高木語録

 以下は、MMCなどで高木重朗先生が語った名言集の抜粋です。あまり痛烈なもの(それだけ面白いもの)は差し控えましたが、参考になれば幸いです。表題・文章とも文責は浜野明千宏にあります。


一流マジシャンの条件

 一流といわれる人は、自分のやらない奇術にも興味を持つものだ。つまり、根っから奇術が好きで、フレッド・カプスは日本に来てサムタイを習っていったし、天海さんはアマチュアに見せてもらった奇術までも克明にノートし、晩年もロープをいじってしきりに考えたりしていた。バーノンも、なお新しいオイルアンドウォーターを考えて発表している。(1979.3.13)

テレビと奇術

 テレビとステージでは奇術の演出も違う。ダグ・ヘニングやマーク・ウィルソンなどは、(自分は動かずにカメラを動かすなど)テレビ用の演出を考えているので、実際にみるとつまらない。デビッド・カパフィールドなどの番組は、日本の奇術番組のようにステージものをつないだのと違い、はじめからテレビ用の演出がしてあるからこそ面白い。(1980.2.14)

4つ玉のエンディング

 4つ玉の最後に両手に一杯にするのはいいが、1個ずつ捨てたのでは締まらないので、そのままおじぎをするのをよく見る。本当はさっと一度に捨て、そのまますっと前に出てお辞儀をして終わるのがよく、こうしたことは日本では研究されていない。(1980.10.21)

海外旅行の楽しみ

 私は、どこの国へ行くにも、そこの言葉で「食べる」という単語だけは覚えて行く。また、一人で歩かなければ、(町の様子とか具体的な生活知識など)分からない。大勢で行ったときも、朝早くにぶらぶら一人で歩いて、カフェなどに入りこんでみることにしている。外国語で話すのはおっくうだけれど。紳士然としていてはだめで、私など、分からないことはなりふり構わず聞くことにしている。(1982.1.26)

奇術を見る大切さ

 奇術で、本を読むことと同時に大切なのが、実際に見ること。どちらかを選ぶとすれば、後者をとる。ニューヨークの奇術家の集まりで、ここそこで見せ合うような雰囲気があったが、そこへ1週間通ったのがどれほど益になったことか。『レクチャーに出るより、その分、本を買った方がいい』という人がいるが、本の記述には限界があり、そういう人の上達にも限界がある。(1982.3)

奇術の創作

 奇術も、頭で考えたものはダメ。アイデアも、繰り返し人に見せ、5年くらいかけて改良していき、初めて独自のものができる。日本では安易にオリジナルという言葉を使っているが、そんな生易しいものではない。個々の動きに込められた意味も知らずに変えるので、既にあるものも超えずに得々とする。すでに他の人が考えたものだと分かって「偉大な才能の一致だ」などと言うのはバカ丸出しで、創造のためには広く読みあさらなくては。(1982.3.23)

タネさがしの客

 客によってはタネを探ろうという人もいるが、そういう気を起こさせないのも芸。バーノンが偉いのは、そうした気遣いのない客に対しても手を抜かずに万全の技巧を使うこと。そうしないと、芸が進歩しない。ただし、こういうことを講習しても、実際に失敗した人でないと、意味が分かってもらえない。(1982.3.23)

奇術家の習性1

 奇術家が奇術をやってみろと言われて「あの奇術は嫌いです」と言うのは、大抵、その奇術ができないということ。(1984.9.13)

考案のワナ

 奇術を工夫するときにどんどん深く考えていくのはいいが、立ち止まって全体を見直すことが大切 だ。深みにはまったきり出て来ない人がいる。つまり、手順を複雑にしても結局現象は同じということを忘れがちだ。(1984.11.8)

うける

 推理小説の作家は、マニアがほめているうちは売れず、マニアが相手にしなくなると大受けしてよく売れるということがある。奇術にも奇術家にうけるものと一般にうけるものとは別で、奇術家にほめられるようでは芸としてだめなのかもしれない。(1985.4.25)

「超能力」のワナ

 超能力風に演出した奇術で、やっている本人が自分に超能力があると思い始める人がいる。催眠も、人にかけているうちに自分が霊能力者だと信じ込んで、教祖になってしまう人がいる。まさに、自分が催眠にかかってしまったといえる。(1985.5.9)

奇術家の習性2

 奇術家には、タネが分からなくても知ったかぶりをする人が多く、「分からない」と言う人はエラい。「いい手ですね」と言ったり、ひどい場合には他の人に「あの奇術が素晴らしいから見せてもらいなよ」と言ってせがませ、脇からタネを探ろうと見ている人がいる。(1986.10.23)

奇術の道具

 アメリカ製の道具は、後であらためられるものが多い。人に見せると、必ず道具を見せろと言われるので、当然。その点、日本製は設計思想がおかしい。また、一般の人に売るべきでない道具というものがある。例えばリンキングリングがそうで、「まさか切れてなんかないだろう。どうなっているんだろう」と期待して買うと、実際切れていて、夢が壊れる。(1987.3.12)

アイデアの値段

 日本では、奇術の本だけではなかなか売れず、わずかでも道具が付いている方が売れる。いかにアイデアが軽視されているかが分かるというものだ。また、著者の前でその本のコピーの話をする人がいる。罪の意識などかけらもない。地方の奇術クラブで、講習した翌日に「コピーしたら喜ばれましてね、一部差し上げます」と言われ、つい、「どうもすみません」と言って自分の本のコピーを受け取ってしまったことがある。(1987.4.9)

即席奇術

 即席奇術はつまらないと言われるが、そうではなく、演者が未熟で面白く出来ないということだ。 長い手順でないと出来ないということは、それだけ下手ということだ。向こうのプロは長ったらしい奇術はやらない。パズルの奇術としてなら別だけど。(1987.9.10)

奇術を教える

 奇術のコツは、案外簡単なことが多いものだ。うまくいかずに苦労していた人は、そのワンポイントを聞いてピンとくるが、あまり考えなかった人はコツを聞いても意味が分からない、という違いがある。また、理屈を聞いて「なるほどな」と納得するだけでなく、やはり実際にやってみないとダメだ。好きなものを楽しんでやってみることが大切だ。(1987.10.8)

奇術のうけ

 うける奇術とマニア同士の奇術とは違うので、マニアはプロにはなれない。また、名人は自分の家ではなかなかうけない。「預言者は故郷に容れられず、奇術師は家庭に容れられない」というところだ。(1988.11.24)

奇術の翻訳

 明治の頃、「奇術」という言葉は、むしろ科学実験などの不思議な現象に関する訳に使われ、現在奇術と言っているものには「手品」「魔術」という訳を使う方が多かったようだ。「Sleight of hand」を「手術」と訳したものもある。大正の頃、「マジックパウダーを振りかける」−これは、おまじないのゼスチャー−を、「うどん粉を用意して振りかける」と訳したものもあった。本来「スライハンド」に手練技の意味はなく、手練技の英語は「マニピュレーション」だ。(1990.7.26)


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