポートもなく、心細いながら、 お世話になっているお寺さんと、墓地の花屋さん・石屋さんにお任せした。 先述の埋葬許可の他にやることは、当日の人数確認と、お寺にお願いする塔婆の数の確認、 位牌の準備。 位牌は、家内が引き受けてくれてデパートのベテラン店員に相談した。 お値段はピンからキリまであって、普通は迷うところだが、 先に亡くなった母の位牌を目安にした。

 当日心配だったのは、お寺から墓地(霊園)までの足で(霊園の駐車場が狭いため)、 タクシー会社をインターネットで調べたりしたが、 親戚やお寺さんに助けられて事なきを得た。

第7幕:収支決算

 告別式までの主な支出は葬儀屋が立て替えて請求書・明細を出してくれたので、 その他の領収書を保管しておくぐらいで葬儀の収支が整理できた。 香典については、お返しの漏れのないように、表計算ソフトのEXCELを利用した。 通夜の晩、式場で棺を守りながら(棺に守られながら?)一泊したが、 早速パソコンを持ち込んで、住所も含めてデータ入力を始めた。 (父の知人と語り合って夜を通すことになるのかと思いきや・・・)

 生前戒名、連絡名簿、年金手帳や通帳・印鑑、契約書類など整然と用意し 準備万端で逝った父は、自分の葬儀費用の見込みも240万円とのメモを 残していた。 耳慣れない区民葬などで節約したにもかかわらず、 実際に集計してみるとまさにほぼその金額通りになり、感心した。 ちょっと、SF作家アイザック・アシモフが生んだ科学的予言者ハリ・セルダン を思わせる。 そこまでは凄いのだが、父の預貯金では全然足りなかったのがご愛嬌。 (セルダンも自分の葬儀費用を予言したのだろうか)

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