STムーブと「知ってるつもりの科学」

丁寧な説明が分かりやすい説明とは限らない。

マジックには、仲間で多用される技法がいくつかある。私が尊敬する高木重朗先生の名を冠する「STムーブ」もその一つで、数枚のカードの半数の片面を見せることなく全部をあらためたように思わせるスマートな技法だ。この「思わせる」というのがミソなのだが、その意図を解さずにもっと複雑な操作で1枚1枚をあらためる「改案」を考えて得意げに紹介されたことがあると、高木先生が笑って話していた。

演芸であるマジックは、科学実験や製品の品質検査ではないのだから、厳密さよりも印象が大切だ。たかが数枚のカードをあらためるのに大仰な扱いをすると、かえって怪しげに感じてしまう。さらりと流して観客を納得させることが大事だ。

こんなことを、スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック著「知ってるつもり 無知の科学」を読んで思い出した。本書は、「人は自分が思っているほど物事を理解しておらず、共有の知識が利用できることで『自分が知っている』と思い込んでいる」と指摘する。

そういう事情なので、財テクの金融商品やら薬品、電化製品などを、詳細な説明文によって消費者に理解させられるというのがそもそも大きな間違いなのだという。むしろ簡潔な説明の方が消費者は納得する。専門用語がゾロゾロ出てくる長文に取り組む人は、奇特な少数派だろう。あえて煙に巻こうという悪徳商人もいるだろうが、誠実に本心から理解して欲しくて難解な説明をする販売員は、STムーブの「改案者」を連想させる。

同書では、用語を聞きかじって迷走する大衆の話も面白かった。米国内の消費者アンケートで「遺伝子組み換え技術を使った製品は表示を義務付けるべき」との回答が80%あったという。新たな技術への不信感からもっともな意見のように見えるが、同じ調査で「DNAを含む食品も法律で表示を義務付けるべき」という回答も80%あったとのこと。

おいおい、DNAを含まない食品を探す方が難しい。水と塩とかサプリとか、それも自然由来でない人工的な化学物質が想像される(DNAを含む食品よりこっちの方が危ないのではないか)。もっともらしいアンケート結果も、どこまで理解しての回答なのか、よくよく注意しないといけない。

(2019.5.5)


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