数学を使わないで数学を語れるか

SFの真髄は「センスオブワンダー」だと言われる。想像の翼をひろげ、意外な世界や展開を楽しむ。数学というと拒絶反応を示す人も多いが、受験数学から解放された大学の数学の授業では、そのセンスオブワンダーに近いものを感じた。現実世界は複雑だが、その前提を単純化した仮想世界がどうなるか、意外な展開を楽しむところが数学にはある。

そんな昔の感想を今さら思い出したのは、「数学を使わない数学の講義」という本(小室直樹氏著)を読んだからだ。数学科出身のハシクレとして、一読しておかなくてはと手にとったのだが、「数学はエイッと分かればいい」というくだりから雲行きが怪しくなった。

森羅万象を表現する方程式のほとんどは(数式の操作では)解けないので、コンピュータを使って力任せに説くのがシミュレーションだが、それは「強姦のようなもの」と言う。長年シミュレーションに携わってきた者としては、あんまりな表現だとあきれた。これに限らず、どうも著者の例えは品がない。

話題は論理学から宗教論に展開し、数学がどこかに行ってしまった。そうかと思うと「近経」とか「マル経」という畑違いの専門用語がポンと出てくる。「なーるほど、そうだったのか!」という腰巻(本の帯)が不安になってくる。読者がどういうふうに「なーるほど」なのか。(やっぱり「ト」の本か)

そもそも何でマセマティックスを日本で「数学」と訳したのか。(NHKのチコちゃんに叱られるかもしれないが、)私見としては、物事を抽象化する学問であって、抽象化の代表が「数」だからなのではないかと思う。どうも、この「数」というネーミングが誤解を招いているように思う。大学で外国人の語学教師から「数学科なら数えるのが得意だろうから、出席者を数えてくれ」と言われて、友人が「数えることは数学ではない」と説明したのを思い出す。

「数」というのも不思議なもので、皆の共通認識として確かに有るのだが、実体はない。それが抽象化というものだろう。だからといって絵空事ではなく、「数」には普遍的な法則がいくつも見いだされる。だからこそ役に立つし、本質というものが垣間見える。

「センスオブワンダー」を感じたのは、実際の世界にある座標とか距離とかの基本前提をいろいろ限定することで、奇妙な世界が想像されること。また、その前提からこの世界のこういう属性が決まってしまうのだと気づかされること。その面白さは、数学なしで「エイっと」説明するのは、私のような凡人には難しい。

(2018.5.4)


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